沈澱中ブログ

お笑い 愚痴

ジャンプ

 俺がこのブログを開設したのは、2018年の大晦日だ。19歳、大学二年生だった。現在まで細々と続けているフリーランスの仕事を始められたのも、ちょうどこのブログを開設した時期だった。当時思い描いていたよりも現実は大変で苦しく、結果が伴わない。結果というのは完成したものに対する俺自身の評価であり、契約先の担当者の評価でもあり、同業者の先輩の評価でもある。そしてシンプルに、通帳の残高に刻まれた数字だ。現在22歳、新卒入社一年目としては分不相応な貯金額だが、三年前はアホみたいに華やかな数字を描いていた。それと較べれば、些か劣るというのが偽らざる本音だ。

 新卒で会社に就職したのも、当時と今との大きな違いだ。就活は大学三年生から始まっている、いやいや二年生から、いやいや実は一年生からだ、などと言われているが、大学三年生が終わろうという時期になっても就職活動をする気が全く起きず、とりあえず適当に知っている大手企業にエントリーシートを提出しまくった。まずは業界を絞るのがセオリー、など知らなかった。だがこれがどういう訳か、ほとんど通った。恋人から「就活頑張って」とクリスマスプレゼントに貰ったタケオキクチの可愛い青のネクタイを締め、某新聞社の一次面接に三十分ほどの予習をしてから赴き、65点くらいの面接対応をした。面接官から「最後に、何か〇〇さんの方から弊社に質問はございますか」と問われ、「え、質問ですか。いや〜、ございません」と満面の笑みで答えた。「あ、ありませんか。いやまあ、なければ無理には結構なんですけど」と些か驚いた様子だった。一仕事終えたぜ、と思いながら帰りにバーに寄ってポール・ジローを飲みながら「面接 質問」でググると、「面接の最後に逆に質問はあるかと訊かれるから、そこでは質問するというテイで自身のやる気や熱意をアピールすべし。たとえば、『私は御社に入った暁には、こういうことをしたいのですが、新入社員のアイデアを聞いてくださるような風通しの良さはございますでしょうか』といった感じで。間違っても、『ありません』などと答えないように」という趣旨の記事がB級ゴア映画の死体のように盛り沢山で出てきた。マジかよ、と舌打ちし、次に活かすことにした。

 コロナ・ヴァイルス大流行下ということで、他の企業の一次面接は全てリモートだった。エントリーした企業自体二十社にも満たないが、全て通過した。就活バリチョロいやんけ、と思いながら二次のリモート面接も全突破した。この頃になると流石にやる気も多少芽生え、SPIテストの問題集を買って解いたりもした。SPIテストは難問というよりはちょいムズ問題を短時間で結構な量こなさなければならない点が特徴的であり、実際に本番さながらに時間を測って解くことや問題集をひたすら解いて慣れることが大切らしいが、俺はラジオを聴きながらダラダラと解いていた。この勉強法は絶対に間違ってるやろなあ、でも真面目に時間測って擬似テストを何回も一人で受ける気力はあらへんし、などと思いながら夜中にSPIテストの問題集を解きつつアルピーのラジオを聴きつつ食べた無印良品グリーンカレーは、タイ料理愛好家の俺でもちょっと感動する旨さだった。SPI系のテストも全突破し、リモート三次面接へと進んだ。ここで何社か落ちた。某大手百貨店では実際に社に呼ばれ、他の受験生達とグループディスカッションをさせられた。リモート、リモートで現実感の乏しかった就活が、他の学生達と話すことでリアリティと重みを増した。なんか、朝井リョウ『何者』っぽいなあと思った。読んでへんけど。グループディスカッションはそこまで発言しなかったが、タイムキーパーに立候補したことと、それを利用して終盤の程よいタイミングで両陣営の意見を要約したこと、そして昂奮して長時間一人で捲し立てる男の子の話をやんわりと遮ったことが評価されたのか、無事通過した。だが、その次のリモート面接であっさりと落ちた。

 別の某大手百貨店のリモート面接では、「学生時代に一番頑張ったことはなんですか。また、そのときにどんな壁にぶつかり、それをどう克服しましたか」という、「あ、これ進研ゼミでやったところだ!」と言いたくなるようなテンプレ質問が来たので「私は大学二年生のときから、細々とこういう仕事をしているんですが、それが学生時代一番頑張ったことです」と話し始めたところ、おっさんの面接官が「へぇ、そうなんだ!」と話をぶった斬らんばかりの相槌をかましてきた。履歴書に書いたやろ、読んでへんのかい。と思いつつ、そこでの苦労話と壁を乗り越えて成長した話を披露しようとすると、「ちょっと、その仕事について聞かせてください」と言われて様々説明させられ、さらに色々と質問をされて回答させられた。脱線して別の駅に着いちゃうよーと思っていると、おっさんが「なるほどねえ」と呟いたので、すかさず「それで、その仕事で壁にぶつかった経験がですね」と軌道修正しようとしたが、それよりも速くおっさんは「面接は以上になりますが、最後に何か質問はありますか」と言ってきた。おいおい、最初の「壁にぶつかった経験」っちゅう質問には答えさせてくれへんのかい、お前の興味を満たして終わりかい、コラ、と思いつつもきちんと逆質問を行い、これで落としたらぶっkillすぞと内心中指を立てたが、あっさりと落とされた。

 大手ばかりじゃなく中小企業も受けといた方がいいなとようやく判断し、検索を掛けた。やりたいことなど別にない。一定程度の安定した収入と社会経験を得たいだけで、いつかはフリーランスの仕事だけで食っていくつもりだから、業界は問わない。ただし、休日が多く、残業が少なく、大企業じゃないなら大阪・兵庫以外の転勤がない企業がいい。そんな気持ちで見つけてエントリーしたのは、全く知らない業界の企業だった。説明会に赴き、感じのええ人事の人やなと思った。後日一次面接を受けたが、それまでの形式ばった面接の数々とは違い、完全なる対話だった。予め準備してきた文言を滔々と述べる面接のつまらなさに辟易してきた身としては、新鮮で楽しかった。一次を通過し、二次面接も同じく対話形式であれこれ話をした。無事通過し、最終面接も次期社長とサシであれこれ会話をした。数日後、合格の連絡が届いた。面接の形式もええ感じやし、一次、二次、最終面接を担当してくれた人達もええ感じやし、ここでええわと思った。

 同じ日、某大手映画会社の二次選考通過の連絡が来た。次の三次選考は、往復の新幹線チケットを郵送するから東京の本社までいらっしゃいとのことだった。三次選考に受かれば、最終選考に進めるとのことだ。最終選考に進めばおよそ二人に一人が内定を貰えるらしい。結構ええとこまで来てるやん、とワクワクし、数日後、指定された新幹線に乗り込んだ。マツコ有吉の怒り新党で、有吉が待ち合わせの30分前には到着して周辺をウロチョロしていると話してマツコと夏目三久に引かれていたが、俺も完全にそのクチだから、ましてや大阪から東京ともなると、面接時間の四時間前には最寄駅に到着していた。麺屋ひょっとこ 交通会館店で旨いラーメンを喰い、会社の周辺を散歩しながら緊張をほぐした。途中、疲れてベンチに座っていると、リクルートスーツを着た女の子が電話をしながら近付いてきた。俺の前で立ち止まり、「最初に〇〇って訊かれた瞬間からもう緊張してパニクって、全然うまいことできなかった」と半泣きで喋っていた。相手は母親らしかった。この子、もしかして俺と同じとこ受けた人かな、つーことは、最初に訊かれる質問、知ってもうたやん、早起きは三文の徳やなあと、大阪・東京間の時差ボケが残る頭で思いながら、その質問に対する模範解答を考えた。

 時間になり、面接会場へと向かった。現役の女性社員から説明を受け、マウスシールドを渡された。感染予防はしたいが受験生の表情を見たいからこれを着けてくれと言われ、「いやー、これ何の感染予防効果もないんで、なら一層のこと潔くノーマスクでいいじゃないですか。面接官はマスクを着けて、僕と距離を取ってるんなら」と無愛想に応える代わりに「いきなりステーキみたいですよね、これ」と言って軽くウケを頂いた。

 面接が始まった。最初の質問は、予期せぬカンニングで知ってしまった内容そのままだった。スラスラと答え、にっこりと微笑む。その後も質疑応答が続いたが、元々映画が好きというのもあって問題なく進んだ。「普通、もっと皆さん緊張されているんですけど、すごい落ち着いてリラックスされていますね」と言われ、「内定一個もろてると、やっぱ気ィ楽ですわ」と応える代わりに「かくかくしかじかで、大人の方々とお話しするのに慣れているからかもしれません」と答えた。正直、内定を貰った対話形式の面接を除いて、これまで受けた堅苦しいザ・面接の中では最も手応えを感じていた。だが、とある二択を迫られる質問をされた際、一瞬返答に窮した。Aと答えた方が絶対に通過しやすいと分かっているのに、どうしてもAと答えたくないと思ってしまった。そして、あれこれ理由をつけた上ではあるが、Aではないと実際に答えた。最後に「弊社は第一希望ですか」と問われ、「もちろんです」と即答した。本心だった。

 帰阪する前に、有楽町ニッポン放送の建物を見に行った。ここで出待ちとかしてんねやーと思ったが、別に感動はしなかった。

 翌日、お祈りメールが送られてきた。ショックで残念だとも思ったし、やっぱりなとも思った。内定を貰った中小企業にしよう、と決めた。内定を貰った上で就活を続ける、というのが俺には無理だった。その時間があるなら、遊びたかった。

 そして現在、俺は今の会社に入ってよかったと思っている。サービス業だからGWも年末の仕事納めもないのは辛いが、五連勤などという殺人的スケジュールとは無縁なのは有り難い。平日に遊びに行けば空いているし、月曜日の憂鬱もない。夕方から夜中の遅番シフトなら、朝に酒を飲んで仕事終わりの夜中にも酒を飲めるから最高だ。一日一万歩くらい歩いているから、健康にも良い。そして何より、人が良い。尊敬できる先輩や上司ばかりだ。

 でも時折、あのときAと即答していればどうなっていただろうかと考えてしまうこともある。今の会社よりも給料が良く、自分の好きな映画に携わることができる。仕事中に疲れや虚無感を覚えると、映画会社に内定を貰った未来を思い浮かべてしまう。そのたび、いやいやどうせAって答えてたところで落ちてたってと自分を慰める。某クソつまらない映画がその会社から公開され、バンバン宣伝が打たれているのを見て、「もし入社してたら、あんなクソを宣伝せなあかんかってんで。最悪やろ。面接落ちてよかった」と胸を撫で下ろす。その安堵の正体が、半分は嫉妬だということを自覚している。いや、正確に算出すれば78%が嫉妬だ。

 しかし、あり得たかもしれない現在や未来を登場人物が夢想する映画やドラマのシーンは美しくて切なくて素敵だが、現実でこれをやり過ぎると確実に精神を病むから程々にしなければと自制している。パラレルワールドがあろうがなかろうが知ったこっちゃないし、世界は五分前にできた訳じゃない。連綿と続いてきた世界の中で、俺は今ここにいる俺として頑張って生きていかなければならない。

 ひとまず、35歳までに管理職になることを目標としている。管理職の大半が3、40代という会社なのだ。どうして35歳かというと、村上春樹の『プールサイド』という短編が好きだからだ。最初からいつかは辞めるつもりで入ったが、自分でも驚くほど出世したいと思うようになったし、管理職になる未来も満更ではない程度にはそこそこ認めてもらえている。それともう一つ、フリーランスの仕事も頑張ろうと思っている。こちらは具体的な目標が立てにくいが、まあ目の前の案件を超頑張ろう、と思っている。会社勤めを始めてから、フリーランスの仕事の方で取引先と軽く揉めて、というか俺がヘソを曲げて、「もうリーマン一本でいったろ」と決意したこともあるが、会社の先輩に「もったいないから、そっちの仕事も頑張ったら?若い頃に流さなかった汗は、年老いたとき涙に変わるよ。野村克也の名言やけど」と言われて超感動したので、ボチボチ頑張る所存だ。ちなみにその先輩は若い頃、パンクロックバンドをやっていたらしい。もうちょいマジでやってたらよかったなって後悔してるもん、と言われ、むっちゃええ映画のワンシーンみたいやんけ、この状況、それこそ俺のこと落としたあの映画会社が配給せんような、むっちゃええ映画や、などと思った。

 という訳で、つって何がという訳なのか分からんが、最近やたらとだらだらスマホをいじって時間を浪費しているな、この時間を仕事(会社勤めじゃない方)に繋がることに充てたいなと感じるので、今年はTwitterアカウントにログインをしない。Twitter自体全く見ない、というのも考えたが、流行や時事を知るのに便利過ぎるので、毎週月曜日にきっちり一時間だけチェックはしようと思う。それと、ブログの更新もしないつもりだ。が、禁煙は三年以上続いたが禁酒とオナ禁は三日ともったことのない人間だから、禁ブログがいつまでもつかは分からない。それと、どうしてもこれは書きたいと感じたことがあれば、流石に書く。当ブログは以前にも閉鎖すると宣言したことがあるが、再開のきっかけは大好きなナイナイ岡村さんの失言に対する擁護者、批判者双方への違和感を表明したかったからだ。

 以上です。年末年始、皆様いかがお過ごしだったでしょうか。俺は大晦日も元日も出勤し、二日は親戚とすき焼きを食べて兄弟同然に仲良くしているいとこの妊娠を聞いてテンションが上がり、一日で十合酒を飲んでゲロを吐いた。結構悪くない年末年始だ。

 俺は物心ついたときからずっと、年越しの瞬間にはジャンプをして空中に滞在する、というノリを続けてきた。毎年ずっと続けていると、こんな些細なノリでも「絶やしたくない」と感じるようになった。竹田恒泰の「女系天皇に反対するのに理由なんていらない。ずっと万世一系、男系継承で続いてきたというその事実自体が既に尊いのだ」という論理を今なら理解できますよ。そんなノリと陛下を一緒にするな、と斬られそうですが。

 大晦日、出勤が一緒だった上司二名に年越しジャンプのノリについて話すと、「じゃあ、年越しは三人でジャンプしよか」と笑ってくれた。ええ職場やな、と思った。結局、大晦日ということでいつもより数十分早く仕事を終わらせ、23:45には退社した。二人が車で去ったあと、職場の前でスマホを取り出し、THA BLUE HARBの『未来は俺らの手の中』を聴いた。「何時だろうと朝は眠い ぎりぎりまで寝て飯も食えずに」というリリックに頷き、「OK、余裕 未来は俺らの手の中」という歌詞で胸が熱くなり、スマホで検索した秒単位で現在時刻を表示してくれるサイトを見ていると23:59:50だったので、慌てて膝を曲げてジャンプする体勢をとった。23:59:59になった瞬間、勢いよくジャンプした。

 年が明けたところで、別に何もめでたいことはない。俺の人生は毎分毎秒、常にめでたいのだ。そう実感しながら、右腕を突き上げてこれまでの人生の中で最も高く跳び、一秒後、2022年に着地した。終わり。