沈澱中ブログ

お笑い 愚痴

祖母宅にて

2020年6月20日。朝からパチンコを打ち、8,500円を失った。霜降り明星版ダンシング・ヴァニティ、もといオールナイトニッポン0をリアタイして寝不足だったせいで、調子が出なかったのだ、ということにしておく。

それから、79歳の祖母と待ち合わせをし、焼肉を奢ってあげた。祖母の誕生日祝いだ。祖母は日頃人と喋る機会がさほど多くないせいで、焼肉を食いながら古舘伊知郎ばりに喋り続けていた。8年前に他界した夫の命日が2日後(6月22日)に迫っているためか、延々と祖父の話をしてくれた。安い日本酒を飲み倒して朝も夜も酔っ払い、今や廃盤になってしまったエコーという煙草をこよなく愛していた祖父。禿げていて、いつも腹巻とステテコ姿で、何処となく品川徹に似ていて、俺と兄貴の区別が最後まで付かなくて、小泉純一郎を筆頭に政治家のことが大嫌いで、中卒で、声といびきがデカくてやかましい人だった。そんな祖父のことが、俺は大好きだった。必ずしも正しい人ではなかったが、一本筋の通った人だった。RHYMESTERが名盤『Bitter, Sweet & Beautiful』で「正しさだけじゃ生きていけない/美しく生きよう 美しくあろうと願い続けよう」と告げるよりも前に、俺は祖父の姿を見て、美しく生きることを胸に刻んでいた。

飲んだくれの夫だったが仕事をずる休みしたことは一度もなかった、職人として周囲から尊敬されていたと、祖母は誇らしげに語ってくれた。酔っ払ってよう偉そうにわーわー言うてたけど、家の中でしか騒がん内弁慶やったと慈しむような顔で言っていた。退職して一日中家にいる酒と煙草塗れの祖父しか知らなかった俺は、「孫としてはオモロくて好きなじいさんやけど配偶者としては最悪やろ、よう何十年も一緒におれたなあ」と思っていたが、「シャキッとしてる部分もあったんやで」と懐かしそうに笑う祖母の顔を見て、疑問は氷解した。

焼肉を食べたあと祖母の家に泊まり、翌日、つまり本稿を記している今日の昼間、俺は祖母と一緒にバカリズムライブ「image」を観た。流石は天才バカリズムだけあってめちゃくちゃオモロく、祖母もよく笑っていた(幕間映像の「それはね」が特に俺の好みで、オチは格好良さすら感じました)。祖母の家に俺はしょっちゅう行っていて、そしてしょっちゅう一緒にお笑いやドラマ、映画を観ている。バカリズムラバーガールやナイツ、アンガールズ東京03爆笑問題ツーショット、勇者ヨシヒコやSPECも一緒に観た記憶がある。

夜は祖母に誘われて、『志村友達〜大集合SP〜』を観た。晩飯は養殖鰻と米と高菜の漬物と祖母お手製の茄子と胡瓜の漬物。デザートに佐藤錦まで付いてきた。『志村友達』を観ている間、祖母はずっと笑顔だった。ワイプに映る大悟や研ナオコ達と同じ屈託のない笑顔を浮かべ、時折声を上げて笑っていた。祖母は俺がテレビを観たり本を読んだりしているときも79歳の図太さを炸裂させて平然とガンガン話し掛けてくるので、「やかましいなあ!」と思うことも多々あり、現に昼間バカリズムライブを観たときも色々と話し掛けてきてそのたびに一時停止を余儀なくされたのだが、『志村友達』を観ている間は、CM中を除いてずっと画面に釘付けになっていた。まるで少女のような笑顔なので、ドリフを観ていた幼い頃を懐かしんでいるのかなと思ったが、よく考えると(というか、よく考えるまでもなく)祖母は79歳で、ドリフが放送されていたとき、既に大人だ。CM中に、「ドリフの全盛期のとき、何歳やった?」と尋ねると、30代で娘を二人育てていた(当然、うち一人は俺の母親だ)と答えが返ってきた。「ドリフを観せたらあかん家もあったらしいけど?」と訊くと、「ウチは観せてたよ。あの人(夫)は、こんなテレビ観たらあかんとかは言わん人やった」と答えてから、おかしそうに口元を手で押さえ、「そういえば、唯一観せたらあかんって怒ったんが、『ウルトラマン』や。怪獣が出てくるシーンで、こんな気色の悪いものを観るな!って物凄い怒ってた」と言った。俺が「それって娘達に観せたくなかったんじゃなくて、本人が怪獣にビビったから観たくなかったんやろ」と笑うと、祖母も「そうやわ。気ィ小さい人やったから」と笑った。

その後、居酒屋で飲んだくれた志村けんが隣の客(大悟)のビールを勝手に飲み、煙草を勝手に吸ってクダを巻くコントを観て、祖母はそれまでよりも深く、幸せそうに目を細めて笑っていた。

祖母が風呂に入っている間にこれを書いていたのだが、出てきたので筆を措く。多分また、色々と話し掛けられるだろうから。半分以上は以前も聞いたことのある話だろうし、構成などがしっちゃかめっちゃかで何を言っているのかよう分からんことも多々あるが、それでも聞こうと思う。おばあちゃん子なので。終わり。

タイトルは思い付かんかった

ここ数日で、ツボにハマったことが二つある。一つ目は、飯を食いながら動画を配信していたホリエモンが、寄せられた「ちゃんと野菜取って偉い」というコメントに対して、「野菜は美味しいから食ってんだ、馬鹿。ほんと死ね」とブチ切れている映像を観たことだ。キャシィ塚本を見ているときのような感覚に陥って爆笑したし、俺は怒りの沸点がおかしい人や譲れない些細なこだわりを持っていてそれに関わることについてはめちゃくちゃキレる人などが結構好きなので、危うくホリエモンのことも好きになりかけてしまった。キレ方に魅力がないため、すぐに醒めてしまったが。

ホリエモンとかひろゆきとかあのタイプの「頭が良い人」、九九を六の段までしか言えないチンピラに「ツラがキメェんだよ」みたいな頭おかしい理由でボコボコにされて欲しい。暴力という圧倒的な理不尽を前にしたとき、彼らのスタンスがどう変わるか見てみたい。

さてそのホリエモン、なんか都知事に立候補するとかしないとか、N国党から出るとかそれはデマだとか、色々と呟かれているのを見かけたが、情報をシャットアウトしているのでよう知らん。大阪府民なんで都知事が誰になろうとどうでもええし、石原慎太郎が13年間、小池百合子が4年間その座に居座ってきた時点で、ホリエモンがなろうがそう変わるまい。尤も、大阪府知事も碌でもない奴が選ばれたりしてんだろ、と言われれば返す言葉はない。

てか、改めて言及するのも何だが、N国党に票を投じた人は一体なぜ票を投じたのだろうか。N国党は「NHKをぶっ潰す」とは言いつつ、最終的に掲げている目標は単なるNHKスクランブル放送化(WOWOWのように、受信料を払った者だけが観られるようにするということ)である。やるなら解体を目指せよ、つまらん。大体、確固たる信念や理由のもと「NHKは国営放送たる責務を果たしていないから受信料を支払うに値しない」と思うのであれば契約しなければ良いし、何も考えずに契約しちゃったなら解約すれば良い。手間暇や金、工作は多少必要やが、契約しちゃったんだからそれくらいの労力は我慢しなはれ。

N国党に投票するなんてのは一人で戦う度胸のない腰抜けのすることだと思ってしまうのだが、もしかしてN国党に投票したのは「俺はちゃんと受信料払っているのに、何で払っていない奴まで観れるんだよ!スクランブル放送化すべきだ!」って考えの人達だったりするのだろうか。それならば合点する。

さて、ツボにハマったこと二つ目は、とある人(ゲイ)から聞いた、「ネットで調教してくれる相手を募集して、60過ぎの男性とメールのやり取りを重ねるようになったが、五回に一回くらいのハイペースで文章の最後に『人生変えちゃう夏かもね!』と記されているのがキツくて関係を絶った」という話だ。送られた側の視点に立つと、ノリがズレたおっさんに対して悪意ある笑いを向けてしまうが、つい浮かれて送ってしまったおっさんの側に立つと、何ともペーソスに満ちていて味わい深い。コミュニケーションの難しさを痛感する話だ。そういえば、コミュニケーションの齟齬から生じる笑いをコントで扱ってきたアンジャッシュの渡部が、複数の女性との不倫を認めましたね。これを機に渡部がキャラを変えて、「ビッグマックとポテトとバニラシェイク、結局これが一番旨いです」とか言い出したら笑う。もしくは、コントに再び熱量を注いでくれたら嬉しい。それ以外の感想は特にないです。浜ちゃんや03豊本の不倫を笑っちゃった時点で渡部を糾弾する資格は俺にはないし、俺自身、いついかなる場合や相手であっても絶対に浮気や不倫はしないとは断言できない。ブラマヨ吉田の言葉を借りれば、おちんちんに敗北する程度の脳味噌なので。

余談ながら、これを書いている今、「直撃LIVE グッディ!」で佐々木希のことを「世界で最も美しい顔100人に選ばれた」と報じてましたが、アレはアメリカのよう分からん個人ブロガー(まさに俺のような)が独断と偏見で決めているだけのランキングなので、そしてその事実は既に2018年には日本にも伝わってきてましたので、未だに在京キー局のワイドショーが輝かしい経歴と言わんばかりに報じちゃうのは、流石にメディアとしてのレベルが低過ぎないかと苦笑してしまう。そんな些細なことで?と言われるやもしれぬが。

ホンマは全く別の話をしようと思ってたんですが、だらだら書くうちに2000字が迫ってきたので、当ブログが選ぶ「日本の芸能界で最も交際したい人トップ10(存命の人物が対象)」を発表して筆を於きます。誰が興味あんねん!(©︎ヤナギブソン)

 

10位.小田朋美

CRCK/LCKSのボーカル・キーボード。可愛く、才能が豊かで、声が美しい。オッシャレー、以外の言葉を失うので、是非ご一聴を。https://m.youtube.com/watch?v=QBuuVlA-2qs

 

9位.神納花

AV女優。読みは、かのはな。旧芸名は、管野しずか。舌が長くてエロい。

近年、芸能人は政治的発言をするな、と叫ぶ人々が指す「政治的発言」は大抵「政権批判」と同義なので首肯できませんが、時折そう言いたくなる気持ちが分かることもある。本業で優れた功績を残している人が、頭の悪さや教養のなさが露呈するような政治的発言をしているのを見ると、ファンとしては結構悲しいのだ。右翼でも左翼でもラジカルでもリベラルでもアナーキストでも共産主義者でも結構だが、馬鹿ではあってくれるなというのが、優れた表現者のファンが言いたいことだ。AV女優の中には、浅い見識で社会を斬るツイートをしている人もおり、そうしたツイートを見ると、「この女優は絶対サンプルでだけ抜いてやる」と崇高な誓いを立てるようにしているのだが、その点、神納花はプロフィールに「セックスや性や生について日々色々考えてるAV女優。 みなさまへのお願い:わたしの出演作でなくてもいいのでAVを一本でも多く購入して観覧してください」と記している通り、そうしたツイートを日々真面目にしている。その姿勢を目にすると、よろしゅうおまんがな、と感じて、ついついFANZAの購入ボタンを押してしまうのである。

 

8位.磯貝初奈

中京テレビのアナウンサー。『オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。』というオモロい番組の2代目アシスタント。初代アシスタントが強烈な個性を放っていたため、当初は物足りなさを感じたり、オードリーのあからさまなフリを見逃すのを見て「この先大丈夫か?」と思ったりしたが、次第に番組にも慣れていき、気付けばその可愛さにやられていた。東大卒で、テッド・チャンの『息吹』を読むなど読書家の一面もある。真っ直ぐな童貞に向ける優しい笑顔と屈折した変態に向けるドン引きした顔が魅力的。

 

7位.杉咲花

演技が上手い。容姿が綺麗。ラジオでの喋り方や笑い方が可愛い。私服が全身真っ黒というのも良い。『十二人の死にたい子どもたち』はあんまオモロなかったが、ブチ切れる杉咲花を大音量、大画面で観られただけで少なくとも1,000円分は取り戻せた。しかしまあ、堤幸彦にしろ福田雄一にしろ、『ケイゾク』『池袋ウエストゲートパーク』『TRICK』『勇者ヨシヒコ』なんかを作れるのに、なんで近年の作品、特に映画は……って話はまた機会があれば。

 

6位.みちょぱ

ギャルが好きで、生意気なくらい気の強い女性が好きなので、そりゃみちょぱは好きです。特に黒ギャルが好きなので、まだまだ白過ぎますけど。最低でもRUMIKAくらいの黒さは欲しい。というか、AV女優が飽和している現代において、黒ギャル女優の逸材はRUMIKA以降出てきていないことについてはどう思いますか。ある種、医師偏在や貧富の格差拡大にも通じる問題やと思うんですが。とかみちょぱの目の前で力説して、知らねえわって半笑いで蹴られたいっすね。あと、アメトーークの「みちょぱスゴイぞ芸人」はつまらなかったです。

 

5位.菅田将暉

ジェンダーフリーのご時世なのでランクイン。演技も歌も良いし、可愛くて格好良くてエロいので、普通に抱かれたいです。Creepy Nutsとのコラボ曲、楽しみっすね。俺達世代の「今夜はブギー・バック」になるか。

 

4位.佐藤栞里

伊集院光が「素の状態で加工した梨花と同じくらい綺麗」と評していた佐藤栞里だが、確かに笑顔が素敵過ぎまさあね。デートしたい。今このブログを書きながら有吉の壁を観ており、水中から現れたパンサー尾形が「大ドクターフィッシュ」つって相方らの足を舐めた流れで佐藤栞里の足も口に含んでいたが、普通に殺意が芽生えました。

 

3位.満島ひかり

高校生の頃、園子温監督の『愛のむきだし』を観て惚れた。『ファニーゲーム』とか園子温作品とかはこれ見よがしの過激さに鼻白んでしまい、全然好きにはなれないのだが、満島ひかりに出会わせてくれたことは今でも深く感謝している。『カルテット』も『それでも、生きてゆく』も『監獄のお姫さま』も最高。俺は満島ひかりが、現役の女優の中で一番だと思っています。全く同じ意見を、稀代の名優・坂上忍も言っていたので、間違いないです。https://m.youtube.com/watch?v=_2quiyHfJQw

 

2位.鳥居みゆき

オモロくて美しい。煙草を吸っている写真をいつまでも見ていられる。両手を広げて灰皿として差し出したい。エドワード・ゴーリーって残酷で怖くて美しい作品を描く絵本作家がいて、キンコン西野ゴーリーを好きと語っていたときには「うわあ、いかにもな自己プロデュース!うっぜえー」と思いましたが、鳥居みゆきゴーリーを好きだと語っていたときには「やっぱゴーリーええよね。流石は鳥居みゆき、センスええわ」と思いました。これを世間では差別と言います。

 

1位.小池栄子

小池栄子です。説明不要ですね。小池栄子です。

 

以上でーす。気が付きゃ梅雨ですね。それが明けりゃ、もう夏ですよ。各自、人生変えちゃう夏にしませう! 終わり。

リクルートスーツの無個性さとやらについて

僥倖に恵まれたお陰で無事に内定をゲトったので、映画観てメキシコ料理食ってパチンコ打ってバーで酒飲んで煙草吸って電車の中で本を読みながら帰宅するという、健康で文化的な最大限の生活を送っている。

俺は就活に際して、黒のリクルートスーツを購入しなかった。買おう、という気すらなかった。理由は単純で、紺のスーツを既に持っていたからだ。だから、これ着て就活したらええわとしか考えていなかったのだが、先日某スーツ屋の前で黒のスーツが「就活生応援」として売り出されているのを目にし、ふと「リクルートスーツってそもそも何なんやろ」と疑問に思ったため、調べてみた。

リクルートスーツとは、1970年代からデパートが主導して広めたものだそうだ。就活向けのスーツの特売、と大々的にキャンペーンを売って大儲けという戦略だ(それ以前は何と、学生服で就活を行なっていたのだとか!オモロい)。

さて、その後1980年代に入るとリクルートスーツが学生服を駆逐していく訳だが、この当時のリクルートスーツの色は紺が主流だったという。それが、2000年以降に入ると、黒が主流に取って変わったそうだ。理由はよう分からん。

ともあれ、俺はあたかも「リクルートスーツ」という、そういうスーツの形態があるのだとばっかり思っていたが、実は単に、スーツ屋やデパート等が、黒(かつては紺)の安価なスーツを「就活にはこれ!リクルートスーツです!」と銘打って売っているだけの話なのだ。

最近Twitterを始めたので、「リクルートスーツ」で検索を掛けてサーチしたところ、リクルートスーツの無個性さを揶揄/批判している人は少なくなかった。だが、あんなものは別に単なる「就職活動における制服」以上の意味はない(元々は学校の制服で就活をしていたのだから、それがメーカーの営業努力によってスーツに変わっただけだ)。まあ、既にスーツを所有している状態で新たに就活のためだけに安いスーツを買うのは俺もアホらしいと思うが、にしたってやたらとリクルートスーツを揶揄/批判する理由が分からない。大勢の人々が、画一的、無個性、管理教育がどうのこうのと言い、Why so serious,inc.のCEOを務めている「さいとーだいち氏」(寡聞にして存じ上げないが、多分凄い人だ)なんかに至っては、「就活、かっこ悪い!就活は茶番でコスプレだ!就活というシステムに繋がれた奴隷たちよ!そんなものは現実じゃないんだぜ!ESには言いたいことだけ書きましょう!リクルートスーツとか(笑)そんな就活してたらドワンゴに拾ってもらったので僕は就活かっこ悪いと思ったままです」と、奴隷という言葉まで使って笑っている。また、黒のスーツや紺のスーツそのものまでを無個性だなんだと言う人も少なからずいたが、黒や紺のクラシックなスーツそれ自体には別に何の罪もない。安い黒(かつては紺)のスーツをメーカーが「リクルートスーツ! 就活生はこれを着るべし!」と売り出しているだけで、黒や紺のスーツを着たお洒落な人や個性的な人は大勢いる。

さて、リクルートスーツを揶揄するツイートを大量に目にし、俺は思った。この人ら、そんなに個性的なんかな?と。これほどリクルートスーツを揶揄するからには、さぞ個性的でハイセンスで仕立ての良いスーツをお召しになっているのだろう。当然、日本人男性のほぼ全員が守っていない「着席時にはジャケットのボタンを外す」というマナーもさり気なく守っていることだろう(有名人で座るときにボタンを外していたのは、俺の知る限り、蓮實重彦バカリズムだけだが)。いや、スーツは着ませんねんという人なら、その代わり、さぞアヴァンギャルドな私服で日々を過ごしているのだろう。とある人が、やたらと高級時計に執着する売れっ子芸人や成金は、それほど高価ではない衣服や時計をお洒落に合わせて着こなすセンスがないからブランドに縋るしかないのだと述べていたのだが、リクルートスーツの無個性さを揶揄する貴方は、きっとそうしたセンスも持ち合わせており、さぞ目を見張るようなファッションを披露してくれるのだろう。是非とも見せていただきたいものだ。

なんて嫌味をうだうだ言うのはこのくらいにして、ホンマに言いたいことを言うが、若者は無個性だ、画一的だ、管理教育がどうのこうの、なんて言ってるそこの個性豊かな貴方、貴方の言っているそれは、「最近の若い奴は……」という言説と何ら変わらない。そしてその言説は、時間も場所も超えて数多の大人達が口にしてきた、極めて無個性で画一的な発言だ。

リクルートスーツの無個性さを揶揄/非難する人の果たして何割が、学校の制服や校則にまでその矛先を向けただろうか。「世の中に蔓延る同調圧力や不可思議でくだらない習慣のうち、リクルートスーツはその違和感や気味悪さが特に露骨で分かりやすいから、そしてそれを揶揄/非難したところで反論する者がいないから的にしただけ、所詮は就活生の無個性さをあげつらうことで己の個性を誇示したいだけ」というのは、ねじくれ曲がった俺の邪推でしょうか。

就活生は「無難やし着とくかー、まあ、デメリットはないしなあ。そんな高いもんでもないし」程度の気持ちでリクルートスーツを着ている。先述したが、制服感覚だ。あんなものを着たところで、彼らの個性や魅力は掻き消されない。と、まあこう言うと、「だから、そうやって唯々諾々と着ちゃう時点で無個性なんだよ!私服で就活しろよ!」と反論する人もいるだろうが、あらゆる人間は絶対に何らかの規範に縛られて生きている。リクルートスーツ嘲笑組の皆さんも別の何らかの規範には従っているだろうし、それもその規範に従っていない人からすれば嘲笑の的だ。

リクルートスーツなんて無個性なもんはあかん、人間は好きな服を着るべきや、冠婚葬祭に適した服装とかフォーマルな服装とかドレスコードとか、そもそもそういう概念自体を崩しに掛からなあかんねん!」とまで言ってくれれば面白いのだが、そこまで気骨のある意見を持つ人は生憎殆ど見当たらない。みんな、リクルートスーツばっか、それだけ批判している。忌野清志郎の葬儀に革ジャンで参加した甲本ヒロトに「リクルートスーツなんて個性がないから、俺は好きじゃないな」とあの優しい口調と笑顔で言われれば俺も頷くが、就活に縁がなかったからリクルートスーツを着なかっただけで、他のあらゆる場面では別の何らかの規範に従っているような人々が、これ見よがしに自由人ぶってリクルートスーツを揶揄するのは、むしろ滑稽だ(俺は高校生のときに茂木健一郎の「近代科学の到達点と限界点を明らかにしつつ、気鋭の論客が辿りついた現実と仮想、脳と心の見取り図とは。画期的論考。」と銘打たれた著書『脳と仮想』を読んで「論理の飛躍と薄弱な根拠に基づく主張をロマンチックな文体とエピソードで誤魔化しただけの、要するにエッセイやんけ!」と思って以来、氏のことをあまり好きではないのだが、しかし少なくとも彼のリクルートスーツ批判は就活生のそうした気持ちなども斟酌した上で、新卒一括採用そのものへの疑問なども含めて展開されていた)。

リクルートスーツを安易に揶揄/批判している人のことを、俺は「型に嵌まりたくない!っていう型に嵌まっている人やなあ」と、まるで「レールの敷かれた人生なんざ真っ平御免だぜ!と叫んで非行に走るというレールに乗った反抗期の少年」を見るような目で見ている。視覚的にあからさまな無個性さを揶揄することで自身の個性の豊かさを嚙み締めている人々と、盗んだバイクで走り出し、自由になれたような「気がした」と歌った尾崎豊との違いに思いを馳せながら、本稿を終える。終わり。

 

 

Twitter、始めました。

Twitterを始めた。目まぐるしく変化する社会を予測することは個人レベルでは困難ですから、せめて変化を敏感に察知し、適応する力を身につけねばなりません、そのために私はTwitterアカウントを作成し、日々ニュースや話題とそれに対する人々の反応に目を通しています……という嘘をエントリーシートや面接で並べ立てているうちに、ホンマにやってみようという気になったのだ。アカウント名は最初、「ノッポさんbot」にしようと思った。閲覧専用のアカウントにして1つもツイートをしなければ、botやけれどもノッポさんbotやからずっと沈黙しているという超面白いギャグが成立する。ただ、俺はノッポさんがついに喋った『できるかな』最終回の9年後に生まれたため、ノッポさんに一切の思い入れがない。そこで、そのまま「沈澱中ブログ」とした。アイコンは、兄貴が昔くれた何処かの土産。ヘッダーは、俺が以前ガチャガチャで収集した阿修羅と色違いの雷神二体の小さなフィギュアだ。@〜は、最初意味のないローマ字の羅列だったが、@ChindenAtaruに変更した。沈澱中と書いて、実は「ちんでん・あたる」と読む。@〜がユーザー名だと知ったため、名前っぽい読み方にしてみた。そういや、『ハケン占い師アタル』というドラマが以前あったが、主演していた杉咲花は超絶素敵だ。彼女の冠ラジオ『杉咲花のFlower TOKYO』は、自分で何か喋っては自分で笑ったり喋る前に笑ってしまったりと、とかく笑い声に満ちており、聴いていてとても心地好い。杉咲花の軽やかな笑い声を聴いていると思わず頬が緩む。誘い笑いの極致というか、誘い笑いを主軸に番組が進んでいる。あらゆる深夜ラジオの笑い屋を全て杉咲花が担えば、「面白いんだけど、笑い屋の笑い声が耳障りで……」とため息を吐く御仁はいなくなるだろう。尤も、杉咲花を前にして毒や下ネタを慎む深夜ラジオパーソナリティは見たくないし、深夜ラジオパーソナリティが発する毒や下ネタにケタケタと笑う杉咲花もあまり見たくはない。

と、まあこんな感じでだらだらと文章を書いてしまうタチなので、140字で何か書くってのはキツい。かと言って、長文を140字ずつスライスしてツイートするなら、ブログでいい。そう悩んだ末に思い至ったのが、備忘録としての使い道だ。割とベタな使い道。ブログに書くほどではない映画や小説や漫画や音楽アルバムの一言感想、面白かったバラエティ番組やラジオのやりとりのメモetcだ。政治関連のツイートはしない。政権批判あるいは非政権支持者の批判を繰り返せばフォローしてくれる人が簡単に現れるだろうし、そうなれば、今は「備忘録として使うから、別に0フォロワーでもええや」と思っていても、たちまち承認欲求の塊と化し、ついつい「アベシネ!」とか「チョンシネ!」などとツイートしてしまいかねない。過激派や差別主義者を生み出し、駆り立てる要因は、敵への憎悪ではなく、仲間や支持者からの声援だ。Twitterで延々と呪詛を垂れ流し、ぽつりぽつりと仲間を増やしていく醜悪なRPGは、健全な魂を殺す。そうならないように、魂を飲み込まれない範囲で、Twitterを使うつもりだ。俺はもし人生がしっちゃかめっちゃかになったら自動小銃を買って国会に乗り込み、スカーフェイスごっこして盛大に死んでやるというパワフルな決意を心の底で最後の一線として抱いているので、まあナンボ政治が悪くなろうとも政治のツイートはせずに、ボチボチ呟いていくつもりだ。

プロフィール欄には「はてなブログやってます。お笑い/映画/小説/音楽」といったよく見る趣味の羅列を記そうとしたのだが、「#〜な人と繋がりたい」というヤツや何らかのコミュニティに自分から入っていくことのできない厄介な自意識を抱えているので、そんなアカウントでプロフィール欄だけまともでもなあと苦笑した末、「ワンクリック詐欺です。https://uriver.hatenablog.com」という超ハイセンスな自己紹介を思い付いたのでそれにした。

あとは間違えて個人情報を晒さないことと、誰かにクソリプを飛ばさないことだけ気を付ければ良い(フォロワーの多さやRT・いいねの多さを誇らしいと思う感覚は理解不能だが、フォロワー10人未満とかで誰かに噛み付くリプライを飛ばしている奴は大概イカれている)‥…と思い、試しに投稿したブログ記事を二つ添付してツイートしてみた、その矢先の出来事だった。木村花さんというプロレスラーの逝去が報じられた。テラスハウスに出演していた彼女は生前、数多の誹謗中傷を受けていたそうだ。それを苦にした自殺だろう、そうした誹謗中傷は最低だ、誹謗中傷されたくなけりゃTwitterなんかやるな、誹謗中傷を批判する者は木村花さんが死ぬ前になぜ何も言わなかったんだ、今更言うなんて偽善だ……等々、様々な意見でTwitterは溢れていた。テラスハウス的なものに一切の関心はないし、そうしたしゃらくせえコンテンツを揶揄するためにわざわざ見ることもサブいと思っているので、木村花さんのことは今回の件で初めて知った訳だが、俺は木村花さんの死に対する様々な意見に目を通して、ふと疑問に思った。何故この人達は、木村花さんの死は自殺だという前提で話を進めているのだろう。まだそのとき、訃報が出た僅か数時間後だった。彼女が生前誹謗中傷を受けていたことが事実でも、死の直前にリストカットの写真を投稿していたという情報があったとしても、明らかにされていない死因を自殺と確定した上で何かを論じるのは違うと思うのだが、俺が過敏なだけだろうか。木村花さんの死因が何であれ、彼女への誹謗中傷は許されざる行為だ。そう語ることに何の問題もないが、自殺と断じた上でのツイートがあまりにも多過ぎやしないか。橋下徹のような逆張りをしたいのではなくて、純粋にそう思う。その可能性を疑わせる情報が確認できたからと言って、すぐさま「木村花さんは誹謗中傷を苦に自殺した」という筋書きに沿って大多数の人が抵抗なく何かを語ることに、一抹の恐ろしさを感じた。語っている内容が「誹謗中傷はいけない」という正論だから良いではないか、という考え方なのだろうか。木村花さんの死因が公表されていない段階で、「木村花さんへの誹謗中傷のように、不特定多数が個人を攻撃することは許されない」と語ることと「木村花さんへの誹謗中傷が彼女を自殺に追い込んだのだから、彼女を攻撃していた者は許されない」と語ることの差について、無頓着で無自覚な人があまりにも多い。自殺に限らず、人というのはとても呆気なく、軽く、冷たく死んでしまうものだ。だからなおのこと、その死を語る際にはもっとセンシティブになるべきだと俺は思うのだが、どうやら多くの人はそう思っていないらしい。春日の浮気が発覚したときにブチ切れた若林を気取る訳じゃないが、俺は自分の善悪の基準や倫理観、価値観に確固たる自信は抱いていないし、何ならちょこちょこバグってるとも思っているから、今回の件に関しても俺がひたすら過剰反応を示しているだけかもしれないが、でもやっぱ、「ちょっと合わんなあ、Twitter」と感じる出来事だった。

さて、誰かの死をブログで取り上げた場合、「ご冥福をお祈りします」で締めるのが正しいのかもしれないが、俺は丼物の上の半熟卵の如く、とりあえず置いときゃええんやろと言わんばかりに唱えられる「ご冥福をお祈りします」が大嫌いなので、言わない(無名の演劇人や芸人、ミュージシャンなどの訃報に際して、ヤフコメに溢れ返る「どなたか存じ上げませんが、ご冥福をお祈りします」という言葉は、一体どういう人間がどんな思いのもとどんな表情を浮かべて打ち込んでいるのか、甚だ疑問だ)。木村花さんの死を悼むことができるのは、彼女のことを真に大切に思っている者だけだ。木村花さんを誹謗中傷していた人にもそんな存在がいれば……と書きそうになったが、多分、木村花さんを誹謗中傷していた連中の大半は、ひとたびスマホやパソコンを閉じれば、目の前に大切な誰かがいると思う。家族や友人や恋人など、大切な存在が身近にいるのに、遠くの誰かを直接攻撃してしまえるのが、Twitterの悪しき特性であり、人間が抱えた醜さだ。色々書けば書くほど、Twitterを使う気がなくなってくるので、「猫 可愛い」で検索してみたら、可愛い動画が大量に出てきた。こういう点はいいね、Twitter。終わり。

一年に一度、思い出す人

とても曖昧な記憶なのだが、確か「伊集院光とらじおと」にゲスト出演したくりぃむしちゅー有田哲平に対して、同番組のアシスタントの女性が、「有田さんとは同じ番組で少し共演していた期間があるのだが、その番組が終わってから初めて有田さんと会った際に、笑顔で『久しぶり。俺、一年に一度は、○○(当該女性アシスタント)のこと思い出してたんだよね、元気かなって』と言われてとても嬉しかった。ずっと気に掛けていたんだよ、ではあまりにも嘘臭いけど、一年に一度っていうのがちょうど良くて嬉しい」といった趣旨のことを言っていた。そのエピソードをふと思い出したので、ついでに、俺にとってそんな存在の人はいるかな、と斜め上を見てみた。椎名林檎が好きだった元カノ……なんてのは却下だ。過去の恋愛なんてものは、箱に入れて鎖でぐるぐる巻きにして、記憶の海の底に沈めるのみだ。いつまでもグチグチと元カノにこだわるのは、新海誠にだけ許された特権だ。贅沢は味方、ノスタルジーは敵。

そこで思い出したのが、高校二年生のとき同じクラスだった女子生徒Tさんだ。恋愛関係ではなかった。あまり話したこともなかった。それがある日、調理実習の際に同じ班になり、不意に話し掛けられた。「この前、修学旅行の飛行機の中で○○君とスティーヴン・キングの話をしてたよね? チラッと聞こえて、めちゃくちゃ話に混ざりたかった」と。スティーヴン・キングのファンなのかと問うと、そうではないが、小説や音楽、漫画などが大好きで、でもあまりその話をできる友達がいないのだという。「あ、もしかして、YouTubeのコメント欄にしばしば出没する、『中学生/高校生でこんな音楽聴いてるの、俺だけなんだろな』的なマインドの持ち主か」と警戒したが、彼女は違った。

「マジで! Tさん、古本屋でガロ買うてんの?!」

「あ、やっぱガロ知ってるんだ!」

「うん。つげ義春、好きやもん。Tさんはどんな漫画が好きなん?」

古屋兎丸かなあ」

「読んだことないな。『帝一の國』とかの人やんな」

「そうそう。でも一番凄いのは、『Palepoli』って本。四コマ漫画を芸術の域まで高めてる。良かったら、今度貸そか?」

「うわ、ありがとう。じゃあ、俺の好きな、せやな、伊藤潤二貸すわ」

「わあ、是非! 読んでみたかった。他に好きな漫画ある?」

「『鉄コン筋クリート』かなあ」

「『ピンポン』の作者や! 貸して欲しい」

といった感じで、ただ単純に好きなものの話をできることが嬉しいらしかった。そしてそれは、俺も同じだった。好きなものが必ずしも一致する訳ではないけれど、とりあえず互いが発する固有名詞はおおよそ説明なしに伝わり、会話が滞りなく進み、弾む。その心地好さは、なかなか得られるものではない。

Tさんはピンク・フロイド毛皮のマリーズが好きだった。ドレスコーズは今ひとつしっくりこないと語っていた。貸してくれた『Palepoli』は確かに傑作だった。その数日後、「古屋兎丸の『ライチ☆光クラブ』も買って読んでみたけど、むっちゃオモロいね!」とLINEを送った記憶もある。伊藤潤二の『うずまき』を貸すと、Tさんは「めちゃくちゃ面白かった。また何か貸して欲しい」といったメモを挟んで返してくれた。だが受験で忙しくなったのかクラスが離れたのか、記憶が曖昧だが、とにかく、Tさんとその後それほど仲良くなることはなかった。そしてそのまま、高校を卒業した。

たった今LINEの友だち欄をチェックしたところ、Tさんのアカウントを発見した。100を越す「友だち」がラインに入っているが、誰やっけという人もたくさんおり、真に「友だち」と呼べるのは、多分10人もいない。Tさんは無論、その10人未満の中には含まれない。でも今一番LINEを送ってトークをしてみたいのは、Tさんだ。でも多分、連絡することはない。向こうもないだろう。まだガロ集めてんのかな、ドレスコーズは好きになったかな、俺は結構ドレスコーズもええと思うねんけどな、古屋兎丸の『帝一の國』の映画は観たかな、菅田将暉が好きやからか知らんけど俺は映画もオモロかったわ、Tさんはどないやったやろ、もしかしたら漫画とか小説とかへの興味は失って、カップルYouTuberとか観て楽しんだりして、それはそれで個人の自由やから全然ええねんけど、でも勝手なことを言えば、ピンク・フロイドを聴きながら丸尾末広とか読んでいて欲しいな……なんてことを、今日みたいに眠れない夜に思うだけだろう。俺は同窓会にも出ないので、恐らく二度と会うことはない。でももし仮に、何かの拍子に会ったときは、「久しぶり。俺、一年に一度くらい、Tさん元気かなって思い出しててん」と言うつもりだ。それでもし、「え、誰やっけ?」と反応された場合は、我が家にある古屋兎丸の本を全て売り捌いてやる。

さて、あなたにも一年に一度、思い出す人はいますか? なんて最後に読者に問い掛けりゃ、エモい感じで締まるかな。エモいって言葉、嫌いやけど。主人公が「感傷は敵だ」と語る某漫画のファンなので。以上、終わり。

細部に神を宿す前に、腐った骨組みをなんとかせえ

今このブログを読んでいる、そこのあなた。あなた、お父さんは亡くなっていませんね? ……と、まあこう文字にして問うと、「亡くなっていませんね? ってことは、まだ死んでないよね?って意味やんな」と解釈をする人が大半だろう。ところが、これが会話だったらどうだろう。

「えっと、そうですねぇ……。あなた、お父さんが……、亡くなって、いませんよね?」

ポイントはゆっくりと喋ること、「亡くなって」と「いませんよね?」のあいだに、完全に文章が途切れた訳ではない絶妙な間を作ることだ。すると、「まだ亡くなっていませんよね?」と「亡くなって、もうこの世にはいませんよね?」という二通りの真逆の解釈ができる問いに早変わりする。だから、問われた側は父親が死んでいようがいまいが、「はい」と答えてしまう(父親とは生まれた頃から音信不通なので分かりません、などの場合を除き)。

と、まあこれは今さっき思い付いた雑な例だが、占いってのは要するにこの程度のペテンの延長だ。言葉遊びを駆使したり、多くの人に当てはまる曖昧で大きな特徴をさもその相手にだけ当てはまるかのように言ったりして、相手の反応を引き出しながら少しずつ話の焦点を絞っていく。大半の占い師がしているのは占いではなく、客を相手にした詰将棋だ。

さて、ここで「大半の占い師」としたのは、俺が「ホンマやったら面白いから」を理由にあらゆる超常現象の存在を肯定しているからだ。本物の占い師も、この世にはきっといるはずだと信じている。であるが故に、インチキな超常現象を扱って飯を食う輩やそれらを検証もせず無責任に扱う番組に対しては、並の超常現象否定派よりも激しい嫌悪感を抱いている。だから最近、母親が『突然ですが占ってもいいですか?』というバラエティ番組にハマり出したときも、「こんなもん観なよ。昔も細木数子とか観てたけどさあ……」と苦言を呈した。だが返ってきた答えは、「信じてへんよ。信じてへんけど、暇潰しに見る分にはオモロいねん」だった。もし仮に我が家に視聴率調査のための機械が設置されていれば意地でも観るなと説得するが、幸か不幸か設置されていないので、それ以上は何も言わなかった。

俺がこの番組にムカつくのは、出演者が到底本物の能力を持っているとは思えないからという理由だけではない。一番の理由は、BGMの選曲がやたらと良いからだ。日本のHIP HOPを中心に、ええ曲をたくさん流している。プロデューサーだか演出だか知らんが、まさか藤井健太郎に憧れているのか? バラエティ番組なのにこんなハイセンスな音楽をBGMとして掛けちゃいます、ってのはまず最初にバラエティ番組としての確固たる骨太な面白さがあった上で細部にまでセンスをぶち込んでいるからクールなのであって、占い師連中が街角で突然ゲリラ的に占いを持ち掛ける「占い突撃番組」なんかのBGMにクラムボンNASTWIGYくるりやKICKや鎮座DOPENESSやゆるふわギャングや眉村ちあきラッパ我リヤmabanuaスチャダラパーとEGO-WRAPPIN'の曲を流されたところで、むしろダサい。当店は食器にまでこだわってましてねえ、つって洒落た北欧のグラスを差し出されたけど、中身ションベンやんけ、みたいな。いや、美女のションベンなら飲みたいけどさ。そういや中学のとき、「食うとしたらうんこ味のカレーかカレー味のうんこか、ってヤツをマジで議論してみようぜ」って休み時間に男子で盛り上がり、「おっさんのうんこか美女のうんこかでも変わってくるよなあ」と誰かが言ったのに対して、「え? 美女のうんこなら、カレー味にするのは勿体無いやろ」と素朴な顔をして言った彼は、元気にしているだろうか。元気にしているといいな。修学旅行の夜に学年の人気者2人が漫才を披露し、その場が爆笑の渦に包まれる中、俺と君だけが笑っていなかったのを覚えている。俺は「このネタ、ノンスモーキンのジャンケンやん。YouTubeに挙がってるやつや。それに較べて間もテンポも悪いし」とクソウザい独白をしながら斜に構えて笑わなかったし、俺の斜め前で同じく笑っていなかった君は、あとでさり気なく理由を問い質すと、「俺、いつも笑い飯の漫才とかで笑ってるから、あんくらいじゃ笑われへんねん」と澄ました顔で答えてくれた。でも今なら分かるけど、あのとき他のみんなは面白いからという理由以上に、楽しいから笑っていたんだよ、きっと。プロに較べて……とか言いながら小首を傾げていた俺達は、サブい奴らだった。たとえ仮に内心それほど面白いと思わなくとも、その場の暖かな雰囲気に浸って微笑の一つでも浮かべられる方が、人としてよっぽど素敵だ。

どうしてこんなことを思い出したかというと、昨日放送された水曜日のダウンタウンの「先生のモノマネ プロがやったら死ぬほど子供にウケる説」の中で1人、下唇を噛み締めてピクリとも笑っていない男子生徒を発見したからだ(番組内で無表情といじられていた先生の比ではない、マジの無表情だった)。あの死ぬほど盛り上がった空気に何らかの抵抗を感じたのか、はたまた感情が驚くほど表に出ないタイプなのかは分からないが、とにかく、彼を見て、修学旅行の夜を思い出した次第だ(もちろん、たまたまカメラに映ったときだけ笑っていなかったのかもしれないし、何か理由があったのかもしれないから、あの場で笑わずに無表情なんておかしいやろ、何やねん、あいつ…‥などとは断じて思わないが)。

あれ、もしかしたら、「突然ですが占ってもいいですか?」のような番組に対しても、ウチの母親みたいに腹を立てることなく面白がるような人の方が素敵なのかもな、と思い直して、昨日放送の「突然ですが占ってもいいですか?」の録画を観てみたが、沢村一樹が格好良くてみちょぱが可愛いこと以外はやっぱ観る価値なしだわ……と思わず舌打ちしてしまった。だが、目元をピンクの仮面で覆い、その上から眼鏡を掛けた色っぽいお姉さんが「ゲッターズ飯田の一番弟子 ぷりあでぃす玲奈」として登場した瞬間、腹を抱えて笑った。ゲッターズ飯田の一番弟子 ぷりあでぃす玲奈。声に出して読みたい日本語だ。最高過ぎる。「一丁前に弟子とってんのかよ」とか「一番弟子ってことは、他にも弟子おるんかい」とか「師弟揃ってなんちゅう名前や」とか「師弟揃って仮面の上から眼鏡やな」とか、とにかく色々と面白くて楽しい。あの番組を丸々微笑んで見る度量はまだ持てそうにないが、本物とは思い難い占い師に対して「このペテンが!」と眦を決するのではなく、「ゲッターズ飯田の一番弟子 ぷりあでぃす玲奈! 最高やんか!」と親指を立てられるくらいには、俺も大人になった。ぷりあでぃす玲奈で検索したらTwitterアカウントが出てきて、プロフィールの一番最初に「著書”30歳を超えた独身女は全員ファザコン!?」と記してあったので、記載されたamazonのURLをタップしてみたら、「何かお探しですか? 入力したURLが当サイトのページと一致しません」と表示された。ぷりあでぃす玲奈が間違えたURLを貼り付けたのか、何らかの理由でURLが変わったのにそのまま放置しているのか。いずれにせよ、お茶目で可愛い。

芸人の永野とももクロ高城れにがライブで、オレンジ色の目元を覆う仮面を付けて「浜辺で九州を自主的に守る人たち」というネタを披露したことがあるのだが、ゲッターズ飯田とぷりあでぃす玲奈の二人でリメイクして欲しい。「酒場で客を自主的に占う人たち」とかなら、「突然ですが占ってもいいですか?」のコンセプトそのままだし、ちょうどいい。東京から九州に来た人には優しく応対したのに、千葉から九州に来た人に対しては銃をぶっ放す……という元ネタの如く、相手が会社員や学生なら優しく占うけれど公務員だった場合は途端にゲッターズ飯田とぷりあでぃす玲奈が口を揃えて罵倒の限りを尽くす、みたいな展開はどうだろうか。多分日本で俺しか笑わないが、是非とも観たいものだ。ゲッターズ飯田。ぷりあでぃす玲奈。ラリー遠田の一番弟子とかも出てきたら最高やねんけどね。終わり。

江戸の風を嗅いでみたい

2020年5月5日の爆笑問題カーボーイの冒頭数十分のトークは、爆笑問題をやっぱ好っきゃねんと感じさせる放送でした(放送全体で一番印象に残っているのは、その後のネタメール「もし小池都知事が漫才師になったら、ツカミで『別嬪さん、別嬪さん、2メートル飛ばしてソーシャル・ディスタンス』」だったりしますが…笑)。

さて、同日放送の「伊集院光とらじおと」も、爆笑問題トークに負けず劣らずグッときた瞬間があった。伊集院の師匠・三遊亭円楽をゲストに迎えた事前録音を聞き終えた伊集院光が竹内アナに、「やっぱり、竹内早苗の仕業だったか(笑)でも、何かありがとうというか、恐らく望んでいたんだろうって気がします」と告げた瞬間だ。コーナー本編のやり取りの数々も良かったけれど、個人的に一番グッと来たのはあそこでした。

本編で円楽は、千原ジュニア風間杜夫などが落語に取り組んでいることについて、演じ手にせよ聴き手にせよ、落語に興味を抱く人が増えることは喜ばしいといった趣旨のことを述べていた。その言葉を聞いて、オリラジの中田敦彦が落語について語るYouTubeを観てみようと思った。あっちゃんと記載していないことから察せられるかもしれないが、俺は中田敦彦が好きではない。理由は、まあ色々と書けるっちゃあ書けるのだが、一番は、何か好きになられへん、という元も子もない理由だ。津原泰水の『赤い竪琴』という、平野啓一郎の『マチネの終わりに』と同じくらい好きな恋愛小説の一説に、「人はしばしば理由なく他人を嫌う。これは動物的な習性だから、自分にも他人にも制御のしようがない。分析できても対処はできない」というのがあるのだが、要するにそれだ。だから、ある日YouTubを漁る中で、落語を紹介する「中田敦彦のYouTub大学」を見つけたときも、ふんと鼻を鳴らして終いだった。のちに、立川談慶の著書に依拠した動画内容だという情報を目をしても、観る気にはなれなかった。でも、あの動画を観て落語を聞いてみた、観てみたというコメントを目にしたことがあるので、「落語に興味のある人を増やしている以上、ええ動画なんかもしれん」と考えを改めたのだ、円楽の言葉を聞いて。

そこで早速、【落語の歴史】の1と2を観てみた。落語の歴史や面白さ、他の伝統芸能との違いなどを中田敦彦が語るのを、「河合塾にこんな口調の講師おったなあ」とか「時間の関係か知らんけど説明はしょってんなあ」とか思いながら観たが、目くじらを立てて怒るような間違いはなかったと思うし、そうなんやと膝を打つような内容もなかった。でも、コメント欄で現役の落語家達が感謝を伝えているのを見たり、多くの人が落語に興味を持ったとコメントしているのを見ると、やっぱそれだけで充分ええよなあと思った。落語に関する動画は他に四つあったが、それらはサムネイルやタイトルから判断するに、名作落語のあらすじ解説だったので、観ずにブラウザを閉じた。

で、この動画を観たせいで落語が聴きたくなり、CDで笑福亭松鶴の『らくだ』を聴いた。1973年スタジオ収録、松鶴が55歳のときの音源だ。脂が乗り切り、絶品だ。何故か異様に艶っぽいだみ声と、荒っぽいのに品がある大阪弁。歯切れよく勢いたっぷりの口調。そして何と言っても、登場人物の演技が抜群である。『初天神』の父子の軽快な応酬、『高津の富』のおっさんの調子ええ法螺吹きっぷりと憎めない人間味、『貧乏花見』の貧しいながらも精一杯楽しんでやろうというバイタリティ溢れる長屋の二人など、松鶴の落語の登場人物はスマートで立派な人間ではないが、思わず好きになってしまう人間ばかりだ。それはもちろん台本の特性であるが、同時にやはり、松鶴の演技が見事だからこそそう感じられるのだろう。ちなみに、東出昌大笑福亭松鶴が好きらしい。味わい深い話っすね。どうでもいいが一応言っておくと、東出昌大唐田えりかの不倫は最低だ。でも、小籔千豊は数年前テレビで、「俺がこんな顔やなかったらもっと説得力があるんやけど」と自嘲気味に前置きした上で、こう言っていた……「不倫はアカン、最低や。でも、恋ってそうやん?」俺も全く持ってその通りだと思う。匂わせ云々も最低やが、こちらに関しては俺の恋人がこう言っていた……「私があの立場でも絶対匂わせはする。というか今なんて言ってようが、いざその立場になったら、女子の九十パーは匂わせする」そうらしいです、知らんけど。あと、東出昌大唐田えりかは杏を大いに傷付けたが、それでも二人が主演した『寝ても覚めても』が傑作であることに変わりはなく、黒沢清映画での東出昌大の不穏な佇まいの素晴らしさにも変わりはなく、『凪のお暇』やKIRINJIの『killer tune kills me feat.Yon Yon』のMVでの唐田えりかの素晴らしさにも変わりはない(『killer tune kills me feat.Yon Yon』を収録したアルバム「cherish」はその年ベスト級どころか、キリンジ〈KIRINJ〉の歴代アルバムの中でも屈指の出来栄えでした)。

さて、俺は落語にあまり明るくないが、『らくだ』を聴いていて改めて思った。笑福亭松鶴ほど酔っ払いの演技がうまい落語家はいないはずだ。CDやのをええことにホンマに飲んで酔うてんちゃうんか、と疑いたくなるような酔いどれ口調を聴いている内に、日本酒の味やそれを飲んだときの陶酔感を思い出し、ついつい酒を取りに冷蔵庫に向かってしまう。大して高くない日本酒も、松鶴の『らくだ』を聴きながらだと滅法旨い。ホンマは音源を聴くだけじゃなく動画で観たいんやが、今も残っているのは脳梗塞の後遺症が残った最晩年の映像が殆どで、最初から最後までずっと活舌が悪く、ホンマに悲しいが、あまり観てはいられない(桂米朝曰く、酔っ払いの演技をすれば活舌を誤魔化せるからと晩年は酔っ払いが登場する演目ばかりやったらしいが、正直、誤魔化せていない)。

俺が松鶴の落語を聞き始めたのは中学生のとき、『人志松本のゾッとする話』を某Tubeで違法視聴したのがきっかけだ。そこで笑福亭鶴光が、師匠の松鶴にまつわるゾッとする話をしていた。

松鶴の弟子として運転手を務めていた鶴光はある日、寄席の出番に間に合わないから近道のために一方通行の道に入れと松鶴に命じられる。逆走ですからと断ると、「誰が決めたんや。法律? 一般の法律はそうでも、噺家の法はわしや」と滅茶苦茶な返事が返ってくる。それ以上逆らえずに一方通行の道を逆走すると、向こうからトラックがやってくる。「クラクション鳴らせ」と松鶴に命じられ、逆らえずにクラクションを鳴らす鶴光。すると、屈強な運転手がトラックから降り立ち、スパナ片手に近付いてくる。「行け。行け、行け。芸人は修羅場をくぐって一人前や」と松鶴に言われた鶴光は、任侠の世界やないんやからと思いながらも車を降り、トラックの運転手に土下座する。必死で事情を説明し、何とか道を譲る約束を取り付けた鶴光は、車内に戻る。「でやった?」「何とか許してもらいました」「ほうか」松鶴は頷き、トラック運転手を指差して続ける。「あいつ、スパナ持ってたやろ? あいつがスパナをお前の頭にパーンっと振り下ろした瞬間、俺は出ていってあいつをボコボコにするつもりやった」「そのとき私死んでます」

俺はこのエピソードで爆笑し、落語など一度も見たことなかったくせに、落語みたいやな、と感じた。この強烈なエピソードと、鶴光が「ウチの師匠、笑福亭松鶴いうんですが」と語り出したときに松っちゃんが言った「大師匠ですよ」という合いの手、そしてネットで調べて出てきた松鶴の顔の得も言われぬ色気に心を打たれ、俺は松鶴の落語を聞き始めた。落語なんて小学生のときNGK桂文珍の噺を聴いた以外触れたことがなく、饅頭怖い以外の落語の演目を一つも知らなかったため、最初から全て面白く聞けた訳ではなかったが、分からないなりに聞き続け、気付けば好きになっていた。松鶴以外の名人もちらほらと観る/聞くようになった(古今亭志ん朝の芝浜を何の前情報も知識もなく観たというのは、今思えば贅沢だ。サゲで普通に、「おお、なるほど」って声出ました)。

初めて落語を聞いてから七年ほど経った。でもずっと熱心に聞いてきた訳ではなく、ファンと呼べるほど好きなのは笑福亭松鶴桂枝雀だけだ。特に江戸落語に至っては、殆ど無知だ。大阪の人間やから大阪弁の方が肌に合うというのもあるが、何より、志ん朝の芝浜にいたく感動したあとで聞いた志ん生が当時の俺にはピンとこなかったというのが大きい。以来、上方落語ばかり聞くようになってしまった。清水義範が好きなので、彼が原作の立川志の輔みどりの窓口」「バールのようなもの」だけは違法視聴してごっつオモロかったが、結局、江戸落語にがっつり手を伸ばすには至っていない(と書いてから思い出したが、サークルの先輩に「ラーメンズが好きなら観てみるといいよ」と勧められて観た柳家喬太郎はオモロかった)。

でも、そろそろ江戸落語を聞いてみようと思う。名人と呼ばれる人は一通り聞きたいし、何と言っても立川談志を聴きたい。松っちゃんのVISUALBUMを「見事ですよ」と褒めていたし、上岡龍太郎立川談志フリークだし、伊集院光爆笑問題、神田伯山らの話を聞いていると、立川談志を知らないのは損なんかもと感じてしまう。そして何より、中田敦彦の動画でも紹介されていた「業の肯定」という立川談志の言葉を俺も使いたいのだ。「業の肯定」という言葉はあらゆる文脈に乗せられて用いられているが、言うてる人の大半は多分、談志の落語を聴いたことないと思う。でも俺は何となく、談志の落語を聴いて自分の中で面白い/面白くないの判断を下したこともないのに、「業の肯定」というワードを借用するのが嫌だ。そうしている他の人を否定も批判もしないが、あくまでも自分の中で。

ということで思い立ったが吉日、Amazonで「立川談志全集 よみがえる若き日の名人芸」とやらを見たら、41,800円也。どっひゃーだ。高校生のときには数年分のお年玉をはたいてチャップリンのDVDコレクション7万円超を購入し、大学一年生のときには笑福亭松鶴のCDを二万円以上分購入したが、そのときよりも財布に余裕のある今、とても立川談志に四万円は出せない。これは、好みに合うかどうか分からない落語家に四万円は出せないという話ではなく、落語のDVDに四万円出すならその金で旨い酒を、飯を、恋人と色々……といったことを考えてしまうようになったからである。僅か数年の間に。芸術文化より肉欲。知的な興奮よりも肉体的快楽。これが畜生の浅ましさ。終わり。