沈澱中ブログ

お笑い 愚痴

いつまでもピースを

 喫煙者に煙草を吸い始めたきっかけを尋ねると、決まって「嗜好品だから、一度は試してみたくて〜」「周りの人が吸ってたから、流されてノリで〜」などという答えが返ってくる。その度、嘘吐けと心の中で苦笑する。煙草を吸い始めるきっかけなど、よほどの例外を除けば、「格好良いと思って、憧れていたから」に決まっている。煙草は格好良い。この格好悪い考えのもと喫煙を始めたと認めない者は、信用できない。一円だって貸してやらない。

 俺が初めて煙草を吸ったのは、高校一年生のときだ。RCサクセションの『トランジスタ・ラジオ』という曲に憧れて、吸おうと決意した。進学校に通っていたが馴染めなかった忌野清志郎。授業をサボり、校舎の屋上で寝転んで煙草を吸う歌詞に、美しさと共感を覚えた。早速、煙草を買うことにした。銘柄は、ショート・ピースだ。フィルターの付いていない両切りの煙草で、紙巻煙草の最高傑作だというネットのレビューに心惹かれた。若者は普通吸わない銘柄だとも書かれていたから、童顔で煙草屋に見咎められないか心配していた俺は、好都合だと思った。「ショッピください」と言えば、「こいつ未成年ちゃうやろな?」という疑いはかけられまい。そう自分に言い聞かせ、授業をサボり、帽子を目深に被って、梅田の煙草屋に向かった。緊張で鼓動が速くなり、口に饐えた味が広がったが、拍子抜けするほどあっさりと購入できた。思わず、ため息が洩れた。

 立入禁止の校舎の屋上の代わりに、近くの河川敷に向かった。太陽が眩しかった。小さい男の子と女の子と母親らしき女性が、屈託ない笑顔を浮かべて遊んでいた。寝そべると、前日に降った雨の残り香と草の匂いがした。川を挟んだ向こう側では、隠居生活を送っていそうなおじいが同じように寝転がっていた。ウォークマンを取り出してRCサクセショントランジスタ・ラジオ』を再生し、ショート・ピースのフィルムを剥がした。箱を開けて煙草の匂いを嗅ぐと、バニラのような香りというネット情報とは違い、レーズンのような香りがした。いい匂いだった。

 コンビニで買ったマッチを取り出した。百円ライターよりマッチで煙草に火を点けた方が格好良い。そう思ったし、幼少期からマッチを擦るという行為自体がやたらと好きでもあった。

 煙草を一本口に銜え、マッチを擦って火を点けた。甘く華やかな香りというネット情報とは違い、ただただ煙草の味しかしなかった。烟の量と濃さが凄くて、危うくむせるところだった。信じられないほど、不味かった。でも、格好良いと思った。

 その日以降、親や同級生らにバレないよう臭いに気を遣いながら、時折ショート・ピースを吸った。次第に上手に吸えるようになり、旨いと感じるようにもなっていった。

 ある日、仲良くなった同級生の女の子が喘息持ちだと知った。煙草の烟が嫌いだと言っていた。大人になっても、煙草は吸わないで欲しいと言われた。その日の内に、まだ半分以上残っていたショート・ピースを処分した。

 その子とは高一の終わり頃に交際を始め、大学二年生の初めに破局した。原因は完全に俺だ。身勝手で、本当に申し訳なく思っている。俺は彼女と出会えて良かったと思っているし、今現在幸せでいることを心底願っているが、世の多くの男性諸君のように、向こうもそう思ってくれているはずだと勘違いはしていない。多分、いやきっと、出会わなければ良かった、死ねばいいのにと思われている。仕方ない。自覚はある。

 その後交際を始めた別の子は、喘息持ちではないが、煙草の臭いは好きではないと言っていた。ある日、大喧嘩になった。無性に苛立ち、ふと入った近所のコンビニで、ショート・ピースが売られているのが目に入った。コンビニではあまり売られていない銘柄だが、よりによって近所のセブンイレブンには置かれていた。何度も来ているのに、このとき初めて知った。少し迷った末、マッチと一緒に購入し、店の外の灰皿で吸った。底冷えのする冬の夜だった。新月だった。星は殆ど見えなかった。三年以上ぶりに吸うショート・ピースは、心底旨かった。

 数ヶ月後、喫煙を打ち明けると激怒され、また喧嘩になったが、旨いうどん屋に一緒に行って仲直りした。彼女の前では吸わないようにしたし、基本的に会う前にも吸わないよう心掛けた。別に、苦ではなかった。煙草をニコチンを摂取するためのストローだと勘違いしてスパスパと忙しなく吸っている人々と違い、俺は旨いから吸っているのだ。そして、格好良いから。バーと喫茶店と人がいない田舎の夜の公園。ニコチンに依存している訳じゃないからそこで時折吸うだけで充分だし、そっちの方が格好良い。

 ある夜、数少ない飲み友達と一緒に日本酒と料理が旨い店で飲んでいると、絶賛喧嘩中の彼女から電話が掛かってきた。どうしても会いにきて欲しいと泣きながら言われ、友達に詫びて解散し、彼女の元へ向かった。折角楽しく飲んでる最中やったのに。苛立ちが募り、道中のコンビニの前でショート・ピースを吸った。怒りが和らぎ、気分が多少落ち着いた。それから、彼女の部屋のチャイムを鳴らした。泣きじゃくりながら抱きつかれると、残っていた怒りも嘘のように消えた。キスをすると、煙草臭いと言われた。ざまあみろ。そう言って笑うと、何故か「嬉しい」と言ってさっきよりも泣かれた。

 さて、俺はショート・ピースを吸うとき、烟と一緒にこうした思い出も吸い込んでいるのである……といったまとめ方をしたい訳ではない。むしろ、逆だ。過度なノスタルジーは敵だと思って生きている。過去を振り返るのではなく、前を向いて生きることこそ人生の豊かさだと信じている。本稿を記すにあたって色々と思い出しはしたが、普段は隠れて煙草を吸っていた高校一年生の頃を懐かしんだりはしないし、高校時代の恋人のことをこれっぽっちも考えたりしない。現在も交際中の彼女との思い出は時折懐かしんだり慈しんだりすることもあるが、それよりも今度一緒にあれを食べよう、あそこに行こうという話をしたりそのことについて考えているときの方がよっぽど楽しいし、価値があると思っている。

 バーではマスターとだらだら喋っているから別として、喫茶店や夜の公園でショート・ピースを燻らせているとき、俺は全く何も考えていない。味と香りに浸りながら、立ち昇る烟を見つめているだけだ。起きている間中、ついつい憂鬱になるようなことを考えてしまったり、深い虚無感に襲われたり、理由のない死への衝動に駆られたりするタチだが、ショート・ピースを吸っているときだけは、何も考えないで済む。ひたすら、本当にただひたすらぼけーっとできる。そして吸い終えたあと、「無心で煙草を燻らせてた俺、かっこええなあ」と思いながらロッテのACUOガムを口に放り、何度も嚙むことで現実へと焦点を合わせていく。

 ショート・ピースを吸っているとき、俺の心には平和がもたらされる。数少ない憩いの時間だ。至福のひと時だ。この短い平和を守るためなら、俺はどんな強力な嫌煙論者とだって戦争をするつもりだ。

 眠いのに一体なぜこの記事を書こうと思い立ったのか、自分でもよく分からない。世間がすっかり年末ムードに突入し、あちこちで今年の総括が始まっていることへの反発だろうか。まだ、今年は終わっていない。コロナウイルスの存在が初めて日本国内で報じられたのは、2019年12月31日だぞ、諸君。一秒後に何が起こるか分からないのが、人生だ。だが願わくば、こんな無意味な文章を年の瀬にわざわざ読んでくれたあなたの心にだけは、いつまでもピースが訪れますように。終わり。