沈澱中ブログ

お笑い 愚痴

ブログ閉鎖

ブログを閉鎖する。四月が来てしまう前に。理由はシンプルに、飽きてしまったからだ。最近、無気力感がえぐい。就活からの逃避願望が原因だ。現在細々と自営業みてえなことをしているのだが、まあそれだけで食ってはいけない。爪に火を灯す生活をすれば何とか……とも思ったが、恋人が手マン好きなため生憎常に深爪だ。灯す余地がない。そういや、深爪って名前の人、Twitterにいるよね。よう知らんけど。んでまあ、やってけねえので、大人しく就活をせねばならない。四月から、大学四回生なんで。しかし、この就活というのが非常に鬱陶しい。面白くない。だからここ数日、就活を放り出して自室にこもり、OMSBの『Think Good』を一日中聴いている。俺にとって、日本語ラップの中で一番の名盤だ。んで、このアルバムを聴きながら本とか漫画を読んでいる。自由とは義務を履行した者だけに与えられるべきものだと思っているが、であるが故に逆説的に、義務を放棄して咀嚼する娯楽には、瑞々しい自由の味が感じられる。ただその背徳的な自由の味、換言すれば堕落の味は、味わい過ぎると、あるとき唐突に、耐え難い苦味へと変わる。あまりにも夏休みを無為に過ごし、中盤辺りではたと「何してんねや。これからどないしよ」と醒めてしまうような感覚とでも言おうか。ここら辺の複雑な感情のさらに先にある感情を、OMSBは最新曲『波の歌』にて、「度を越えた自由は不自由と知る」と言い表した。かっけえ。

ホンマはまだブログを続けて、色々書きたいこともなくはない。ただいかんせん、気力がない。ので、タイトルだけ列挙していく。「俺はホアキンJOKER』より『ダークナイト』を圧倒的に支持する」「北野タケシと黒沢キヨシ〜日本映画を更新するツービート〜」「安倍政権大嫌いやけど、日本アカデミー賞最優秀作品賞が『新聞記者』ってのは……」「キングオブコント2020の審査員は、大竹まこと松本人志小林幸太郎設楽統、飯塚悟志の五人にしてくれ(と書くと、大概の人がチョップリンではなくラーメンズに空目するだろうか)」ゾフィーから目が離せない」ジャルジャルのコント(及びYou Tube上のネタのタネ)における暴力性と井筒監督の『ヒーローショー』について」「僕がアルピー平子の瀬良社長ネタやシソンヌじろうの『一見、悪徳に見えて〜』シリーズを苦手なのは、園子温映画のこれ見よがしさと過剰さに対する拒絶感と通底している」「華麗なるシソンヌ」「令和を迎えた今、職業に貴賎はないことを改めて主張したいし、僕は芸能レポーターを職業とは認めていない」「NON STYLEの漫才にノレない焦りと諦念」「かが屋のコントでSuicaが頻出することに関する、考察めいた雑感」「それでも僕は島田紳助が大好きやった」「君はあいみょんの『君はロックを聴かない』ばかり聴いているね」「伊藤潤二の漫画における恐怖と笑い」「漫画『ザ・ファブル』のオフビートな笑いとヒリつくような暴力の素晴らしさについて」「チャップリンの映画とアンジャッシュのコントにおけるすれ違いの美しさについて、及びアンジャッシュのコントと新本格ミステリが孕む逆説的な人間らしさについて」「売れてるものが一番良いってなら、この世で一番旨いラーメンはカップラーメンだよ……という名言は比喩として破綻している」「漫画村利用者の『お前らもどうせAVを無料で観てんだろww』という開き直りは案外、多くの成人男性の痛いところを突いているという事実から、我々は目を背けてはならない」「我が永遠のアイドル バスター・キートンの格好良さと不気味さ」「映画『奥田民生になりたいボーイ〜』を観て、ふと思った。多分僕は、倉本美津留になりたいボーイだ」

タイトル書いたらやっぱちょっとだけ補足的に書きたいことが生まれたので書くが、2019年のキングオブコント2018年に引き続き、ネタは面白くて番組は面白くないという、凄まじく変な大会でしたね(という話を今更する)。個人的にはゾフィーが、一時期のIPPONグランプリにおけるバカリズムくらい圧倒的に優勝でした。アイデア、視覚的な面白さ、ワードセンス、風刺性、演技、全てが抜群です。2017年の決勝でゾフィーが披露した「メシ」ネタは、アレを男尊女卑、女性蔑視と批判するほど馬鹿ではないですが、単純にあんまりハマることができなかったので、不倫会見ネタを観て、ゾフィーってこんなオモロかったんや、いつぞやのGW明けの「らじおと」での伊集院光大絶賛をもっと真に受けとくべきやった、と後悔&感動しました。それ以来、ゾフィー好きなんですよ。しれっと第7世代ですみたいな顔をしているとことか、チェだぜ!を推す居酒屋の社長とシティボーイズフォロワーの熱血コント村村長のコンビってとことか。YouTubeの公式で「許されざる悪」ってコントが上がってるんで、是非それ観てください。

あとはまあ、みんな大好き、かが屋について。なんかの番組で、バカリズムアンジャッシュのコンビ名の由来を小馬鹿にした流れで、「普通、家で一人でいるときに、『ああ、昨日の旅行楽しかったなあ。あ、そうだ、写真撮ったんだった。あいつにも送ってやろっと』とか大きな声で言わないじゃないですか。リアリティがない。そこをアンジャッシュは、あえてね、分かりやすく言ってしまうという、その親切心」と半笑いでイジっていたことがあったが、キングオブコント決勝のかが屋のネタが少なくはない人々に理解されなかったのを見ると、「テレビで披露する」という点においてはアンジャッシュの説明台詞は正しい選択なのかもしれないと思い知ったし、かが屋にはその正しい選択をこれからも拒み続けて欲しいとも思った。アンジャッシュのコントも面白くて好きですが。

それからもう一つだけ、上では「大竹まこと松本人志小林幸太郎、設楽統、飯塚悟志キングオブコント審査員になってくれ」と書いたが、それが無理なら、もう一層のこと、浜ちゃんが一人で審査すりゃいいよね。司会進行も当然浜ちゃんで。点数を付ける審査が嫌なら「ごっつオモロい」「オモロい」「まあまあ」「オモンない」「全然オモンない」の五段階のボタンのうちのどれかを押すだけでもいい。現行の審査員五人体制よりも割とマジでいい気がする。浜ちゃんが審査員なら、荒削りなド下ネタに爆笑して「ごっつオモロい」を押し、シュールなネタ、技巧派なネタをよく飲み込めずに「オモンない」を押しても、俺は許せる。逆に、ビジュアルバムやごっつなどで数々のキャラを演じたコント師としての矜持から、照れ笑いを浮かべつつめちゃくちゃ的確な審査、コメントをしたら、それはそれで超絶格好いいし。

なんて絵空事を書きながらも、無気力感は一向に治まらない。まあなんていうか、猛烈に死にたいですな。嫌なこと、投げ出したいこと、逃げ出したいことは山ほどあるが、死にたいと思うほどヘヴィな理由はない。死んじゃったワニに関して色々騒ぎになっているのを目にして人間社会にうんざりしたこととか、そのワニが死んだ日に自宅の400km東で大好きなピン芸人のライブが開催されて「ああ、観たかったなあ、チケット取れりゃあなあ」と整理を付けていたはずの気持ちが再び荒ぶったこととかは、まあ辛いが、死ぬほどの理由じゃない。でも、生まれつき人よりほんの少しだけデカい希死念慮の上にそれらの細々とした理由が積み重なった結果、俺は今、猛烈に死にたい。『タイタンの妖女』は、どんなに些細でくだらない理由でも生きる理由になり得ると我々読者に教えてくれる。でもそれは同時に、どんなに些細でくだらない理由でも死ぬ理由になり得るということを意味しているのかもしれない。

これまで、死にたいと思ったとき、どうやって乗り切ってきただろうかと自問自答する。まあ厳密に言えば、肌寒い日に一枚カーディガン羽織るような感じで、毎日薄っすらと死にたいのだが、それはひとまず置いておいて、マジで死にたさがマックスになったとき、俺はどうやって乗り切ってきたのだろうか。残念ながら、その答えは「家族や恋人や友人の存在」ではない。死にたいときに恋人とデートをすると、こんな可愛くて素敵な子がいながら死にたいと思うなんて俺はなんてクソ野郎やと益々自己嫌悪に陥るのだ。まあ、実際クソ野郎やが。

これまで、そして恐らくこれからも、死にたいと強く願う俺を支えてくれたのは、娯楽だ。お笑い、漫画、映画、小説、音楽、飯、酒、煙草。娯楽は所詮、社会や人生の余剰、無駄でしかない。でも、無駄にこそ人生の本質は宿ると俺は信じているし、かの坂本慎太郎だってこう言っている。「音楽は役に立たない。役に立たないから素晴らしい。役に立たないものが存在できない世界は恐ろしい。」

今ここまで文章を書いていて、唐突に、二つの記憶が脳裏を過った。一つは話の流れにピタリと当てはまる記憶、もう一つは微妙に脱線する記憶。着地の仕方は分からないが、何も考えずに書き始めたブログだ。脳味噌の赴くまま、その記憶を書き記すこととしよう。

一つ目は今から二年前、大学一年生の終わりのことだ。そのときも、今みたいに死にたいと思っていた。無気力にだらだらとしていた俺は、はたとテレビを点けた。Mステに小沢健二が出るとラテ欄で見たのを思い出したのだ。もちろん年齢的に後追いではあるが、俺は小沢健二のファンだ。画面にオザケンが映し出された。間一髪、歌を披露する直前だった。そこで初めて俺は、オザケンが「ラブリー」を披露すること、そして誰かSPゲストがいることを知った。オザケンは「ラブリー」について語っていた。この歌は曲調も明るく歌詞も明るい感じだが、実は自分がどん底にいるときに作った曲だと。夜が深く長い時を超える前に、朝が来る光など分かっていなかったときに、いつかどん底が終わると信じて「ラブリー」を作ったのだと。オザケンは俺に向けて語りかけているのか? そんな妄想に駆られるほど、そのときの俺に響く言葉だった。そこで不意に、俺はSPゲストの正体が判った。満島ひかりだ。根拠はなかった。オザケンと親交があることとか、そのときのMステに三浦大地も出演していたことなどが頭の中でぐるぐると渦を巻き、満島ひかりという名が弾き出されただけだ。「お前が満島ひかりファンやから、出て欲しいと思ってるだけやろ」と俺の中の冷笑くんが口にしたが、俺は心の奥底でどういう訳だか確信していた。SPゲストは間違いなく、満島ひかりだと。

そして、ピンクのシャツを着たオザケンが軽くギターを鳴らし、「LOVELY LOVELYで〜」と歌い始めた。オザケンの声に、女性の美しい声が重なっていた。オザケンだけをズームで写していたカメラがゆっくりと引いていき、「完璧な絵に似た」という歌詞とともに、鮮やかな緑のドレスを身に纏った満島ひかりの姿が画面に現れた。並んで歌うオザケン満島ひかりのその画こそがまさに、「LOVELY LOVELYで完璧な絵」だった。歌を聴いて涙を流したのは、人生で今のところあの瞬間だけだ。「ラブリー」を歌い、「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」を歌い終えると、二人は笑顔で握手を交わした。もうちょっとだけ生きよう。何の躊躇いもなく、俺はそう思った。

もう一つの記憶は、それよりさらに遡る。小学校低学年のときの記憶だ。場所は幼馴染の家だった。当時流行っていた爆笑レッドカーペットを録画し、二人で一緒に観たのだ。今となってはこうしたショートネタブームの功罪、みたいな面倒臭いことも考えるが、当時の俺達はただひたすらキャッキャ言いながらレッドカーペットを観ていたし、あのあらゆる人間を小馬鹿にした編集のエンタの神様だって楽しんでいたし、学校で友達とズクダンズンブングンゲームをしたりしていた。はんにゃのYahoo!ニュースに対して、「こいつらが流行ってた過去なんかないから」というコメントを見たので、一応記しておく。ズクダンズンブングンゲームは確かに流行っていた。そして、やってみると結構楽しかったよ。

話を戻そう。幼馴染と二人でレッドカーペットを観ていた俺達は、あるコンビの漫才を観て死ぬほど笑った。文字通り、死ぬほどだ。彼らの名は、ザ・パンチ。のちにM-1グランプリで最下位になったり、くずの歌を歌ってクズから金を貰った宮迫と一緒に謹慎したりすることになるとは露知らず、俺達はザ・パンチのネタで死ぬほど笑った。裏笑いとかスベリ笑いじゃない。そんな概念を小学校低学年は知らない。ただ純粋に面白かったのだ。

俺が人生で一番笑った瞬間は、あくまでも瞬間的な爆発力という観点から言えば、間違いなくあのときのザ・パンチだ。

俺らはとにかく、何かに取り憑かれたように笑った。平山夢明作品に出てくる「ヤクザにすらドン引きされる殺し屋」みたいな見た目のパンチパーマが、登場するや否や、半笑いで「ちゃーっす、ちゃっちゃちゃーっす!」と言った瞬間から、俺達は手を叩いて笑っていた(平山夢明原作の映画『ダイナー』、蜷川実花が監督だからダメだろうとは思っていましたが、やっぱりダメでしたね)

陽気さと華やかさを失ったロンブーの淳、みたいな見た目の方が、出たがりのAV監督みたいにねっとりとした粘着質の声で「もう死んでえ 水のないプールに飛び込んでえ なあ! 肘ガンッてなれよ、お前ェ!」とツッコミ()を入れると、俺達は床に伏せ、身を仰け反らして笑った。死ぬほど笑った。比喩ではなく、本気で呼吸困難になって死ぬかと思った。二人して、腹が千切れるほど笑った。1分半ほどのネタを見終わるや否や、俺は「もう一遍見よ! 巻き戻して! もう一遍!」と息も絶え絶えになりながら懇願し、もう一度見た。そして、死ぬほど笑った。今度は俺が「もう一遍見よ」と言うよりも先に、幼馴染がゲラゲラと笑いながら巻き戻しボタンを押していた。何度も何度も繰り返し見ては死ぬほど笑い、もう俺達はこのまま笑い過ぎて気が狂うのではないか、笑い死ぬのではないか、と半ば本気で思い、そして、こんなに笑いながらならば死んでもいいや、とすら、酸素不足でぼーっとなった頭の片隅で考えていた。端的に言って、幸せだった。だが何故か、「あかん、笑い死ぬ!ヤバい、ほんまに死ぬ!」と言いながら見た14回目のザ・パンチは、全く面白くなかった。13回目までは死ぬほど面白かったのに、突如として、何の前触れもなく、急激に面白くなくなってしまった。俺達は顔を見合わせ、小さく乾いた笑いを洩らした。不意に終わりを告げる思春期の恋のようだった。

最近になり、あの日に観たザ・パンチの映像を某Tubeで見たが、何故14回目に突然面白さを感じなくなってしまったのかという謎は解けなかった。それどころか、そもそも何故あのネタであそこまで笑ったのか、という新たな謎が生まれてしまった。

ここまで書いてふと、そういやあのザ・パンチで死ぬほど笑っていた頃は、死にたいなど全く思っていなかったなあ、とちょっと切なくなってしまいましたとさ。

ちなみに、このとき一緒に腹を抱えて笑った彼は、来月からお笑い養成所に通う。芸人を、漫才師を目指すのだ。数ヶ月前に飲んだとき彼は「学校に通ってお笑いを学ぶとか訳分からんけど、相方おらんからしゃあない。手っ取り早く見つけるために、通ったるわ」というハイパー上から目線で語っていた。既に尖っている。鞘に入れ、鞘に。『椿三十郎』を観た方がええぞ……と俺は苦笑しつつも、でもそんな尖った友達の姿を見て嬉しくなった。彼はそれから、屈託のない笑顔を浮かべ、芸人を目指すことについて「人生で一番ワクワクしてる」と述べた。酔った勢いで熱い応援なんかするのはサブいから、「頑張りやー。売れたら奢ってな」と軽く応じたが、俺は心の中で、「絶対売れてくれ!」と叫んでいた。100%このブログは読んでへんやろうけど、というか読んでへんやろうから書けるが、マジで頑張ってくれ。RHYMESTERは、「夢、別名、呪い」と言った(正確には、仮面ライダーかなんかの台詞らしいが)。呪いで、大いに結構だ。芸人という華やかな夢に呪われたり、ウザい講師を呪ったりしながら、突き進んでくれ。アホみたいに売れてくれ。俺も頑張る。まずは手始めに就活を、でもいずれは、今やってる自営業(就職後は「副業」か)一本で食えるよう目指して、恐らく出会うであろうウザい上司に積年の恨みを込めた頭突きをお見舞いして退社するよ。ほんで、今吸ってるショート・ピースから、ぶっとい葉巻に切り替えるわ。成金丸出しのスーツ着て、葉巻ふかして地元で待ってるから、売れっ子芸人として地元に凱旋してくれ。そしたら、この前みたいな居酒屋じゃなく、気取り腐った高級レストランでガハハと哄笑しながら飯を食おう。もしお互い夢破れてダメになったら、安い居酒屋で「え、これ手ェ消毒する用のアルコールちゃうよね? 飲めるアルコールよね?」みたいな味の酒を飲みながら、「人生の選択、ミスってもうたな!」つってゲラゲラと強がって笑い、アルコールの涙を一緒に流そう。仮にそっちが夢破れて俺だけ成功したとしても、友情は変わらないから安心してくれ。もしそっちだけ売れっ子芸人になって俺がしっちゃかめっちゃかになった場合は、このブログを再開して、長文で粘着質に攻撃するから悪しからず。ブログ閉鎖と銘打ったが、そのときに備えて、過去記事やアカウントを削除したりはしない。更新をストップするだけだ。

さてと、構成もクソもない文章はこの辺でお終いにしよう。これにて、ブログ閉鎖だ。本稿を含めて、投稿記事10、読者4、総アクセス数1万程度という弱小ぶりだが、かつてのズクダンズンブングンゲームと同じくらい楽しかった。短きに亘るご愛顧、誠に感謝。

世界中の幸福な人々が、ほんの少しだけ不幸な目に遭いますように。そして、世界中の不幸な人々の許に、ほんの少しだけ幸福が訪れますように。そんな祈りを捧げてから、筆を措く。ほいじゃね、バイバーイ(©︎神保マオ)。終わり。