沈澱中ブログ

お笑い 愚痴

細部に神を宿す前に、腐った骨組みをなんとかせえ

 今このブログを読んでいる、そこのあなた。あなた、お父さんは亡くなっていませんね? ……と、まあこう文字にして問うと、「亡くなっていませんね? ってことは、まだ死んでないよね?って意味やんな」と解釈をする人が大半だろう。ところが、これが会話だったらどうだろう。

「えっと、そうですねぇ……。あなた、お父さんが……、亡くなって、いませんよね?」

 ポイントはゆっくりと喋ること、「亡くなって」と「いませんよね?」のあいだに、完全に文章が途切れた訳ではない絶妙な間を作ることだ。すると、「まだ亡くなっていませんよね?」と「亡くなって、もうこの世にはいませんよね?」という二通りの真逆の解釈ができる問いに早変わりする。だから、問われた側は父親が死んでいようがいまいが、「はい」と答えてしまう(父親とは生まれた頃から音信不通なので分かりません、などの場合を除き)。

 と、まあこれは今さっき思い付いた雑な例だが、占いってのは要するにこの程度のペテンの延長だ。言葉遊びを駆使したり、多くの人に当てはまる曖昧で大きな特徴をさもその相手にだけ当てはまるかのように言ったりして、相手の反応を引き出しながら少しずつ話の焦点を絞っていく。大半の占い師がしているのは占いではなく、客を相手にした詰将棋だ。

 さて、ここで「大半の占い師」としたのは、俺が「ホンマやったら面白いから」を理由にあらゆる超常現象の存在を肯定しているからだ。本物の占い師も、この世にはきっといるはずだと信じている。であるが故に、インチキな超常現象を扱って飯を食う輩やそれらを検証もせず無責任に扱う番組に対しては、並の超常現象否定派よりも激しい嫌悪感を抱いている。だから最近、母親が『突然ですが占ってもいいですか?』というバラエティ番組にハマり出したときも、「こんなもん観なよ。昔も細木数子とか観てたけどさあ……」と苦言を呈した。だが返ってきた答えは、「信じてへんよ。信じてへんけど、暇潰しに見る分にはオモロいねん」だった。もし仮に我が家に視聴率調査のための機械が設置されていれば意地でも観るなと説得するが、幸か不幸か設置されていないので、それ以上は何も言わなかった。

 俺がこの番組にムカつくのは、出演者が到底本物の能力を持っているとは思えないからという理由だけではない。一番の理由は、BGMの選曲がやたらと良いからだ。日本のHIP HOPを中心に、ええ曲をたくさん流している。プロデューサーだか演出だか知らんが、まさか藤井健太郎に憧れているのか? バラエティ番組なのにこんなハイセンスな音楽をBGMとして掛けちゃいます、ってのはまず最初にバラエティ番組としての確固たる骨太な面白さがあった上で細部にまでセンスをぶち込んでいるからクールなのであって、占い師連中が街角で突然ゲリラ的に占いを持ち掛ける「占い突撃番組」なんかのBGMにクラムボンNASTWIGYくるりやKICKや鎮座DOPENESSやゆるふわギャングや眉村ちあきラッパ我リヤmabanuaスチャダラパーとEGO-WRAPPIN'の曲を流されたところで、むしろダサい。当店は食器にまでこだわってましてねえ、つって洒落たバカラのグラスを差し出されたけど、中身ションベンやんけ、みたいな。いや、美女のションベンなら飲みたいけどさ。そういや中学のとき、「食うとしたらうんこ味のカレーかカレー味のうんこか、ってヤツをマジで議論してみようぜ」って休み時間に男子で盛り上がり、「おっさんのうんこか美女のうんこかでも変わってくるよなあ」と誰かが言ったのに対して、「え? 美女のうんこなら、カレー味にするのは勿体無いやろ」と素朴な顔をして言った彼は、元気にしているだろうか。元気にしているといいな。修学旅行の夜に学年の人気者2人が漫才を披露し、その場が爆笑の渦に包まれる中、俺と君だけが笑っていなかったのを覚えている。俺は「このネタ、あのコンビのネタのパクリやん。YouTubeに挙がってるやつや。それに較べて間もテンポも悪いし」とクソウザい独白をしながら斜に構えて笑わなかったし、俺の斜め前で同じく笑っていなかった君は、あとでさり気なく理由を問い質すと、「俺、いつも笑い飯の漫才とかで笑ってるから、あんくらいじゃ笑われへんねん」と澄ました顔で答えてくれた。でも今なら分かるけど、あのとき他のみんなは面白いからという理由以上に、楽しいから笑っていたんだよ、きっと。プロに較べて……とか言いながら小首を傾げていた俺達は、サブい奴らだった。たとえ仮に内心それほど面白いと思わなくとも、その場の暖かな雰囲気に浸って微笑の一つでも浮かべられる方が、人としてよっぽど素敵だ。

 どうしてこんなことを思い出したかというと、昨日放送された水曜日のダウンタウンの「先生のモノマネ プロがやったら死ぬほど子供にウケる説」の中で1人、下唇を噛み締めてピクリとも笑っていない男子生徒を発見したからだ。番組内で無表情といじられていた先生の比ではない、マジの無表情だった。あの死ぬほど盛り上がった空気に何らかの抵抗を感じたのか、はたまた感情が驚くほど表に出ないタイプなのかは分からないが、とにかく、彼を見て、修学旅行の夜を思い出した次第だ。もちろん、たまたまカメラに映ったときだけ笑っていなかったのかもしれないし、何か理由があったのかもしれないから、あの場で笑わずに無表情なんておかしいやろ、何やねん、あいつ…‥などとは思わないが。

 あれ、もしかしたら、「突然ですが占ってもいいですか?」のような番組に対しても、ウチの母親みたいに腹を立てることなく面白がるような人の方が素敵なのかもな、と思い直して、昨日放送の「突然ですが占ってもいいですか?」の録画を観てみたが、沢村一樹が格好良くてみちょぱが可愛いこと以外はやっぱ観る価値なしやわ……と思わず舌打ちしてしまった。だが、目元をピンクの仮面で覆い、その上から眼鏡を掛けた色っぽいお姉さんが「ゲッターズ飯田の一番弟子 ぷりあでぃす玲奈」として登場した瞬間、腹を抱えて笑った。ゲッターズ飯田の一番弟子 ぷりあでぃす玲奈。声に出して読みたい日本語だ。最高過ぎる。「一丁前に弟子とってんのかよ」とか「一番弟子ってことは、他にも弟子おるんかい」とか「師弟揃ってなんちゅう名前や」とか「師弟揃って仮面の上から眼鏡やな」とか、とにかく色々と面白くて楽しい。あの番組を丸々微笑んで見る度量はまだ持てそうにないが、本物とは思い難い占い師に対して「このペテンが!」と眦を決するのではなく、「ゲッターズ飯田の一番弟子 ぷりあでぃす玲奈! 最高やんか!」と親指を立てられるくらいには、俺も大人になった。

 芸人の永野とももクロ高城れにがライブで、オレンジ色の目元を覆う仮面を付けて「浜辺で九州を自主的に守る人たち」というネタを披露したことがあるのだが、ゲッターズ飯田とぷりあでぃす玲奈の二人でリメイクして欲しい。「酒場で客を自主的に占う人たち」とかなら、「突然ですが占ってもいいですか?」のコンセプトそのままだし、ちょうどいい。東京から九州に来た人には優しく応対したのに、千葉から九州に来た人に対しては銃をぶっ放す……という元ネタの如く、相手が会社員や学生なら優しく占うけれど公務員だった場合は途端にゲッターズ飯田とぷりあでぃす玲奈が口を揃えて罵倒の限りを尽くす、みたいな展開はどうだろうか。多分日本で俺しか笑わないが、是非とも観たいものだ。終わり。