沈澱中ブログ

お笑い 愚痴

江戸の風を嗅いでみたい

 2020年5月5日の爆笑問題カーボーイの冒頭数十分のトークは、爆笑問題をやっぱ好っきゃねんと感じさせる放送でした。放送全体で一番印象に残っているのは、その後のネタメール「もし小池都知事が漫才師になったら、ツカミで『別嬪さん、別嬪さん、2メートル飛ばしてソーシャル・ディスタンス』」だったりしますが。

 さて、同日放送の「伊集院光とらじおと」も、爆笑問題トークに負けず劣らずグッときた瞬間があった。伊集院の師匠・三遊亭円楽をゲストに迎えた事前録音を聞き終えた伊集院光が竹内アナに、「やっぱり、竹内早苗の仕業だったか(笑)でも、何かありがとうというか、恐らく望んでいたんだろうって気がします」と告げた瞬間だ。コーナー本編のやり取りの数々も良かったけれど、個人的に一番グッと来たのはあそこでした。

 本編で円楽は、千原ジュニア風間杜夫などが落語に取り組んでいることについて、演じ手にせよ聴き手にせよ、落語に興味を抱く人が増えることは喜ばしいといった趣旨のことを述べていた。その言葉を聞いて、オリラジの中田敦彦が落語について語るYouTubeを観てみようと思った。あっちゃんと記載していないことから察せられるかもしれないが、俺は中田敦彦が好きではない。理由は、まあ色々と書けるっちゃあ書けるのだが、一番は、何か好きになられへん、という元も子もない理由だ。津原泰水の『赤い竪琴』という、平野啓一郎の『マチネの終わりに』と同じくらい好きな恋愛小説の一説に、「人はしばしば理由なく他人を嫌う。これは動物的な習性だから、自分にも他人にも制御のしようがない。分析できても対処はできない」というのがあるのだが、要するにそれだ。だから、ある日YouTubを漁る中で、落語を紹介する「中田敦彦のYouTub大学」を見つけたときも、ふんと鼻を鳴らして終いだった。のちに、立川談慶の著書に依拠した動画内容だという情報を目をしても、観る気にはなれなかった。でも、あの動画を観て落語を聞いてみた、観てみたというコメントを目にしたことがあるので、「落語に興味のある人を増やしている以上、ええ動画なんかもしれん」と考えを改めたのだ、円楽の言葉を聞いて。

 そこで早速、【落語の歴史】の1と2を観てみた。落語の歴史や面白さ、他の伝統芸能との違いなどを中田敦彦が語るのを、「河合塾にこんな口調の講師おったなあ」とか「時間の関係か知らんけど説明はしょってんなあ」とか思いながら観たが、コメント欄で現役の落語家達が感謝を伝えているのを見たり、多くの人が落語に興味を持ったとコメントしているのを見ると、やっぱそれだけで文句言う気にはなれんよなあと思った。落語に関する動画は他に四つあったが、それらはサムネイルやタイトルから判断するに、名作落語のあらすじ解説だったので、観ずにブラウザを閉じた。

 で、この動画を観たせいで落語が聴きたくなり、CDで笑福亭松鶴の『らくだ』を聴いた。1973年スタジオ収録、松鶴が55歳のときの音源だ。脂が乗り切り、絶品だ。何故か異様に艶っぽいだみ声と、荒っぽいのに品がある大阪弁。歯切れよく勢いたっぷりの口調。そして何と言っても、登場人物の演技が抜群である。『初天神』の父子の軽快な応酬、『高津の富』のおっさんの調子ええ法螺吹きっぷりと憎めない人間味、『貧乏花見』の貧しいながらも精一杯楽しんでやろうというバイタリティ溢れる長屋の二人など、松鶴の落語の登場人物はスマートで立派な人間ではないが、思わず好きになってしまう人間ばかりだ。それはもちろん台本の特性であるが、同時にやはり、松鶴の演技が見事だからこそそう感じられるのだろう。ちなみに、東出昌大笑福亭松鶴が好きらしい。味わい深い話っすね。どうでもいいが一応言っておくと、東出昌大唐田えりかの不倫は最低だ。でも、小籔千豊は数年前テレビで、「俺がこんな顔やなかったらもっと説得力があるんやけど」と自嘲気味に前置きした上で、こう言っていた……「不倫はアカン、最低や。でも、恋ってそうやん?」全く持ってその通りだと思う。匂わせ云々も最低やが、こちらに関しては俺の恋人がこう言っていた……「私があの立場でも絶対匂わせはする。というか今なんて言ってようが、いざその立場になったら、女子の九十パーは匂わせする」そうらしいです、知らんけど。あと、東出昌大唐田えりかは杏を大いに傷付けたが、それでも二人が主演した『寝ても覚めても』が傑作であることに変わりはなく、黒沢清映画での東出昌大の不穏な佇まいの素晴らしさにも変わりはなく、『凪のお暇』やKIRINJIの『killer tune kills me feat.Yon Yon』のMVでの唐田えりかの素晴らしさにも変わりはない。『killer tune kills me feat.Yon Yon』を収録したアルバム「cherish」はその年ベスト級どころか、キリンジ〈KIRINJ〉の歴代アルバムの中でも屈指の出来栄えでした。

 さて、俺は落語にあまり明るくないが、『らくだ』を聴いていて改めて思った。笑福亭松鶴ほど酔っ払いの演技がうまい落語家はいないはずだ。ホンマに飲んで酔うてんちゃうんか、と疑いたくなるような酔いどれ口調を聴いている内に、日本酒の味やそれを飲んだときの陶酔感を思い出し、ついつい酒を取りに冷蔵庫に向かってしまう。大して高くない日本酒も、松鶴の『らくだ』を聴きながらだと滅法旨い。ホンマは音源を聴くだけじゃなく動画で観たいんやが、今も残っているのは脳梗塞の後遺症が残った最晩年の映像が殆どで、最初から最後までずっと活舌が悪く、ホンマに悲しいが、あまり観てはいられない(桂米朝曰く、酔っ払いの演技をすれば活舌を誤魔化せるからと晩年は酔っ払いが登場する演目ばかりやったらしいが、正直、誤魔化せていない)。

 俺が松鶴の落語を聞き始めたのは中学生のとき、『人志松本のゾッとする話』を某Tubeで違法視聴したのがきっかけだ。そこで笑福亭鶴光が、師匠の松鶴にまつわるゾッとする話をしていた。

 松鶴の弟子として運転手を務めていた鶴光はある日、寄席の出番に間に合わないから近道のために一方通行の道に入れと松鶴に命じられる。逆走ですからと断ると、「誰が決めたんや。法律? 一般の法律はそうでも、噺家の法はわしや」と滅茶苦茶な返事が返ってくる。それ以上逆らえずに一方通行の道を逆走すると、向こうからトラックがやってくる。「クラクション鳴らせ」と松鶴に命じられ、逆らえずにクラクションを鳴らす鶴光。すると、屈強な運転手がトラックから降り立ち、スパナ片手に近付いてくる。「行け。行け、行け。芸人は修羅場をくぐって一人前や」と松鶴に言われた鶴光は、任侠の世界やないんやからと思いながらも車を降り、トラックの運転手に土下座する。必死で事情を説明し、何とか道を譲る約束を取り付けた鶴光は、車内に戻る。「でやった?」「何とか許してもらいました」「ほうか」松鶴は頷き、トラック運転手を指差して続ける。「あいつ、スパナ持ってたやろ? あいつがスパナをお前の頭にパーンっと振り下ろした瞬間、俺は出ていってあいつをボコボコにするつもりやった」「そのとき、私死んでます」

 俺はこのエピソードで爆笑し、落語など一度も見たことなかったくせに、落語みたいやな、と感じた。この強烈なエピソードと、鶴光が「ウチの師匠、笑福亭松鶴いうんですが」と語り出したときに松っちゃんが言った「大師匠ですよ」という合いの手、そしてネットで調べて出てきた松鶴の顔の得も言われぬ色気に心を打たれ、俺は松鶴の落語を聞き始めた。落語なんて小学生のときNGK桂文珍の噺を聴いた以外まともに触れたことがなく、饅頭怖い以外の落語の演目を一つも知らなかったため、最初から全て面白く聞けた訳ではなかったが、分からないなりに聞き続け、気付けば好きになっていた。松鶴以外の名人もちらほらと観る/聞くようになった(古今亭志ん朝の芝浜を何の前情報も知識もなく観たというのは、今思えば贅沢だ。サゲで普通に感嘆の声が出ました)。

 初めて落語を聞いてからしばらく経った。でもずっと熱心に聞いてきた訳ではなく、ファンと呼べるほど好きな人は少ない。特に江戸落語に至っては、殆ど無知だ。大阪の人間やから大阪弁の方が肌に合うというのもあるが、何より、志ん朝の芝浜にいたく感動したあとで聞いた志ん生が当時の俺にはピンとこなかったというのが大きい。以来、上方落語ばかり聞くようになってしまった。清水義範が好きなので、彼が原作の立川志の輔みどりの窓口」「バールのようなもの」だけは違法視聴してごっつオモロかったが、結局、江戸落語にがっつり手を伸ばすには至っていない(と書いてから思い出したが、サークルの先輩に「ラーメンズが好きなら観てみるといいよ」と勧められて観た柳家喬太郎はオモロかった)。

 でも、そろそろ江戸落語を聞いてみようと思う。名人と呼ばれる人は一通り聞きたいし、何と言っても立川談志を聴きたい。松っちゃんのVISUALBUMを「見事ですよ」と褒めていたし、上岡龍太郎立川談志フリークだし、伊集院光爆笑問題、神田伯山らの話を聞いていると、立川談志を知らないのは損なんかもと感じてしまう。そして何より、中田敦彦の動画でも紹介されていた「業の肯定」という立川談志の言葉を俺も使いたいのだ。「業の肯定」という言葉はあらゆる文脈に乗せられて用いられているが、言うてる人の大半は多分、談志の落語を聴いたことないと思う。でも俺は何となく、談志の落語を聴いて自分の中で面白い/面白くないの判断を下したこともないのに、「業の肯定」というワードを借用するのが嫌だ。そうしている他の人を否定も批判もしないが、あくまでも自分の中で。

 ということで思い立ったが吉日、Amazonで「立川談志全集 よみがえる若き日の名人芸」とやらを見たら、41,800円也。どっひゃーだ。高校生のときには数年分のお年玉をはたいてチャップリンのDVDコレクション7万円超を購入し、大学一年生のときには笑福亭松鶴のCDを二万円以上分購入したが、そのときよりも財布に余裕のある今、とても立川談志に四万円は出せない。これは、好みに合うかどうか分からない落語家に四万円は出せないという話ではなく、落語のDVDに四万円出すならその金で旨い酒を、飯を、恋人と色々……といったことを考えてしまうようになったからである。僅か数年の間に。芸術文化より肉欲。知的な興奮よりも肉体的快楽。これが畜生の浅ましさ。終わり。