沈澱中ブログ

お笑い 愚痴

吉田豪!と思わず部屋で叫んだ話

 はっきりといつの頃からかは覚えていないが、少なくとも2017年4月、つまり大学に入学して以降、俺は徐々に妙な衝動に駆られるようになっていった。何でもいいから、心地好い「ものと数の組み合わせ」を見つけなければという不安感に、突然苛まれるのだ。たとえば、本棚に並べてある横溝正史の文庫本を数えてみる。24冊。「横溝正史の文庫本/24冊」という組み合わせは、俺にとっては心地好い。だから、すっきりして衝動は治まる。でもたとえば10月のカレンダーの「Happy Halloween」は、14文字で気持ちが悪い。何で偶数やねん、絶対奇数やろ。こんな風に不快なものと数の組み合わせを見つけてしまったり、気持ちいい組み合わせをなかなか見つけられなかったりすると、次第にイライラしてむず痒くなってくる。キツいときは、首から上がスッと冷たくなる。何とも言えない気色悪さとイライラと不安感。しっくりくる組み合わせを見つけるまで、色んなものを数えてしまう。

 今では毎日のように、この衝動に駆られる。数時間おきになる日もたまにある。こんなものを数えることに何の意味もないと理解しているし、組み合わせの心地好さに何の根拠もないことだって理解している。数えなくたって死ぬはずはない。でも、やってしまう。すっきりする組み合わせがいつまでも見つからないときには、こんな不合理な行為をしている自分にも苛立ってくる。何の意味もない行為だ。わかっている。でも、わかっちゃいるけどやめられねえlike a スーダラ節。ちなみに、植木等【ウエキヒトシ】の6音はなかなか心地好い。

 気持ちいいものと数の組み合わせを一つ見つけて、ずっとそれを覚えておけばいいじゃないか、衝動に駆られたらそれを数えればいい……という作戦も完璧ではない。衝動が軽いときは、たとえば「ウエキヒトシ」と何度も頭の中でゆっくり呟きながら音数を数え、植木等の6音っぷりを味わっていれば、不安はそのうち治まる。でも衝動が強い日は、予め知っている組み合わせでは効果が薄い。不安が和らぎはするが、強い衝動は完全には消えてくれない。「あ、これの数はこうなんや!」という、ものを数えるフレッシュな快感がないと駄目なのだ。

 しかもたとえば、「横溝正史の文庫/24冊」という組み合わせが気持ちいい日とそうでもない日がある。一度気持ちいいと感じた組み合わせが別の日には不快に感じられた、という経験は今のところ記憶にないが、この前気持ち良かった組み合わせが今日はあんましっくりけえへんな、ということは多々ある。ただし、「植木等/6音」のように、ずっと変わらず気持ちいい組み合わせもある。ものと数の組み合わせの心地好さには、それぞれ強度があるのだ。

 ちなみに、不快な組み合わせだと頭に刻まれてしまっているものも幾つかあって、それらは回避するようにしている。たとえば、ショート・ピースという一箱10本入りの煙草を吸っているのだが、残りの本数が2本か9本になるのは耐えられない。「ショッピ/2本」「ショッピ/9本」という組み合わせは気持ちが悪い。だから、残りの本数が10本のときと3本のときは、立て続けに2本吸う。

 ものと数字の組み合わせの心地好さには、消費期限がある。「植木等/6音」は最近見つけた心地好い組み合わせなので、当分の間は軽い衝動ならこれで打ち消せるはずだ。ただ、「前までなら、この程度の軽い衝動はこの組み合わせで打ち消せてたのに……」と落胆することはしょっちゅうある。お気に入りのAVを久しぶりに観たら、半勃ちはするけど、初めて観たときみたいに興奮はせえへん、という感覚に近い。

 だがそんな中でも「ほくとひちせい」の強度は素晴らしく、音の滑らかさと「七星」という意味が、文字数7と調和していて気持ちいい。文字数を数えながら「ほくとひちせい」と脳内で何度も呟くと、高確率で軽い衝動なら治まる。ただしやっぱり、思いがけない組み合わせを初めて見つけたときの方が何倍もスッキリする。

 伊坂幸太郎陽気なギャングが地球を回す』に登場する雪子という主要キャラは、コンマ一秒単位の正確な体内時計を有している。だが、学生時代に友達と音楽の話題になり、「あの曲、◯分×秒辺りがいいよねー」「え、いちいち時計観ながら曲聴いてんの?笑」というやりとりをするまで、その特殊能力を誰もが備えていると思い込んでいた。面白いエピソードだと思って記憶に残っているが、これは雪子が生まれ付き特殊能力を持っていたからそう思い込んでいた訳で、18歳になってから徐々に変な衝動に襲われるようになった俺は、きちんと「あかん、頭おかしなった」と思った。慌ててGoogle先生に尋ねると、軽度の強迫性障害ではないかと言われた。全く同じ症状は見当たらなかったが、「4や9など特定の数字に恐怖を覚える」「数や色、順番、対称性などに自分なりのルールがあって、そのことに過剰に囚われる」といった症状が典型的なものとして紹介されていたので、それらの亜種だろう。

 おいコラ、ブログのタイトルはいつになったら出てくんねん、と思ったそこのあなた、お待たせしました。今からです。昨夜、某Tubeで岡野陽一の動画を漁って笑っていた俺は、吉田豪岡野陽一が対談してるっぽい動画のサムネを見つけた。何の気なしに吉田豪の音を数えた俺は、なかなか心地ええなと感じた。「ヨシダゴウ」というややゴツゴツした響きが、5音によく合っている。本人の体格もヒョロガリではなく、どちらかと言えばガッチリ気味なのが尚良い。

 次に画数も数えてみて、激しく打ち震えた。「吉田豪!」と叫んだ。吉田豪、25画。めちゃくちゃ気持ちいい。かっちりした字面で画数が25、本人もかっちりした見た目、ゴツゴツした音の響きで5音。25と5で調和が取れているし、これはちょっと信じ難いほどの全方位的な気持ち良さだ。「吉田豪」と文字数が3で奇数なのも良い。吉田豪。ここまでの強度を誇る組み合わせを見つけたのは、過去記憶にない。どうせなら強い衝動に駆られているときに見つけたかった!とつくづく残念に思ったが、それでも嬉しい。

 経験から言って、画数は音数や文字数より強度が高い。「ほくとひちせい」は素晴らしいが、頭の中で呟く前にもう何となく7音だと分かってしまうから、やや数える快感が薄い。ところが画数はぱっと見て瞬時に画数を判断できないから、毎回指で書いて数える。たとえ画数を覚えている文字でも、毎回それなりにフレッシュな数える快感が生まれるのだ。

 吉田豪。これといった特別な感情を抱いたことはなかったが、ヒョロガリに育たなかった遺伝と環境、著名人になってくれた吉田豪本人、この名前を付けてくれた吉田豪の両親、吉田性を選んだ先祖、延いてはヒトの祖先から吉田豪まで連綿と紡がれてきた地球の歴史、それら全てに感謝したい。昨日『2001年宇宙の旅』を初めて観たので、気分がだいぶ壮大になっている。

吉田豪/25画」の強度を試したいから、初めて「早よ衝動こい!」とさえ思っている。そしてこういう日に限って、来ない。この衝動の原因が何なのか知らないが、仮に心因性のものであるなら、もしかしたら「早よ衝動こい!」と開き直って思ったことによって、衝動から解放されたのかもしれない。もし今後一切ものを数えたくなる衝動に襲われなかったら、吉田豪の著書を全部買って恩返しします。……と書いている時点で、結局本音は来て欲しくないっつーことですから、まだ当分この衝動とは付き合っていかなきゃならんのでしょうな。重症化して一日中数を数える羽目になったらキツいなあ、なんて不安が沸き起こってくることもありますが、気にせず笑顔で、平然と生きていく所存です。ワイルドだろ〜。終わり。