沈澱中ブログ

お笑い 愚痴

Twitter、始めました。

Twitterを始めた。目まぐるしく変化する社会を予測することは個人レベルでは困難ですから、せめて変化を敏感に察知し、適応する力を身につけねばなりません、そのために私はTwitterアカウントを作成し、日々ニュースや話題とそれに対する人々の反応に目を通しています……という嘘をエントリーシートや面接で並べ立てているうちに、ホンマにやってみようという気になったのだ。アカウント名は最初、「ノッポさんbot」にしようと思った。閲覧専用のアカウントにして1つもツイートをしなければ、botやけれどもノッポさんbotやからずっと沈黙しているという超面白いギャグが成立する。ただ、俺はノッポさんがついに喋った『できるかな』最終回の9年後に生まれたため、ノッポさんに一切の思い入れがない。そこで、そのまま「沈澱中ブログ」とした。アイコンは、兄貴が昔くれた何処かの土産。ヘッダーは、俺が以前ガチャガチャで収集した阿修羅と色違いの雷神二体の小さなフィギュアだ。@〜は、最初意味のないローマ字の羅列だったが、@ChindenAtaruに変更した。沈澱中と書いて、実は「ちんでん・あたる」と読む。@〜がユーザー名だと知ったため、名前っぽい読み方にしてみた。そういや、『ハケン占い師アタル』というドラマが以前あったが、主演していた杉咲花は超絶素敵だ。彼女の冠ラジオ『杉咲花のFlower TOKYO』は、自分で何か喋っては自分で笑ったり喋る前に笑ってしまったりと、とかく笑い声に満ちており、聴いていてとても心地好い。杉咲花の軽やかな笑い声を聴いていると思わず頬が緩む。誘い笑いの極致というか、誘い笑いを主軸に番組が進んでいる。あらゆる深夜ラジオの笑い屋を全て杉咲花が担えば、「面白いんだけど、笑い屋の笑い声が耳障りで……」とため息を吐く御仁はいなくなるだろう。尤も、杉咲花を前にして毒や下ネタを慎む深夜ラジオパーソナリティは見たくないし、深夜ラジオパーソナリティが発する毒や下ネタにケタケタと笑う杉咲花もあまり見たくはない。

と、まあこんな感じでだらだらと文章を書いてしまうタチなので、140字で何か書くってのはキツい。かと言って、長文を140字ずつスライスしてツイートするなら、ブログでいい。そう悩んだ末に思い至ったのが、備忘録としての使い道だ。割とベタな使い道。ブログに書くほどではない映画や小説や漫画や音楽アルバムの一言感想、面白かったバラエティ番組やラジオのやりとりのメモetcだ。政治関連のツイートはしない。政権批判あるいは非政権支持者の批判を繰り返せばフォローしてくれる人が簡単に現れるだろうし、そうなれば、今は「備忘録として使うから、別に0フォロワーでもええや」と思っていても、たちまち承認欲求の塊と化し、ついつい「アベシネ!」とか「チョンシネ!」などとツイートしてしまいかねない。過激派や差別主義者を生み出し、駆り立てる要因は、敵への憎悪ではなく、仲間や支持者からの声援だ。Twitterで延々と呪詛を垂れ流し、ぽつりぽつりと仲間を増やしていく醜悪なRPGは、健全な魂を殺す。そうならないように、魂を飲み込まれない範囲で、Twitterを使うつもりだ。俺はもし人生がしっちゃかめっちゃかになったら自動小銃を買って国会に乗り込み、スカーフェイスごっこして盛大に死んでやるというパワフルな決意を心の底で最後の一線として抱いているので、まあナンボ政治が悪くなろうとも政治のツイートはせずに、ボチボチ呟いていくつもりだ。

プロフィール欄には「はてなブログやってます。お笑い/映画/小説/音楽」といったよく見る趣味の羅列を記そうとしたのだが、「#〜な人と繋がりたい」というヤツや何らかのコミュニティに自分から入っていくことのできない厄介な自意識を抱えているので、そんなアカウントでプロフィール欄だけまともでもなあと苦笑した末、「ワンクリック詐欺です。https://uriver.hatenablog.com」という超ハイセンスな自己紹介を思い付いたのでそれにした。

あとは間違えて個人情報を晒さないことと、誰かにクソリプを飛ばさないことだけ気を付ければ良い(フォロワーの多さやRT・いいねの多さを誇らしいと思う感覚は理解不能だが、フォロワー10人未満とかで誰かに噛み付くリプライを飛ばしている奴は大概イカれている)‥…と思い、試しに投稿したブログ記事を二つ添付してツイートしてみた、その矢先の出来事だった。木村花さんというプロレスラーの逝去が報じられた。テラスハウスに出演していた彼女は生前、数多の誹謗中傷を受けていたそうだ。それを苦にした自殺だろう、そうした誹謗中傷は最低だ、誹謗中傷されたくなけりゃTwitterなんかやるな、誹謗中傷を批判する者は木村花さんが死ぬ前になぜ何も言わなかったんだ、今更言うなんて偽善だ……等々、様々な意見でTwitterは溢れていた。テラスハウス的なものに一切の関心はないし、そうしたしゃらくせえコンテンツを揶揄するためにわざわざ見ることもサブいと思っているので、木村花さんのことは今回の件で初めて知った訳だが、俺は木村花さんの死に対する様々な意見に目を通して、ふと疑問に思った。何故この人達は、木村花さんの死は自殺だという前提で話を進めているのだろう。まだそのとき、訃報が出た僅か数時間後だった。彼女が生前誹謗中傷を受けていたことが事実でも、死の直前にリストカットの写真を投稿していたという情報があったとしても、明らかにされていない死因を自殺と確定した上で何かを論じるのは違うと思うのだが、俺が過敏なだけだろうか。木村花さんの死因が何であれ、彼女への誹謗中傷は許されざる行為だ。そう語ることに何の問題もないが、自殺と断じた上でのツイートがあまりにも多過ぎやしないか。橋下徹のような逆張りをしたいのではなくて、純粋にそう思う。その可能性を疑わせる情報が確認できたからと言って、すぐさま「木村花さんは誹謗中傷を苦に自殺した」という筋書きに沿って大多数の人が抵抗なく何かを語ることに、一抹の恐ろしさを感じた。語っている内容が「誹謗中傷はいけない」という正論だから良いではないか、という考え方なのだろうか。木村花さんの死因が公表されていない段階で、「木村花さんへの誹謗中傷のように、不特定多数が個人を攻撃することは許されない」と語ることと「木村花さんへの誹謗中傷が彼女を自殺に追い込んだのだから、彼女を攻撃していた者は許されない」と語ることの差について、無頓着で無自覚な人があまりにも多い。自殺に限らず、人というのはとても呆気なく、軽く、冷たく死んでしまうものだ。だからなおのこと、その死を語る際にはもっとセンシティブになるべきだと俺は思うのだが、どうやら多くの人はそう思っていないらしい。春日の浮気が発覚したときにブチ切れた若林を気取る訳じゃないが、俺は自分の善悪の基準や倫理観、価値観に確固たる自信は抱いていないし、何ならちょこちょこバグってるとも思っているから、今回の件に関しても俺がひたすら過剰反応を示しているだけかもしれないが、でもやっぱ、「ちょっと合わんなあ、Twitter」と感じる出来事だった。

さて、誰かの死をブログで取り上げた場合、「ご冥福をお祈りします」で締めるのが正しいのかもしれないが、俺は丼物の上の半熟卵の如く、とりあえず置いときゃええんやろと言わんばかりに唱えられる「ご冥福をお祈りします」が大嫌いなので、言わない(無名の演劇人や芸人、ミュージシャンなどの訃報に際して、ヤフコメに溢れ返る「どなたか存じ上げませんが、ご冥福をお祈りします」という言葉は、一体どういう人間がどんな思いのもとどんな表情を浮かべて打ち込んでいるのか、甚だ疑問だ)。木村花さんの死を悼むことができるのは、彼女のことを真に大切に思っている者だけだ。木村花さんを誹謗中傷していた人にもそんな存在がいれば……と書きそうになったが、多分、木村花さんを誹謗中傷していた連中の大半は、ひとたびスマホやパソコンを閉じれば、目の前に大切な誰かがいると思う。家族や友人や恋人など、大切な存在が身近にいるのに、遠くの誰かを直接攻撃してしまえるのが、Twitterの悪しき特性であり、人間が抱えた醜さだ。色々書けば書くほど、Twitterを使う気がなくなってくるので、「猫 可愛い」で検索してみたら、可愛い動画が大量に出てきた。こういう点はいいね、Twitter。終わり。