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映画『シャイニング』がアメリカの観客に与えた恐怖の根源とは何か

『JOKER』を観に行ったら『ドクター・スリープ』の予告が流れてきたので、かつて大学の講義の課題として提出したキューブリック版『シャイニング』について、再掲します。ちなみに成績は、百点くれるかな、と意気揚々としていたら、八十五点というボチボチな点数でしたが、まあそれなりに読める文章ではあるかと。いま読み返して、言及が甘いな、と感じた部分もありましたが、今更追記するのもイヤなので、そのまま載せます。

 

1. 映画『シャイニング』がアメリカの観客に与えた恐怖の根源とは何か

 1977年の発売以来、未だに20世紀ホラー小説の金字塔として燦然と輝き続けているスティーヴン・キングの『シャイニング』。冬の時期だけ閉鎖されるオーバールックホテルの管理人として雇われた、小説家志望で元アルコール依存症のジャック・トランスは、妻のウェンディと超能力(シャイニング)を持つ五歳の息子ダニーの三人でホテルを訪れ、様々な怪異に見舞われる……という、「幽霊屋敷もの」である。1980年には、スタンリー・キューブリックの手によって映画化もされた作品であり、本稿ではこの映画について取り上げる。

 さて、2013年に発表されたキングの小説『ドクター・スリープ』は、『シャイニング』の36年ぶりの続編である。同作の作者あとがきの中でキングは、前作『シャイニング』について、「わたしのどの作品がいちばん怖かったかということが世間で話題になると、『シャイニング』はいちばんよく題名のあがる長編だ。くわえて、いうまでもないことながら、スタンリー・キューブリックの映画化作品もあり――わたしには理由がさっぱり分からないが――これをもっとも怖かった映画のひとつとして記憶されている向きも多いようだ」と述べた上で、「原作こそ‘’トランス一家の正史‘’だ」と強調する。

 キングはこれまでにも、キューブリック版『シャイニング』を度々批判している。1997年には、自身の脚本で改めてテレビドラマとして実写化したほどだ。キングが映画『シャイニング』に対して否定的なのは、小説の特徴であった「上巻からじっくりとページを割いて読者の期待を煽っていき、グツグツと高まった物語の圧が最高潮に達した瞬間、恐怖が爆発する」という構成が変更されていたり(映画『シャイニング』では、ジャック・ニコルソン演じるジャック・トランスの狂気は早々に芽吹く。なんてったって、ジャック・ニコルソンである)、ダニーが持つ「シャイニング」のストーリー上の意味が希薄になっている……といった、「自身の小説との違い」が主たる理由だろう。

 だが、本当にそれだけなのだろうか。本稿では、キングが映画『シャイニング』に拒否感を抱くのには、他にも何か理由があるのではないか、ということについて考察する。そして恐らくそれは、アメリカ国内で映画『シャイニング』を「もっとも怖かった映画のひとつとして記憶されている向きも多い」理由と表裏一体である。

 

2.ストーリー概説と考察に必要なシーン/台詞/ショットの抜粋

 映画は、山道を往く黄色いモービルの空撮から始まる。車を追っていたカメラが切り替わり、「コロラド」の字幕が浮かび上がるとともに、オーバールックホテルの外観が映し出される。続いて「THE INTERVEW」と画面一杯に表示されたあと、ジャック・ニコルソンが建物へと入っていき、冬の間ホテルの管理人として雇われる面接を受ける。かつて、このホテルで同じく冬季管理人をしていたグレーディーという男が同居していた妻と娘を「斧」で殺害した、という話をジャックは聞かされるが、自分は大丈夫だと一笑に付し、無事採用が決まる(図1)。

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(図1 ホテルのオーナー)

 母親のウェンディと一緒に家で留守番をしていたダニーは、超能力(シャイニング)で父親の採用を感じ取り、同時に、不吉なホテルのイメージを幻視する(図2)。

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(図2 ウェンディとダニー)

 シーンが変わり、ジャック、ウェンディ、ダニーの三人はモービルでホテルへと向かう。車内では、次のような会話が交わされる。「ドナー隊が遭難した所ね(ウェンディ)」「もっと西だ。シエラ山脈だ(ジャック)」「ドナー隊?(ダニー)」「幌馬車隊だ。雪に閉じ込められて、ひと冬を過ごしたんだ。そして、生きるために人肉を食べた(ジャック)」

 「ドナー隊の遭難」とは、西部開拓時代の悲劇として語られている出来事だ。1846年、ドナー隊はカリフォルニア入植のため出発し、悪路に道を阻まれ、当初の計画を変更して山で冬を過ごすことを余儀なくされた。食料が尽きた一行は、病気や怪我で命を落とした者らの肉を食べ、生き延びたのである。

 さて、ホテルに到着し、関係者から内部を案内されたジャックとウェンディは、ホテルがかつてはインディアンの墓地であり、建設中にも襲撃を受けたと語る(本稿におけるアメリカ先住民の呼称は、作品に合わせて「インディアン」とする)(図3)。またダニーは、ホテルの黒人料理人ハロランとテレパシーで会話し、彼もまた自分と同様「シャイニング」を持つ者だと知る。

 

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(図3 ホテルを案内されるジャックとウェンディ)

 その後、ホテルは冬季休業に入り、三人はホテルに住み始める。ダニーは双子の少女の幽霊やかつて斧で惨殺された管理人家族の姿などを度々幻視する。そして、小説の執筆が捗らないジャックは次第に精神に異常をきたし始め、建物内のバーへと足を運ぶ。そこで突如、「ロイド。客が遅いな」と言って病的な笑い声を上げると、「さようで トランス様。ご注文は?」とバーテンダーの幽霊が出現する。ジャックは「white man’s burden」と呟き、ジャック・ダニエルをロックで飲む。

 かつての管理人グレーディーの幽霊とも会ったジャックは、「あなたこそ、ここの管理人です。ずっと昔から。存じております。私もずっとここにいます」と告げられる。また、ダニーが「外部の者」=「ニガーの料理人」を「私たちの世界」へ連れ込もうとしている、と教えられたジャックは、ウェンディとダニーを「しつける」よう焚き付けられる。

 ジャックの狂気に気付いたウェンディは反対にバットでジャックを昏倒させ、食糧庫に閉じ込める。だが、ジャックは何処からともなく聞こえてきたグレーディーの声と会話し、鍵を開けて貰う(図4)。

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(図4 グレーディーと会話し、妻子へのしつけを誓うジャック)

 斧を携えたジャックはウェンディとダニーを襲撃するが、二人は辛うじて逃げる(図5)。「シャイニング」によってウェンディとダニーの危機を察知し、ホテルへと舞い戻ってきたハロランは、ジャックに殺害される。ホテル内に残ったウェンディは、冒頭でダニーが幻視した血の海を目の当たりにする(図6)。一方ダニーはホテルの庭に出ると、迷路型の巨大な生垣に逃げ込む。生垣で遊んだことのあるダニーは機転を利かせ、雪に偽の足跡を残すことでジャックの追跡を躱し、ウェンディとともに逃げ延びる。ジャックは生垣から抜け出せず、凍死する。

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(図5 斧でドアを破壊するジャック)

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(図6 オーバールックホテルを満たす血の海)


 映画は、ホテル内部に飾られた写真のクローズアップで幕を閉じる。1921年7月4日にホテルで開催された、舞踏会の写真である(図7)。

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(図7 オーバールックホテルの舞踏会 1921年7月4日) 



3.2で暗示されている一つの方向性

 白人はかつて、西部開拓の名の下にインディアンを虐殺し、その土地を奪ってアメリカを建国した。インディアンの墓地を破壊して建設されたオーバールックホテルは、アメリカそのものを表象していると言える。そのことは台詞で示されている他、図1のホテルのオーナーが白いシャツを着、赤いネクタイを締め、青いジャケットを羽織っていることからも察せられる。机の上には、駄目押しのように小さなアメリカ国旗も飾られており、図3のホテル内部にもアメリカ国旗が飾られている。

 ウェンディとダニーもまた、アメリカを表象している。初めて画面に姿を現したとき(図2)、二人は赤、青、白の服を着ており、これ以降も(特にダニーは)この三色を基調とした服をよく着ているのだ。またジャックは、ハロランを「ニガー」と呼ぶなど、旧来の白人的価値観が根底に流れている人物だということがその言動の端々から分かる。

 白人の三人家族が、インディアン虐殺という負の歴史を持つアメリカを表象したホテルを訪れ、怪異に見舞われる。原因が「インディアンの呪い」であるというのは、明白だろう。作中で描写される幽霊の見た目は全員白人だが、それについては後述する。

 さて、中盤、バーでジャックに禁酒を破らせ、狂気の道へと後戻りできないほど駆り立てる切っ掛けとなった酒は、ジャック・ダニエルだ。バーテンダーの幽霊がこのウイスキーを差し出したのには、ジャックがジャックを演じてジャックを飲む、というジョーク以上の意味がある。かつて、ヨーロッパからアメリカへとやってきた白人たちは、インディアンに酒を飲ませた。酒を知らず、アルコールに対する抵抗力のなかった彼らは、瞬く間に酒に飲まれた。酒は、白人がインディアンから土地を奪うのに大きく貢献した要素の一つなのだ。そしてその酒の代表格が、ウイスキーである。加えて、ジャックがジャック・ダニエルを飲む前に呟く「white man’s burden(白人の責務)」にも意味がある。イギリスの作家キップリングが1899年に発表した詩の一節を起源とした言葉であり、やがて「白人は文明化していない他の人種を文明化する責務を果たすべきだ」という西洋人の植民地政策を正当化する言葉へと拡大していく。ジャックはこの言葉を引用し、酒を飲むことこそ白人の責務だと笑ったのだ。

 「インディアンの呪い」は、インディアンの虐殺、迫害に寄与したウイスキーを使い、白人のジャックが白人の妻子を殺害するという「白人の虐殺」を実現させようとしたのである。

 その後、グレーディーから「ダニーが外部の者を私たちの世界へ連れ込もうとしている」と言われたジャックは、ダニーへのしつけを決意する。場所は、左右が反転する「鏡」が数多く設置されたトイレの中だ。ここでジャックは、インディアンの土地を奪って住み着いた「白人=外部の者」から、「『黒人=外部の者』の流入を防ごうとする内部の者」へと立場を転じる。このときのジャックの心情は、かつて「白人=外部の者」の侵略に抵抗した「インディアン=内部の者」と相似形だ。

 そして、終盤で食糧庫に閉じ込められたジャックは幽霊と会話し、妻子をしつけると約束する。不敵に笑うジャックの背後に置かれた缶詰には、インディアンのイラストが描かれている(図4)。ウェンディとダニーを襲うジャックが使う武器は、斧だ(図5)。かつての管理人グレーディーもまた、妻と娘を殺すのに斧を使っている。斧と言えば、インディアンの武器である。妻子を殺害せんとして斧を振り上げたとき、ジャックの心は完全に、白人を自分たちの土地から追い出そうとするインディアンと一体化してしまう。

 ダニーとウェンディが視たホテルを流れる血の海は、ホテル建設の際に取り壊した墓で眠っていたインディアンたちの血であり、同時にそれは、アメリカが建国される際に流れた大勢のインディアンたちの血を意味している。

 さて、では図7のラストショットは何を意味しているのか。1921年の舞踏会の写真にもかかわらず、そこに映っているのは、ジャックだ。日付は7月4日、アメリカ独立記念日である。アメリカという国がインディアンの屍の上に建国された以上、アメリカ独立記念日とは同時に、インディアンの土地がインディアンの土地ではなくなったということが決定付けられ、インディアンから土地を奪った事実が多くの人々に肯定された日でもある。

 この写真について考える上で思い出すべきが、ジャックがバーで酒を飲むシーンである。ここでジャックは、唐突に「ロイド」とバーテンダーの幽霊に呼び掛ける。ロイドもまた、「トランス様」と返す。また、グレーディーはジャックに対して、「あなたこそ、ここの管理人です。ずっと昔から。存じております。私もずっとここにいます」と告げる。これら二つの描写と最後の写真から導き出せる考察は、「ジャックは生まれ変わっている」というものだ。だからこそジャックはバーテンダーの名前を知っており、グレーディーは「あなたこそ、ここの管理人です。ずっと昔から」と告げるのである。

 つまり、独立記念日を祝う1921年の舞踏会に参加した白人たちは、オーバールックホテルのインディアンの呪いによって、幽霊として永遠にホテルに留まることを余儀なくされたのである。そして当時のホテルの管理人だったジャックは、生まれ変わり、再びホテルを訪れて、妻子を惨殺しようとしたのだ。

 これは、単なるホラー映画としての味付けではない。インディアンの多くには輪廻の価値観があり、「死とは魂だけの状態になったこと」と考えられている。その魂が、人だけでなく、植物や動物や鉱物といった様々なものに再び宿る、というのだ。

 オーバールックホテルに宿った数多くのインディアンの魂は、白人の魂を幽霊としてホテルに縛り付けたり、白人の魂を再び白人の肉体に宿らせて妻子を殺害するという惨劇を引き起こさせたりして、白人に対して復讐しているのである。

 

4.アメリカの国民が抱く、インディアン虐殺に対する罪悪感と怯え

 アメリカはインディアンを虐殺し、その土地を奪い、国を創立した。それは動かしようもない事実であり、取り返しのつかない惨劇である。アメリカの国民、とりわけ白人は、そのことに関する罪悪感を根底に抱えている。

 歴史は繰り返すものだ。アメリカはインディアンを人間扱いせずに虐殺したあと、今度は黒人を奴隷として連れてきた。映画『シャイニング』の最後の写真は、オーバールックホテルの惨劇が繰り返されていることを示し、同時に、アメリカが建国、発展に際して繰り返し行ってきた負の歴史を暗示している。そして、それだけではなく、「今度はアメリカが被害者となって、残虐な歴史が繰り返されるかもしれない」という可能性をも示唆している。

 普段アメリカの国民が胸の底に沈めているインディアンに対する罪悪感と、それに付随した「いずれその罰が下るのではないか」という恐怖を、映画『シャイニング』は大きく揺さぶる。斧を振るうジャックに追われるウェンディとダニーの怯えた姿は、アメリカの観客が決して訪れて欲しくないと願うアメリカ国民の最悪の未来だ。だからこそ、アメリカの観客の多くは映画『シャイニング』を「もっとも怖かった映画のひとつとして記憶」しているのである。また、キリスト教的価値観に立脚して小説『シャイニング』を執筆したスティーヴン・キングも、だからこそ事程左様に、映画『シャイニング』に対して否定的なのだろう。

 映画『シャイニング』がアメリカの観客に与えた恐怖の根源は、かつてアメリカを創った白人たちがインディアンに対して与えた恐怖そのものなのである。

                                       

【引用映画/参考文献/参考URL】

・『シャイニング 特別版 コンチネンタル・バージョン』

スタンリー・キューブリック監督、1980年、DVD(ワーナー・ホーム・ビデオ、2005年)

 

https://camarinlife.blogspot.com/2011/06/blog-post_05.html

 

http://www.prideandhistory.jp/topics/000718.html「インディアン殲滅作戦と酒」

 

・山川世界史小辞典(改定新版)、山川出版社、2011年

 

・『死ぬことが人生の終わりではない インディアンの生きかた』

加藤諦三ゴマブックス株式会社、2015年

 

・『ドクター・スリープ』スティーヴン・キング(著)、白石朗(訳)、文藝春秋、2018年

 

 以上でーす。終わり。