沈澱中ブログ

お笑い 愚痴

Ba De Ya

 つい一週間ほど前に、よっぽど書きたいと思ったとき以外はしばらくブログを更新しないと決めたばかりだが、早速よっぽどが来てしまったので更新する。

 大学生の頃、京都の河原町駅周辺で「友達募集中!」という看板を持った若い男を見かけたことがある。Twitterのアカウントと「ガチで募集してます! 友達いないんです!」という内容の文言が記されていた。「公衆の面前で指差されるの覚悟でこんな真似できる奴が、友達おらんもんかね? いやでも、1:100では楽しいキャラクターを演じられても、1:1やとオドオドするっちゅうのはあり得る話か。俺も大学のスピーチコンテストで場を沸かせたけど、結局大学で一生の友達はできんかったし。ガハハ」などと思っていると、当時の恋人にして現婚約者から「大人気カップルYouTuberが破局した」という、それはそれはたいへん興味をそそられる話をされたので、そのまま素通りしてしまった。デートが終わって帰宅したら調べてみようと、Twitterアカウントを暗記した。ただ当時の俺はTwitterをやっておらず、アカウント名さえ覚えていれば調べられると思って、ユーザー名(@〜)の部分を覚えなかった。結果、俺の拙いサーチ能力では「たかし〜友達募集中〜」みたいなアカウント名の彼を発見することは叶わなかった。

 たったこれだけの話だが、今でも年に一度ほど思い出しては、あのときちゃんと覚えて連絡していれば、一生のマブダチになったかもしれないな、俺も友達ホンマ少ないし、などと考えては、あり得たかもしれない現在と未来に想いを馳せる。どうも、ロマンチストです。

 なんの話かというと、俺は以上の経験から「思い立ったが吉日」や「一期一会」、「伝えたいと思ったことは照れずに、あるいはビビらずに、可及的速やかに伝える」っつー価値観を結構大切にしている、ということです。街を歩いていて小腹が空いたとき、餃子の王将と個人経営の中華屋があったら、迷わず後者を選ぶ。まあ、大概の場合王将の方が旨いが、時折やたらと旨いザーサイに出会ったり、店を営んでいるご夫婦と軽く話が盛り上がったりするからやめられない。

 で、昨日の話だ。愛しの塚口サンサン劇場に『未来世紀ブラジル』を観に行ったところ、どういう訳か上映開始時間をすっかり勘違いしていた俺は、映画が終わる頃に塚口駅に到着した。ミスに気付いて嘆息し、慰めに駅前の旨いラーメン屋で生ビールとつけ麵と餃子を喰った。塚口サンサン劇場の上映スケジュールを観たがあまり食指が動く作品はなく、18:10から難波で『ラストナイト・イン・ソーホー』を観るつもりだったので、もう今から難波まで行ってわなかのたこ焼きでも喰うか、今からなら玉製家のおはぎも買えるかな、あーでも確かあそこ祝日休みか、難波なら本物のハンバーガー(©︎銀杏峯田)も食えるし、ジビエ専門店もあるなあ、どこに行こうかしら……などと考えていた。が、そう言えば塚口にはしょっちゅう映画を観に来ているし、そのついでに先述の旨いラーメン屋や、旨いカレー屋、うどん屋、パスタ屋、ピザ屋、10分ほど歩いたところにある中華料理屋には時々行くが、それ以外は全く塚口という土地を知らないと気付いた。新規開拓せねば。フレッシュな出会いこそ、人生の醍醐味だ。ぶらぶらと駅から離れて散歩をしよう。ええ感じのケーキ屋とか喫茶店があったら入ったろ。そう思って、散策を開始した。

 俺は住宅街を散歩するのが好きだ。キモい趣味だと自覚しているが、好きなんだから仕方がない。「どうして自分は自分なんだろう。いま目の前にいる人全員がそれぞれの人生を何年、何十年も俺の知らないところで積み重ねてきたって、めちゃくちゃ神秘的だし面白いし、怖いなあ。この世界は現実か? 仮想空間じゃないのか? 高次元の存在のシュミレーションじゃないのか?」という、夜更かしして『マトリックス』を観た直後の中坊が考えそうなことを、俺は未だにしょっちゅう考える。そんなとき住宅街を歩くと、「いやー、この生活感はやっぱリアルっしょ」と感じられるのだ。

 HIPHOPを聴きながら住宅街を歩いたり大通りに出たりという、一部始終を警察官が目撃していたら職質されても文句の言えない行動を繰り返しているうち、とある民家の前に小さな白い看板が立てられているのが見えた。婚約者がアートギャラリー通いや作品購入を趣味としており、ちょくちょく同行するため、ひと目見てアートギャラリーだと思った。ギャラリー会場は、商店街や住宅街の中にひっそりと佇んでいることが多い。

 近付いて看板を見ると、「まっさらな家 1.8〜1.10 九月単独公演 72時間軟禁ライブ」という、何度読んでも飲み込めない文言が記されていた。1月なのに何故、九月単独公演なのか。72時間軟禁ライブとは何なのか。ここで、「よう分からんけど、会場って書いてるし飛び込みで入ったれ」というのが俺が目指すべき一期一会スピリッツの実践だが、流石に怖い。どう見たって民家やもん、黒沢清的展開に巻き込まれたないで、との思いが募り、ひとまずその場を離れて、「まっさらな家 塚口」でググった。すると、いやはや全く便利な世の中でございますなあ、割と上の方に「1.8〜10 72時間軟禁ライブ「まっさらな家」(兵庫県尼崎市というタイトルのnoteの記事が出てきたではありませんか。

開催概要
- 「まだ誰も住んでいないシェアハウス」で72時間コントをやり続けるライブ
- 随所を移動しながら500〜600本ほどのコントをする
- 飲食物は差し入れのみ
- 入浴時のみライブを中断する
- お客様は入退場自由

日時:2022.1.8 0:00 - 1.10 24:00
場所:兵庫県尼崎市 各線塚口駅徒歩10分
「まだ誰も住んでいないシェアハウス」
料金:入場 1000円
   応援入場 2000円
   お年玉入場 5000円
出演:九月

参加方法:QRコードより開ける参加フォームより項目を入力して頂くと、会場の住所が配布されます。

 なるほど、九月というのは芸名か。知ってしまえばなーんやというミステリやマジックのトリックのようだ……と思い掛けて、72時間軟禁ライブというのが何の比喩でもなく、72時間建物にこもってライブをすることを意味するという事実に笑った。

 変なことしとんなあ、オモロそうやな、入ってみよ……と思うと同時に、テレビっ子で権威主義者な俺は、若干の嫌な予感も覚えていた。「参加方法:QRコードより開ける参加フォームより項目を入力して頂くと、会場の住所が配布されます。」という文言や

⑤差し入れについて
軟禁ライブ中、九月は差し入れで頂いたもののみを飲食します。これまで最もよく頂いたのは水、お茶、ジュース、コーヒー、栄養ドリンク、のど飴、おにぎり、パン、サンドウィッチ、弁当、ゼリー飲料などです。DMで質問して頂いたらお答えします。

というnoteの記事を読む限り、完全に通りすがりの「当日券」を想定としていない、既存のファンを対象にしたライブである。テレビ番組にもお笑い芸人のライブにもラジオにも、その番組内や芸人界隈、延いては芸能界の文脈に沿った内輪ノリが数多く存在する。それ自体は何の問題もない。ただ、ジャルジャルが元日にYouTubeに投稿した『また今年も元旦に出会った涙腺コルクとチャラ男番長って奴』をジャルジャルYouTubeをこれまで観てこなかった人が楽しめるはずもないのと同様、五分前に存在を知ったお笑い芸人がもしも内輪ノリ全開のネタやトークを披露した場合、到底楽しめるはずはない。「僕のライブの常連客のよねやんがこの前、酒の席でさ〜」とか言われても「芸人仲間のかささぎモンキーズのテツのモノマネしまーす」とか言われても知らないし、しかし「誰やねん、知るか!」というツッコミも意味をなさない。ダウンタウンの浜ちゃんがしばしばテレビ番組で披露する「誰やねん!知らんわ!」芸は、圧倒的な名声と実力を誇るダウンタウンが、テレビというマスメディアの枠組みの中に現れた無名の人物に対して放つから、浜ちゃんのキャラクターと相まって芸として成立しているのだ。会員制の文学バーに乗り込んだ浜ちゃんが「トマス・ピンチョンって誰やねん!」と声を荒らげたところで、総スカンを喰らっておしまいだ。民家で開催されるトリッキーなライブを観に行って、内輪ノリだらけだったとしても、「いや、ファンのためのライブなんで。沢田研二も、往年のヒット曲とかあんまりコンサートで歌わないらしいですよ。それと似たようなもんです」と言われれば何も言えないし、それに入場料1,000円を払うのは御免だ。

 かと言って、今から九月というお笑い芸人について調べまくり、評判を漁ったりYouTubeでネタをチェックしたりするのも違う(noteの自己紹介欄に「YouTubeに毎日コントを投稿しています」と書いていた。ジャルジャルが好きなので特に何も思わなかったが、今思えばこれもなかなかストロング・スタイルだ)。俺は、「たまたま出会った謎のライブで、知らない芸人のコントをよく分からないまま観る」という体験がしたいのだ。内輪ノリだったら、すぐに出ればいい。お笑いライブに擬したカルト教団の儀式だったりマルチ商法講座だったりしたら、全力で逃げればいい。俺は全然博識ではないが、唯一自分の性格についてだけは、チコちゃんよりも詳しく知っている。ここで踵を返して駅に戻れば、後々絶対に後悔する。

 QRコードを読み込むと、Googleの送信フォームが表示された。簡単な質問に二つ答え、送信すると、住所が表示された。入場のための合言葉でも表示されるのかと思ったが、住所だけなら別に送らんでよかったな、まあええか。ということで、再び民家に近付き、玄関へと足を踏み入れる。扉は開いており、女性に挨拶をされた。消毒を促され、「そういえば性別を知らん。この人が九月って人か?」と思っていると、「そちらの部屋に入っていただいて」と案内された。

 扉を開けると、薄暗い和室の中に上下黒の人物が立っていた。畳の上には、布団が敷かれていた。「あー、これは今から信者の娘(可愛い、かつ教団のことを内心毛嫌いしている)が教祖様相手に聖なる儀式と称したグロテスクな行いを強要されるパターンやな」という、手垢の付いた妄想が一瞬頭を過ぎったが、どこにでも座ってくださいというジェスチャーと共に「あ、どうぞ、お構いなく」と上下黒の男性が言い、その穏やかな声色に「あ、大丈夫そやな」と安堵して、軽く会釈をしながら扉のすぐそばの畳に胡座をかいて座った。声の主が、九月氏らしかった。客は俺以外に三人いた。

 九月氏は、二言三言何か言ってから、コントを始めた。それから、延々とコントを披露し続けた。ちょいちょい合間に喋ったりトイレに行ったりはしていたが、これを72時間やっているとすると相当な気力だ。しかも、この手のライブをよくやっているらしい。

 そして肝腎のネタだが、面白かった。俺は日常会話やバラエティ番組ではフツーに声を出して笑うが、シラフの状態で漫才やコント、喜劇映画や落語、小説や漫画といった創作物に触れても、声を出して笑うということがあまりない。頭の中では「オモロいなあ」と思っていても、声を出したり手を叩いたりして笑うことはさほど多くない。作品/虚構というものをある種、特別視しているからかもしれないが、明確な理由は自分でも分からない。

 だから当然、九月氏のコントでも声を出して笑うことはなかったが、ただ、ずっとニヤニヤさせられた。ニヤニヤさせる笑いより爆笑を生む笑いの方が上とは限らない、とケラリーノ・サンドロヴィッチいとうせいこうとの対談で語っていたが、完全に同意だ。設定の面白さやオチの上手さが魅力に感じるコントもあったが、九月氏のどのコントにも通底していたのは、なんか気ィ付いたらニヤニヤしてもうてるわ、という不思議な魅力だった。

 正味な話、そこまでピンとこなかったネタもあるが、延々と見てられる豊かさがあった。あかん、ぼちぼち切り上げな、難波行って映画も観たいのに……と思っていると、喫煙所のコントが始まった。恐らく喫煙者なのだろう、マイムが上手く、無性に煙草が吸いたくなったので、ちょうどええきっかけやと思い、退室を申し出た。貴重でユニークな体験だったし、テリー・ギリアムにベットする予定だった金が余っているので、応援入場代2,000円を支払って家を出た。結局、塚口駅周辺のお店の新規開拓は果たせなかったが、この世界が仮想空間ではないという実感を得られることはできた。高次元の存在だの人類を支配するAIだのに、あのニヤニヤした笑いの機微は分かるまい。

 駅前に着くと、灰皿があったので、煙草を取り出して吸い付けた。イヤホンをして、音楽を聴く。曲は、Earth, Wind&Fire『September』だ。煙が肺に沈むのを感じながら、悪くない休日だと思った。Ba De Ya。終わり。