沈澱中ブログ

お笑い 愚痴

今更やが、ノルディック親父の話

僕にとって、水曜日のダウンタウンと並んで毎週の楽しみ、生きる希望となっているのが、相席食堂だ。一時間番組になったことで多少の不安はあったが、今のところはきちんとパワーダウンせずに面白いままだ。ダウンタウンが天下を取る過程を観ていた視聴者の気持ちが、千鳥を見ていると分かるような気がして、とても嬉しい。

ここから少し余談だが、以前、AbemaTVで千鳥がMCを務める「チャンスの時間」のニセ番組のオープニングをどれほど長く続けられるかというドッキリ企画に、金属バットが出演したことがある。他のコンビが数十分の記録を打ち立てる中、金属バットの二人は喫煙所で煙草を吸うシーンからオープニングを始め、一分そこらでさらっとオープニングを終えてしまう。ドッキリのネタバラシ後、「ラッキー、帰っていいんすか」「アツいな、めちゃめちゃええ仕事」と言って二人は煙草を吸う。スタジオではVTRを観た大悟が二人にクビを言い渡して盛り上がるが、僕はオープニングが始まってすぐに大悟が口にした「やめえよ、こういうの。昔のわしを思い出す」という言葉を聞いて大悟のM-1敗退コメント「これでテレビ出れるの最後かな~」を思い出し、また、黒澤明監督の『椿三十郎』でばっさばっさと敵を叩っ斬る椿三十郎に対して入江たか子演じる家老の奥方が言った「あなたはギラギラとして、まるで抜身の刀のようね。でも本当に良い刀は、きちんと鞘に入っているものですよ」という台詞を思い出してしまったので、どうしても「未だに抜身の金属バットと今や鞘に入った千鳥」と感じてしまい、あまり楽しめなかった。漫才は面白いネタが多いし、好きですけどね、金属バット。

閑話休題。相席食堂で一番笑ったのは何か。長州力回の「こんちはー、皆さん!」「食ってみな、飛ぶぞ」「凄いね、お前たちー」や、研ナオコ回の「すべての字を吸い取ってんねん」「もう絵なんよ」、ダイアン津田回の「サックスと空手とバカ」、高橋ジョージ回の「田村のターキー」、テッシー回の「変化する帽子の数字」、チャーリー浜回の「チャーリー浜と末成由美の会話」、中尾彬&池波志乃回の「SO〜」などと迷ったが、やはり一番はノルディック親父である。しかしここで一つ言っておきたいのは、僕が死ぬほど笑ったのはあくまでも、「再登場したノルディック親父」だということだ。要するに、それまでのフリ込み、という訳である。

この回は千鳥の故郷にゲストが訪れるという一時間スペシャルだった。大悟の故郷を訪れるゲストは、「大喜利がマジで結構面白い」でお馴染みのDJ KOO、ノブの故郷を訪れるゲストは、「たまにダウンタウンDXとかで見かける、くらいの認識の他府県民にとっては面白いかもしれないが、大阪人からしたらマジでもううんざり」でお馴染みの西川きよしだった。

ノブの実家で両親と西川きよしが話をするところからスタートし、その後、西川きよしは外に出る。そこで、しっかりとジャケットを羽織り矍鑠としているように見えるノブの父親が、杖を両手に持って画面に現れる。「ちょっと待てぃボタン」が押され、両手に杖をつかなければならないほど老けたのかとノブは嘆き、「ノルディック複合みたいなんで来た」と口にする。咄嗟に「ノルディック複合みたいなんで来た」が出るノブのセンスはやっぱり凄い。「スキーみたいなんで来た」では、そこまでの笑いの威力はない。笑いの構造を分析して理論的に解明することはある程度できるし面白いと思うが、こういう「ノルディック複合」というワードの持つ面白さみたいなものは、どうしても感覚的な話になってしまう(もちろん、「ノルディック複合」という、知ってはいるがパッとは出てきにくい単語で喩えることにより、盲点を突かれると同時にすとんと腑に落ち云々かんぬん……と、ある程度合理的な説明は付けられるだろうが、やはりそれだけに留まらない何かが厳然と存在している、と僕は思う。令和一発目のアルピーラジオで、うしろシティの金子が狙ってる女の子は誰似かと訊かれて即座に答えた「本上まなみ」とか)。

で、まあ話を戻すと、ここからノブのお父さんは画面から姿を消し、西川きよしはノブの実家を離れてノブの故郷散策へ繰り出そうとする。ところが、ノブのお母さんがやたらとしつこく西川きよしの後を付いて回り、ついに西川きよしはお母さんの呼び掛けを無視する。千鳥の二人は、「ロケしとんのにしつこいおかんやなあ、きよし師匠が無視したで、そんなんせん人やのに」と盛り上がる。

ノブのお母さんを無視して歩き出した西川きよしは、曲がり角ではたと足を止める。曲がり角を曲がったところに、杖をついたノブのお父さんが立ち尽くしていたのだ。突如として再登場し、何一つとして言葉を発さないノブのお父さん。「ちょっと待てぃ」ボタンが押され、腹を抱えて笑う千鳥の二人。大悟が「今年一番オモロい」と口にした通り、僕もこの瞬間、息が詰まるほど笑った。

この場面が死ぬほど面白いのは、大悟が指摘したように、「不意打ちで登場したノブのお父さんすなわちノルディック親父が何も喋らないから」と、「一度登場して存在を印象付けたあとで画面から消え、しつこいお母さんが新しいオモシロ対象になったところで、ノルディック親父が不意に再登場するから」である。もちろん、曲がり角を曲がったところで杖を両手についたノルディック親父が立っている、という絵面自体も強烈に面白い(後ろに黒の軽自動車が停まっているのも効いている)から某Tubeなんかでその一分ほどだけ切り取った映像がアップされるのも分かるが、「ノルディック親父は再登場である」「西川きよしに無視されるお母さん、という奇跡的に面白いミスディレクションがある」という文脈を踏まえないのは、やはり片手落ちだ。シリーズ作品ですがこの巻からでも楽しめます、という小説の惹句は大抵の場合嘘ではないが、1巻から読み進めないと真に面白さを理解したとは言えない。それと同じだ。

それにしても昨今、こうした「フリ」や「文脈」の軽視が甚だしいと僕は危惧している。たとえばネットでよく使われる、「めっちゃ早口で言ってそう」という言葉。あれは、2chポケモンに関するスレッドで、「鹿みたいなやつなに? 強いの?」というポケモンにあまり興味のない人の書き込みに対して、親切なポケモンファンが句読点なしでつらつらと解説をしてあげたら、「めっちゃ早口で言ってそう」と質問した奴に返された……というのがそもそもの出典だ。つまり、「質問に答えてもらっといて、なんやその理不尽な返事は」という笑いや、「でもこの教えてくれた人の文章、確かにオタクが自分の好きなジャンルについてめっちゃ早口で捲したてる感じあるわ」という笑いを含有した面白いフレーズが、「めっちゃ早口で言ってそう」なのだ。それがいつの頃からか、相手を貶め、嘲笑うためのしょうもない道具として使われるようになってしまった。まあ、これを本気で煽り文句だと思って使ってる奴は漏れなく馬鹿なので、そうした馬鹿をいち早く見つけて離れられるという利点はあるが、それを理由にこの言葉を許容するのは、戦争映画に傑作が多いからという理由で戦争を肯定するのと同じであるため、今後も僕は、煽り目的で使用されるこの言葉を否定していこうと思う。

余談ですが、2chのなんかのスレッドで「めっちゃ早口で言ってそう」と煽られた人が「早口に決まってんだろ。お前みたいな馬鹿にだらだら時間割くほど暇じゃねえから」と返していたのは、なかなかにクリティカルでした。あとサンド富澤の「ちょっと何言ってるか分からない」も、アレは「なんで分かんねえんだよ」というツッコミありきの言葉ですから、本当に何を言っているのか分からない発言に対して使うのは違いますし、況してや議論の場とかで、煽りのつもりでこれを言ったりこれを言ってる富澤の写真を送り付けたりする人もいますけど、完全にオウンゴールですからね。「ちょっと何言ってるか分からない」ってフレーズを言ってる奴の方が頭おかしいんですから。

余談の余談ですが、サンドウィッチマンを「人を傷付けない笑い」と称揚する人は、サンド伊達がカミナリのまなぶくんのブランド物のジャケットのタグに「ぐっち」と油性ペンで落書きしたりリュックに落書きしたりして楽しんでいる、というエピソードをどう思うのか、是非とも聞かせていただきたいですね。ギャランティが発生する番組内での「それでしか笑いを取れないダウンタウンによる後輩いじめ」を唾棄するならば、プライベートでのサンド伊達のまなぶくんへの仕打ちは当然、前者よりよっぽど悪質な後輩いじめとして断罪すべきですからね。

さて、「めっちゃ早口で言ってそう」然り、「ちょっと何言ってるか分からない」然り、文脈の上で成立していた面白い言葉が、そこだけ切り取られて、各人の意思に沿ったしょうもない使われ方をされるというのが、僕は好きではない(論文の引用のように正確な切り取りならば構わないが)。たとえそれが良い使われ方だったとしても、どちらかと言えばあまり好きではない。一定のパーソナリティが見えるアカウントが小説や映画の特定の台詞だけをツイートする場合はまだ、「ああ、この人はあの作品のあの台詞に魅力を感じんねんなあ」という感想を抱けるが、所謂「名言bot」みたいなアカウントが、小説の台詞を、作品背景もキャラの性格もそのシーンの状況も一切説明せず、そこだけ切り取ってツイッターに貼り付けて名言として賞賛する行為は、好きではない。この行為の延長線上には、美女の生首を刎ねて皿の上に載せ、「美しい」つって陶然とするホラー映画の殺人鬼がいると思うんですよ。相当な距離延長した先、とは言え。文脈を剥ぎ取った安易な名言の抽出は、美しくないどころか、おぞましさすら感じさせかねない。僕もやってしまいがちだからこそ、自戒を込めて、そう記しておきます。

もう一度言うが、マジでみんな、「文脈」を軽視し過ぎである。YouTubeTwitterでドキュメンタルの一部分だけ切り取った動画ばっかり見過ぎだ。ザコシショウと猿の人形とハーモニカの場面はあそこだけ見ても確かに面白いけれど、それまでの時間を費やして醸成された空気感を理解して観た方が面白いに決まっている。

「文脈」を踏まえずに物事の一部だけをつまみ食いして不味いだのなんだのと怒る貧乏性の人々が氾濫しているのは、半分くらいツイッターのせいだと思う。僕が、「ワロタ」「エモい」といったネットスラングも、淫夢ネタやら金曜ロードショーバルス祭りといったネットのノリも受け付けられないし、何なら語尾に「w」を付けるのすら好きではない……というジジイのように凝り固まった価値観を持っているからかもしれないが、ツイッターってホントに危険だと思いますよ。ウルトラの瀧の逮捕を受けてツイッター上で石野卓球にまで怒りの矛先を向けていた奴は全員、ツイッターという合法ドラッグにどっぷりと依存している。 瀧はコカインをやめられるかもしれないが、彼らはツイートを絶対やめられないと断言できる。

かく言う僕も、ツイッター嫌いなくせに、何か大きなニュースがあるたび、関連ワードでツイッター検索を掛けて色んな人の意見をついつい見てしまう。で、その度に「アホしかおらんのか」と苛立ち、しかもツイッターをやっていないからそのアホさを指摘できず、かと言ってアホを指摘するために距離感バグった文盲だらけの世界であるツイッターに飛び込むのも癪なので、ただひたすら家で一人苛々し続けるのだ。僕が一番のアホである。

さて、文脈に関しての愚痴をもう一つ。日本一の書評家(皮肉じゃなくガチで)である豊崎由美さんが、2017年のキングオブコント放送後に、「にゃんこスターなんかを凄いと絶賛している人は、◯◯(数日後に開催される演劇)を観に行きましょう! より爆笑できます」といったことを書いておられたのだが、これはおかしい。にゃんこスターがあのとき爆笑を取ったのは、「数多くの芸人が人生をかけて練りに練ったコントを披露する年に一度の場・キングオブコント」にて、「ダウンタウンさまぁ〜ずバナナマンが審査員」の中、「わらふぢなるお、ジャンポケがややウケ、かまいたちがドカンとウケ、アンガールズもまあまあウケて、パーパーでアレッ?となり、さらばが居酒屋ネタでドンッと盛り返した後に」、「伊集院光が推薦VTRで『この二人が優勝したら、長いお笑いブームが次の局面に入るかも』と述べてから」、満を持して登場した「審査員や観客、視聴者の大半が知らない謎の二人組」が、「普通のコントのイメージからはかけ離れたお遊戯会のようなネタをやり通してしまった」という文脈がある。だから、大ウケした。ある意味、当日の放送開始から一時間以上ずっと、もっと言えばキングオブコントという大会が創設されてからにゃんこスターが登場するまでの数年間がずっと、あの日のにゃんこスターのネタの前フリの役目を果たしていた訳である。それを、後になってYouTubeで4分間のネタの部分だけを見て(しかも、どんなネタをするかも知った状態で)、「クソつまんない。これで準優勝? 審査員、見る目ねえ……。やらせ?」とか言ってニヒルに笑う上から目線のバカ、ごねさらせ、とは言わないが、ドヤ顔でお笑いに口を挟むな、とは言いたい。豊崎由美さんがにゃんこスターをリアルタイムで観たのかYouTubeで観たのかは知らないが、「あの日あのときあの場所でのにゃんこスターのネタ」は、「演劇集団のとある日の公演」と単純に比較できる類のものではないと思うのです、どちらが上とか下とかではなく。「にゃんこスターなんかを凄いと絶賛している人は、◯◯(数日後に開催される演劇)を観に行きましょう!」ってのは、「伊坂幸太郎の小説なんかを会話が面白いと絶賛している人は、学天即の漫才を見ましょう!」って言うようなものです。小説内における会話の面白さと会話形式の漫才の面白さ、単純比較できますか? って話だ。多分小説を読まないお笑いファンが上記の発言をしたら、豊崎由美さん、怒りはるでしょう。

豊崎さんは2018年にも、「クソみたいな歌手と女優(指原莉乃松岡茉優)がずっとクソみたいな話(モー娘。の話)をしているせいで、ゲストの安藤サクラの話が全然聞けない。ほんとクソ番組」みたいなツイートをしておられたが、松岡茉優をマジでクソみたいな女優だと思っているのかお伺いしたい。もし本気でイエスと言うならばそれはもうしゃあないが、ついイラっとして言うてもうた、という場合には、ありゃりゃ、である。

瞬間湯沸かし器的にキレちゃう人(そしてそのキレ方が見てられない人)にはツイッターやらないでほしいな、というのが個人的な願望だ。匿名一般ピーポーならいいが、著名人にそれをやられると、本業ファンとしてはキツいものがある。あんな素敵な書評を書く人やのに、と思ってしまう。かつて「中二病」という言葉を巡って伊集院光に的外れな苦言を呈した日本語ラップのレジェンドとかも、音源はカッコいいんですよ。

あとさらにもう一個、にゃんこスターアンゴラ村長ダウンタウン司会のネタ番組で尼神インターの誠子に「あんたもブスやで!」と言われた際、「ジャンヌダルクはそんなこと言わない!」と返してスタジオが冷え冷えになり、ネットでも「意味不明」と盛大に叩かれたことがあったが、あれは多分、その少し前に放送された27時間テレビ内の「さんまのお笑い向上委員会」(出演者全員が世界の偉人に扮装するというオモシロ企画だった)で、尼神・誠子がジャンヌダルクに扮していたから、それを踏まえての発言だろう。まあ、だからって別にあの場でそれを言うのは的確でもないし面白くもないから擁護はしないが、一応全くのデタラメを口にした訳ではないと思うよ、とは述べておく。アンゴラ村長は少なくとも、アンゴラ村長のあの失態を猛烈にdisる人々の大半よりも、文脈というものを意識していたのだ。アウトプットの仕方には盛大に失敗したが。あと、アンゴラ村長は誰が何と言おうと、顔が可愛い。

キングオブコントと言えば今年2019年の大会についてやが、という話をし出すと文字数が一万を超えてしまうので、この辺で筆を措きます。皆さん、相席食堂、超面白いので観ましょう! あらゆる物事に関して、文脈を考慮しましょう! 以上!