沈澱中ブログ

お笑い 愚痴

祖母宅にて

2020年6月20日。朝からパチンコを打ち、8,500円を失った。霜降り明星版ダンシング・ヴァニティ、もといオールナイトニッポン0をリアタイして寝不足だったせいで、調子が出なかったのだ、ということにしておく。

それから、79歳の祖母と待ち合わせをし、焼肉を奢ってあげた。祖母の誕生日祝いだ。祖母は日頃人と喋る機会がさほど多くないせいで、焼肉を食いながら古舘伊知郎ばりに喋り続けていた。8年前に他界した夫の命日が2日後(6月22日)に迫っているためか、延々と祖父の話をしてくれた。安い日本酒を飲み倒して朝も夜も酔っ払い、今や廃盤になってしまったエコーという煙草をこよなく愛していた祖父。禿げていて、いつも腹巻とステテコ姿で、何処となく品川徹に似ていて、俺と兄貴の区別が最後まで付かなくて、小泉純一郎を筆頭に政治家のことが大嫌いで、中卒で、声といびきがデカくてやかましい人だった。そんな祖父のことが、俺は大好きだった。必ずしも正しい人ではなかったが、一本筋の通った人だった。RHYMESTERが名盤『Bitter, Sweet & Beautiful』で「正しさだけじゃ生きていけない/美しく生きよう 美しくあろうと願い続けよう」と告げるよりも前に、俺は祖父の姿を見て、美しく生きることを胸に刻んでいた。

飲んだくれの夫だったが仕事をずる休みしたことは一度もなかった、職人として周囲から尊敬されていたと、祖母は誇らしげに語ってくれた。酔っ払ってよう偉そうにわーわー言うてたけど、家の中でしか騒がん内弁慶やったと慈しむような顔で言っていた。退職して一日中家にいる酒と煙草塗れの祖父しか知らなかった俺は、「孫としてはオモロくて好きなじいさんやけど配偶者としては最悪やろ、よう何十年も一緒におれたなあ」と思っていたが、「シャキッとしてる部分もあったんやで」と懐かしそうに笑う祖母の顔を見て、疑問は氷解した。

焼肉を食べたあと祖母の家に泊まり、翌日、つまり本稿を記している今日の昼間、俺は祖母と一緒にバカリズムライブ「image」を観た。流石は天才バカリズムだけあってめちゃくちゃオモロく、祖母もよく笑っていた(幕間映像の「それはね」が特に俺の好みで、オチは格好良さすら感じました)。祖母の家に俺はしょっちゅう行っていて、そしてしょっちゅう一緒にお笑いやドラマ、映画を観ている。バカリズムラバーガールやナイツ、アンガールズ東京03爆笑問題ツーショット、勇者ヨシヒコやSPECも一緒に観た記憶がある。

夜は祖母に誘われて、『志村友達〜大集合SP〜』を観た。晩飯は養殖鰻と米と高菜の漬物と祖母お手製の茄子と胡瓜の漬物。デザートに佐藤錦まで付いてきた。『志村友達』を観ている間、祖母はずっと笑顔だった。ワイプに映る大悟や研ナオコ達と同じ屈託のない笑顔を浮かべ、時折声を上げて笑っていた。祖母は俺がテレビを観たり本を読んだりしているときも79歳の図太さを炸裂させて平然とガンガン話し掛けてくるので、「やかましいなあ!」と思うことも多々あり、現に昼間バカリズムライブを観たときも色々と話し掛けてきてそのたびに一時停止を余儀なくされたのだが、『志村友達』を観ている間は、CM中を除いてずっと画面に釘付けになっていた。まるで少女のような笑顔なので、ドリフを観ていた幼い頃を懐かしんでいるのかなと思ったが、よく考えると(というか、よく考えるまでもなく)祖母は79歳で、ドリフが放送されていたとき、既に大人だ。CM中に、「ドリフの全盛期のとき、何歳やった?」と尋ねると、30代で娘を二人育てていた(当然、うち一人は俺の母親だ)と答えが返ってきた。「ドリフを観せたらあかん家もあったらしいけど?」と訊くと、「ウチは観せてたよ。あの人(夫)は、こんなテレビ観たらあかんとかは言わん人やった」と答えてから、おかしそうに口元を手で押さえ、「そういえば、唯一観せたらあかんって怒ったんが、『ウルトラマン』や。怪獣が出てくるシーンで、こんな気色の悪いものを観るな!って物凄い怒ってた」と言った。俺が「それって娘達に観せたくなかったんじゃなくて、本人が怪獣にビビったから観たくなかったんやろ」と笑うと、祖母も「そうやわ。気ィ小さい人やったから」と笑った。

その後、居酒屋で飲んだくれた志村けんが隣の客(大悟)のビールを勝手に飲み、煙草を勝手に吸ってクダを巻くコントを観て、祖母はそれまでよりも深く、幸せそうに目を細めて笑っていた。

祖母が風呂に入っている間にこれを書いていたのだが、出てきたので筆を措く。多分また、色々と話し掛けられるだろうから。半分以上は以前も聞いたことのある話だろうし、構成などがしっちゃかめっちゃかで何を言っているのかよう分からんことも多々あるが、それでも聞こうと思う。おばあちゃん子なので。終わり。