沈澱中ブログ

お笑い 愚痴

シティボーイズ公式YouTubeチャンネルの開設を強く願う

 東京03などに対して、「コントを超えてもはや演劇の域」といった褒め方をする人は少なくない。無論悪気はないのだろうが、この言い回しがあまり好きではない。長尺。戯画的なキャラではなく自然体の登場人物。設定がリアリティ溢れる日常、もしくは説得力を持って受け入れられる非日常。そうした要素だけで「コントを超えて、もはや演劇の域」と言ってしまうのは、コントの表現や形式の幅を、もっと言えばコントというジャンルの価値そのものを軽視しているように感じるのだ。「漫画を超えて、もはや文学の域」「テレビドラマを超えて、もはや映画の域」なども同様だ。

 上記の考えを抱くに至ったのは、シティボーイズが好きだからだ。彼らは最初の公演に『思想のない演劇よりもそそうのないコント!!』という挑戦的かつ格好良いタイトルを付けている。演劇なんかつまらないと言ってコントの道に進んだのが、シティボーイズの三人だ。シティボーイズのコントは、そして東京03バナナマンラーメンズやシソンヌやゾフィーやかが家などのコントは、たとえ演劇的な笑いの手法を取り入れていたとしても、コントを超えてもはや演劇の域に達している訳ではない。あくまでも、とても優れたコントなのだ。「もはや鮪を超えて牛肉の域に達してますねえ」と満面の笑顔で板前に向かって言えば、刺されても文句は言えまい。

 そんなシティボーイズのコントは現在、非常に由々しき事態だが、簡単に観られる状態にはない。新品で購入できるのは近作だけ(近作もオモロいですけどね)、レンタルビデオ屋は結構デカい場所でなければ置いていない、有料無料問わず、公演の配信も行っていない。直接的あるいは間接的にシティボーイズの影響を受けたコント師達が数多く活躍しているにもかかわらず、彼らを牽引してきたシティボーイズのコントを観る機会が気軽に得られないというのは、やるせない話である。ちなみに俺がシティボーイズに興味を持ったきっかけは、「ダウンタウン汁」という昔の番組を違法視聴した際、松っちゃんがゲストの大竹まことに向かって、「コントでくるっと演者が一回転して場面転換を表すのは、シティボーイズの発明ですよね。あれは凄い発明やなと思います」と述べていたからだ。

 そこで、シティボーイズの素晴らしさを知ってもらうために、俺が初めて観た彼らの公演『丈夫な足場』を取り上げてその面白さを述べていく。核心的なネタバレはしないつもりだが、いずれ真っさらな状態で観たい方は読まないように。

 既にシティボーイズのファンだよ、『丈夫な足場』も観てるよ、という方は、この先読まなくて大丈夫なので、代わりにこちらのブログをお読みください。『丈夫な足場』収録「もしかして、あなただけかもしれません」に関する痺れるような考察が記してありました。尤も2017年の記事なので、ファンの間ではとっくに知られている話かもしれません。

http://sweetbittercandypop.blogspot.com/2017/03/blog-post_17.html?m=1

 

 さて、『丈夫な足場』の一つ目の魅力は、登場人物に身体性が伴っていることだ。脚本を当て書きしているのだろうか、登場人物を演じている感が薄い。中にはトリッキーなキャラクターも登場するが、わざとらしさよりも、こんな変な人もいるかもしれないと思ってしまう説得力の方が勝つ。最近で言えば、ジェラードンの「握手会」なんかは、濃いキャラクターの割に妙なリアリティがあっていいですね。

 特に、「アヤムラのおばさん、チャーシュー泥棒を捕まえる」で斉木しげるが演じるアヤムラのおばさんは素晴らしい。ノーメイクで頭にスカーフを巻き、スカートを履いただけの斉木しげるが、見事におばさんに見えるのだ。登場時に笑いも起こっていない。コントにおける女装には、「女装姿で笑わせようとしているもの」と「コントの脚本に要請されて女装しているもの」の二パターンがあるが、「アヤムラの〜」は明らかに後者だ。だが後者の場合でも、東京03の豊本などの場合はどうしても登場時に軽く笑いが起きてしまっている。それを回避するためには、レインボー池田や空気階段かたまり、かもめんたる槙尾のようにがっつり女装メイクを施すことが有効だが、斉木しげるはスカーフとスカートと演技だけで成立させているのだから凄い。おばさんだから、というのも当然あるだろうけど。人間は歳を重ねるにつれ、外見的にも内面的にも性別の垣根が低くなっていく。

 そんなアヤムラのおばさんがコント中、煙草を落とすシーンがある。恐らく脚本にないアクシデントだが、斉木しげるはすぐさま「あら、勿体ない」と言いながら拾い上げ、コントを続ける。この「あら、勿体ない」にリアリティが詰まっている。無論、言わなくてもいい。無言で拾うのも現実にはあり得るし、なんら不自然ではない。だが、現実的な物の配置よりも画面に映る「それっぽさ」を優先した伊丹十三や、空を飛んでいる鳥に向かって「お前、飛び方が違うよ」と言い放った宮崎駿の例を出すまでもなく、リアルとリアリティは違う。「あら、勿体ない」は呟いても呟かなくてもリアルだが、アヤムラのおばさんにリアリティある奥行きを与えるためには間違いなく、「あら、勿体ない」と呟いた方がいい。同じような例として、黒川博行『桃源』の聞き込みの場面が挙げられる。「砂川」と名札を付けた従業員に対して刑事が「さがわさん?」と呼び掛け、「すながわです」と返され、「失礼しました」と謝るのだ。情景描写や人物描写にページを割かずとも、「さがわさん?」「すながわです」「失礼しました」の三行だけで登場人物達の輪郭が一気に濃くなるのだと、難読ではないが読み間違えられることが多々ある苗字の俺は、思わず唸った。

 また、『丈夫な足場』は1996年のライブだから、舞台上で平然と煙草を吸っている。煙草の先から煙が漂っているか否かは些細なことだが、やはり視覚的効果の差は歴然だ。

『丈夫な足場』の客演は中村有志いとうせいこうだが、やはりこの二人が数々の客演の中でも、シティボーイズとの呼吸という面で、頭一つ抜けている。余談だが、2007年に客演を務めたムロツヨシ、年々苦手になってきました。

 大竹まこと斉木しげる、きたろう、中村有志いとうせいこうの5名が審査員を務める裏キングオブコントを開催して欲しい。ネタは一つ、その代わり持ち時間は20分以内で。

 さて、二つ目の魅力は、メタネタの入れ込み方の絶妙さだ。俺は中学生のときにメタの巨匠・筒井康隆御大で本格的に小説を好きになったクチだから、その反動からか、メタネタや虚構の外を感じさせるアクシデントがそこまで好きではない。大好きな東京03の飯塚に対してさえ、「思わず笑っちゃうやつ、もうちょい我慢して欲しいかも」と思ってしまう。だが、シティボーイズはこの塩梅が絶妙だ。間や口調の妙なので文章にしにくいが、比較的リアリティある日常系コントの場合はさらっと、ドタバタと馬鹿馬鹿しいコントの場合はかなりがっつり演者自身を感じさせる言動をとる。コント毎に微妙にグラデーションがあり、作品を邪魔しない。ムロツヨシが苦手になってきたと先述したが、こうしたシティボーイズ的上品さ(粋さ)が彼から失われたように感じるのが、その理由かもしれない。水谷千重子宮迫博之横澤夏子、アルピー平子の瀬良社長、シソンヌじろうの「一見悪徳に見えて〜」シリーズ、園子温作品、中島哲也作品、福田雄一作品なども同様に、これ見よがしさに鼻白むから苦手だ。瀬良社長など何組かについて言えば、「あえてやっているのだ」という反論もあろうが、その「あえて」も含めてむず痒い。相棒シーズン16最終回で、加賀まりこ演じる大阪の極妻が大真面目な顔で「花のお江戸の刑事さん」と言い放つシーンがあったが、あれを観たときに覚えたむず痒さと同質だ。

 余談が長くなった。三つ目にして最大の魅力は、面白さの種類が多岐に渡っていることだ。落語のくすぐりのようにニヤニヤ笑いを誘う言葉のやり取り。声を出して笑ってしまうような、各人のキャラクターに依拠したパワーワードやアクション。笑いの手法一つとっても多様だが、単独ライブならではの構造的な面白さを備えた公演も存在するし、メッセージ性のあるコントも存在する。わざとらしくて鼻に付く構成でもなければ、メッセージを優先して作品としての質を疎かにしている訳でもない。面白いなあと楽しんでいるうちにメッセージも浸透してくるという、『寄生獣』並に優れた手付きだ。『丈夫な足場』で言えば「もしかして、あなただけかもしれません」がメッセージ性のあるコントとして顕著だが、「暗闇坂のオルガン教室」なども、当事者にとっての苦しみや恐怖の重さとそれを外から見たときの軽さとのギャップについて考えさせられる。いじめやパワハラで自殺する者は後を絶たないが、実際にいじめやパワハラを経験していない者はどうしても、「死ぬくらいなら逃げたらええのに」「死ぬくらいならぶん殴ったらええのに」という思いを完全には消せない。「暗闇坂のオルガン教室」は終始笑えるが、そんな深刻なことすら考えさせる馬力と余白がある。『思想のない演劇よりもそそうのないコント!!』を掲げていたシティボーイズのコントには、きちんと思想が練り込まれている。かまいたち山内が自身のネタとにゃんこスターを比較して(あくまでボケとしてだが)述べた言葉を借りれば、シティボーイズのコントは、「厚みが違う」のだ。

 以上。本稿を読んで、「ちょっと遠出して、デカいレンタル屋巡るか!」「高いけど中古で探すか」と重い腰を上げる人が現れてくれれば、こんなに嬉しいことはない。『丈夫な足場』を含む1992年〜2000年の公演を収録したDVD-BOX3巻セット(全て演出:三木聡の黄金期!)だけは持っているので、送料を全額負担してくれれば一年間くらいお貸しします。 

 では、本稿のタイトルに記した通り、シティボーイズ公式YouTubeチャンネルが開設されることを強く願って、筆を擱く。終わり。