終わり。

 おはよう、フェルプス君。さて、今回の記事だが、2018年12月31日に開設し、お笑いを中心としたエンタメの感想と時事問題への意見と身の回りの愚痴を書き連ねてきた当ブログの更新を終了するという報告である。例によって君もしくは君の仲間が当ブログのコメント欄、あるいはTwitterのDMにメッセージを送ってきても、当局は一切関知しないからそのつもりで。なお、この記事は5秒後に自動的に消滅する。と言いたいところだが、半永久的に消滅する予定はない。

 という訳で、令和にあえて『ミッション:インポッシブル』のイーサン・ハントではなく『スパイ大作戦』のジム・フェルプスをチョイスすることで個性を出そうとするような鬱陶しい当ブログは、クローズすることに相成りました。閉鎖記念に同人誌を編んでみようかとも考えましたが、ブログ開設時の初回記事を読み返したところ「誰にも読まれずにネットの海の底に沈んでいく。死体の山のように雑文が堆積していく。だから、沈澱中ブログである。」と記していたので、大人しくネットの海の底に沈んでいくことといたします。

 ブログを開設したときは19歳の大学一年生でしたが、今ではもう26歳です。人生の節目となるイベントが盛り沢山の7年間でした。新卒で就職して務めた会社も退職を検討し始めているし、俺も三つ上の兄貴も結婚して、兄貴は一児の父に、四つ上の従姉は結婚して二児のママになりました。俺はゆるやかな反出生主義者だから子供を欲しいと思わないが、他人様に関してはどうでもいいし、身近な愛する人に関しては、その子供を抱くと感動しました。人間、そんなもん。ブログ開設時はコロナ禍の到来も想像だにしていなかったし、ロシアがウクライナ侵攻などという暴挙に出るとも思っていなかった。結構長い年月が経過したんやなあと感慨深いです。

 残念ながらブログは一度もハネずバズらず、カリスマブロガーや人気ライターの仲間入りを果たすこともなく、アフィリエイト収益を得ることもできず、てか最後は元々やる気がないつーかNISA同様仕組みも何も殆ど分かっていないだけですが、まあとにかく、自己満足だけで続けてきたブログの割に、結構楽しかったです。思考の整理やストレス発散になったし、記事にはてなスターが付くと嬉しかったし、素敵なブログを書く人達とインターネッツ上で一瞬の交わりがあったり、コメント欄やTwitterのDMにわざわざメッセージを残してくれる人がちらほら現れたりしたときには、「うわあ、なんか俺、現代の若者っぽい!」と感動しました。そのうちの一人と実際に会い、今では心の友になったので、「大人になったら友達ができない」という言説は嘘、とは言わないが、まあ、ケース・バイ・ケースだと述べておきます。ちなみに、本当はこのブログのクローズに合わせて全ての記事を削除するつもりでしたが、心の友にその旨伝えたところ消すのはけしからんと猛抗議を受けたため、残すことにいたしました。跡形もなく消滅するという俺の美学には反しますが、まあ大抵の場合、友情は美学より大切だ。

 さて、ブログの更新終了についてですが、「松本人志について自分の中でまだ結論が出ていないから、そして恐らく、結論は出ないから」が主たる理由です。俺にとってお笑いとは、ダウンタウンでした。すなわち、松本人志でした。他の芸人を見ても常に、松本人志の笑いを物差しにして見ていたことに、遅まきながら気が付きました。松本人志とここが共通している、ここが違う、ここが似ている、ここに影響を感じる、ここに影響から逃れようとした痕跡を感じる、全然影響が見て取れない、といった風に。松本人志の高みにどれだけ近付いているかがその芸人の面白さだったし、松本人志のセンスとどれだけズラした笑いを生み出しているかがその芸人の個性だと、俺は思ってきました。あ、ダウ90000の蓮見翔がノブロックTVで小林賢太郎について同じようなこと言うてたのを思い出しました。パクってしまいました。

 松本人志のいない芸能界にほんの少しワクワクする、それよりずっと寂しいけど……てなことを松本人志が活動を休止した初期段階にブログで記しましたが、いざそれが続くと、少しのワクワクは消えて寂しさは募り、お笑い全体に対する熱が下がってしまいました。

 松本人志の一件についての感想は過去の記事で書いたのでここでは繰り返しませんが、まあ一言で言えば、俺はこれからも松本人志をずっと好きだし、これまでのように好きではい続けられない。

 冒頭で「お笑いを中心としたエンタメの感想と時事問題への意見と身の回りの愚痴を書き連ねてきた当ブログ」と記しましたが、最も好きな芸人である松本人志について結論が出ない以上、お笑いの感想を書くモチベーションは低下する一方です。時事問題に関してはブログに記す以外の手段で考え続けるでしょうし、身の回りの愚痴はまあ、腹に溜め込みます。ブログで散々あらゆる愚痴をこぼし続けてきましたが、日常生活では愚痴を言いません。親密度に関係なく、知り合いに愚痴をこぼしてスッキリするという感覚がない。だから、腹に溜め込みます。こういう奴は鬱になりやすい典型的なタイプだと何かで読みましたが、言えないものは言えない。だから最後の愚痴をここに残しておきますが、もう俺はね、この世界に心底うんざりしています。こんなこと言うと「26歳にもなって厨二病(伊集院光が提唱した意味ではなく、他人への揶揄や攻撃の手段に成り下がってしまったつまらないミームの方)かよ」と突っ込まれそうですが、この世界と我々人類はどう考えても異常で過剰で愚かで狂っている。とても美しい瞬間や営みは数多あれど、そのすぐ隣に、地続きに、グロテスクな歪みが生じている。俺一人ではどうしようもないことだし、というか人類が物心ついてから一度も解決できていない問題、つーか人類の存在それ自体が孕む狂気なので、どうしようもない。どうしようもないが、それを直視したり目を逸らしたりするのがもうしんどい。辟易する。かと言って、別に人類は滅ぶべしとは思わない。出生はどう考えても親のエゴだとは思うが、他者にその思想を啓蒙したり子供を産み育てる選択をした人を糾弾したりする気もさらさらない。俺には、エゴを通す覚悟がないというだけの話だ。我が子がどんな風に生まれて育っても絶対に愛せるという自信はないし、我が子が「生まれてこなければよかった」と思わないように育て上げる自信もない。俺はかなり親に愛されてきたし親のこともマジで愛しているが、それでも俺の性格はこのように捻くれてしまった訳だから。

 ただ俺は希死念慮を慢性的にうっすら羽織っている反面、死への恐怖心もめちゃくちゃあるんで、自殺する可能性は今のところ低い。結局、惨めったらしく生き続けてしまうでしょう。いや現状、まあまあハッピーに生きているし、トータルで言えば生まれてきてよかったと思っているし、人生を舐め腐ってはいるんですけどね。それでもなんかやっぱ、世界は牢獄、人生は終身刑、孤独と虚無が完全に癒えることはない、てな思いは完全には消えないんですよ。中坊のときからずっと、目の前に迫ってくる憂鬱の種が消えたと思ったら、すぐに新しいヤツがやってきます。鬱クリボーです。妻や家族や親戚は超愛しているし、友達と遊ぶのだって楽しい。でも、心の奥底の虚無は消えない。俺の性格のせいです、完全なる自業自得。でもだからこそ、解決策がない。進道塾の秘密奥義・煉獄を喰らっている気分です。誰か助けてくれ。本当にずっと死にたいんですよ、でも死ぬのは超怖いんですよ。メンド過ぎて草。最後なんでそりゃ、草とかも使っちゃいますよ。クソワロタwwww

 さて、以上の理由をもちまして、沈澱中ブログは終了いたします。死体は腐敗してガスが発生することで浮かんでくる場合もありますから、当ブログもいずれ再浮上しかねません。というか過去にも一度、ブログを飽きて辞めて、また再開したことがあります。

 いかんな、今回はガチで辞めます。ネットの海の底ではなく溶鉱炉に、右手の親指を立てながら沈んでいきます。いや、それはそれでI'll be backになってまうか。『ターミネーター』は1、2と傑作ですが、3も面白いですよ、世評は低いけど。

 最後に、一度でもこのブログを読んで面白いと思ったことがある全てのあなたへ。本当にありがとうございました。あなたの今後の人生がぼちぼち幸せなものになることを祈っています。愛しているとまでは言いませんが、あなたのことが大好きです。割とマジで、心の底から。

 以上、沈澱中ブログでした。さようなら。終わり。

選挙権は免許取得/更新制で

 ま、タイトルの通りなんですが、選挙の投票権は免許更新制でよかろう、というかそうした方がいいというのが俺の考えです。八年前、18歳で選挙権を得ましたが、割とすぐにこの考えに至りました。俺は政治家というのは党派問わず公約を守らない、守れないものだと思っているし、職業に貴賎はない訳ないだろ、政治家は賎業だ、全員嫌いだと思っている政治絶望人間なので、政治や選挙を茶番以上のものとして捉えたことはありません。基本的に、言論で世界は変わらない。世界を変える最も有効な手段は、暴力だ。ロシアがウクライナを侵攻してもアメリカがガザでの虐殺を支援していても許されるのは、最強の暴力たる核兵器を持っているからだ。別に許されている訳ではない、と言う向きもあるかもしれないが、虐殺を実行したり支援したりしている国を全世界が制止できていない時点で、許されているのと同義だろう。対米独立を果たしていない日本に住む者達が右だ左だに分かれていくら議論したところで、そもそもおままごとに過ぎない。右だろうが左だろうが真ん中だろうが、どうせ日本人は皆、上から押さえつけられている。世界最強の暴君に喧嘩で負けたからだ。大日本帝国が勝っていれば、今頃どれだけ他のアジア諸国への非道を続けていたとしても、今のロシアやアメリカのように許されていたはずだ。安倍晋三を批判していたあらゆる言葉の合計値より、山上徹也が放った二発の弾丸の方が大きかった。山上を肯定するとか称賛するとかいう話ではなく、現実としてそうだ。ペンは剣より強しと言うが、ペンは時に剣になり得るというだけで、基本的にはペンより剣の方が強い。メキシコの麻薬カルテルは沈黙しないジャーナリスト達を殺害し続けている。政治で国は変わらない。暴力革命でしか、変えることができない。暴力的な手段でしか、国は変わらない。選挙によって政権奪取したこともあるではないか。その通り。しかし、別に変わりはしなかった。悪夢の民主党政権だなんてネット右翼御用達のキラーフレーズは使わないが、政治というものがそもそも制度によって硬直化している以上、どの党が政権を握ろうが本質的な変化は訪れない。

 ただ、俺だって暴力革命は勘弁だ。革命が達せられたら、いずれ弾圧される側に回るだろうという予感がある。なんせ、悪名高きパチンコユーザーかつ喫煙者なので。倒幕は非暴力的な手続きに則って行われて欲しい。なら、緩やかな哲人政治が一番マシだ。民主主義は衆愚政治に直結している。大衆がヒトラーを生んだ、ポピュリズムを警戒せよと人は言うが、大衆に等しく選挙権がある以上、不可能でしょう。先の参院選での参政党の躍進を深刻に嘆いている人が大勢いたが、毎回よくそんなに選挙結果を悲観的に捉えられますな。現行の選挙制度が維持されている以上、そりゃそうなるでしょう。予想の範疇でしかない。参政党に投票した人にアンケートを取ったら、参政党の掲げるニュー憲法を読んでいる人が全然いなかった、そこに書かれている内容を知っている人が全然いなかった、っつー記事を流し読みしましたが、そりゃそうでしょう。みんな、そんなに選挙にも政治にも興味はない。参政党に限らず、どの党に票を入れた人も、そんなちゃんと情報仕入れてませんよ。俺は日本共産党に入れましたが、公約も何も読んじゃいない。自民党は嫌いだから野党で、維新も嫌いだからそれ以外で、泉房穂はどうせ通るだろうから入れてもつまらないのでそれ以外で、立花は笑顔が怖過ぎるし、参政党はカルトやし、諸派はよう分からんし、れいわは山本太郎が街頭演説のとき、ぜんじろうのオモシロスタンダップコメディに対して「ふぅ〜!」とリアクションしていたのがキツかったし、国民民主党は党首がグラビアアイドルと不倫していたのが羨ましくてムカつくし、社民党は弱過ぎるし、じゃあ日本共産党で。まあどうせ通らんから、「俺は選挙に行ったけど、投票した奴は通らなかった。いつもそう。この国が変わらないのは、俺とは違って当選者に票を入れた奴の責任です。バカばっかだ全く」というエクスキューズにもなるし、ちょうどええわ。こんな感じです。まあもっとぶっちゃけて言えば、候補者一覧のツラを見て、フィーリングで決めました。有権者としての怠慢だとムカつきますか? なら、俺みたいな奴からは選挙権を取り上げればいい。

 投票免許発行センターを全国に作り、年中無休で営業させておく。選挙権が欲しい人はそこで全100問のテストを受け、合格点に達したら向こう五年間、選挙に投票することができる。テストはマルバツと4択でいい。党派性によって見解の分かれるような問題ではなく、読解力や思考力を問う文章問題と政治経済の知識を問う問題だけでいい。次の文章を読んで、論旨として最も適切なものを四つの中から選べ。次の表とグラフから読み取れる情報として、最も適切なものはどれ? 日本は国連の常連理事国である。マルかバツか。第二次世界大戦の枢軸国は日本、ドイツ、あと一つは次の四つのうちどれ? 円安ドル高が日本経済にもたらす影響として最も適切なのは次のうちどれ? この程度の問題を何万、何十万問と用意しておいて、ランダムに100問出題すればいい。90点以上で、免許ゲットだ。テストは無料、何度だって受けていい。来場や受験が困難な身体障害者に関しては、対策を練って受験を可能にする。合格が難しい知的障害者から権利を奪うのか、と問われれば、そうだと頷く他ない。現在の選挙制度が既に、知的障害者有権者として掬い上げられてはいない。テストに年齢制限は課さない。たとえ小学生でも、テストに受かれば免許を交付する。

 こうすれば、必要最低限の論理的思考力と知識を持つ者だけが投票できるようになる。一票の重みは増し、政治家も今よりは格段に公約を守ろうとするだろう。投票免許を取得するような有権者は、公約を守らなかったことを絶対に忘れてはくれまい。政治や選挙に興味がない者は、手間暇を掛けてわざわざ免許を取得するような政治に熱心で頭のいい人達に国政の未来は任せて、自分の身の回りの暮らしに勤しめばよろしい。政治や選挙への無関心層に毎度憤りを見せる方々も、我々頭のいいエリートが奴らバカな大衆の分まで考えて国を良い方向に導いてやろうと優越感に浸れる。ウィンウィンだ。ある特定の思想を持った集団が投票免許発行センターの運営を牛耳らないように細心の注意を払う必要があるが、懸念と言えばそれくらいだ。司法に携わる者は司法試験を受け、行政に携わる者は公務員試験を受ける。立法すなわち国会に携わる政治家を選ぶ国民に免許試験を課すのは、そこまで突拍子のない極論だろうか。え、選挙に立候補する奴にも試験を課せばいいと? それは却下します。出走馬のバリエーションは豊富に取り揃えた方が博奕として面白いし、いずれ俺も政治家になって独裁政権を樹立しようと思っているが、そのときにテストに合格する自信がない。勉強は苦手ですねん。終わり。

指先までの反出生主義

 反出生主義に関する書籍を一度も読んだことはないが、天の知識書(©️アクマゲーム)ことWikipedia曰く、「ひとくちに「反出生主義」と言っても複数の種類があり、1. 誕生否定すなわち「人間が生まれてきたことを否定する思想」と、2. 出産否定すなわち「人間を新たに生み出すことを否定する思想」の2種類に大別できる」のだという。

 俺の四つ歳上の姉弟同然に仲良くしている従姉妹は二児の母で、その子らは超絶可愛いしたまーにその成長を見ると感動さえする。赤の他人様に関しては、子供を作ろうが作るまいが一向に関心はない。俺は、「世界」とは己の手を伸ばして指先が届く範囲のことを指すと定義している。この世界において、俺は人間を新たに生み出すことを否定する反出生主義を唱える。今後この世界を拡張させて他者にも反出生主義を啓蒙していくことはないが、今は子供を欲していない妻が子供を作りたいと言い出して話し合った結果、主義を曲げることはあるかもしれない。あるいは、欲望に負けてデキちゃうかもしれない。ただ、俺が自発的に子供を欲するようになるとは、到底思えない。

 現在は結婚して子供もいる某有名人は独身時代、「子どもが欲しいんだと思います。それでもないと、やってらんないなって言うか。自分のためだけだと、もう踏ん張り効かないです」と正直に吐露しており、それに対する世間の賛同の声も多数目にした。俺はこの有名人を好きだし、多分この人は子供の幸せのために全力を尽くし続けるんやろなあとは思うが、この発言を初めて見たとき、俺がこの人のように思う日は来ないだろうなとも思った。他人の金で飲む酒は旨いが、博奕は自分の銭で張るべき、が俺の信条だ。誤解を恐れずに言うと、なんてのは臆病者の言い訳なのでシンプルに言うが、子供を作ることはやっぱりどう考えても、これから生まれてくる子供の命を種銭にして己の人生を幸福にしようとする一種の博奕だろう。

「愛があればたとえ世間が眉をひそめるアブノーマルな行為でも全てノーマルなのだ」とは、みうらじゅんの言葉だが、ここで言う愛とは合意と言い換えてもいいだろう。双方の合意さえあれば、食糞だろうが流血や後遺症を伴う暴力的なプレイだろうが是だし、片方の合意を得られていないのであれば、尻を触ることも当然、性暴力だ。自由意志の尊重、というものを俺は大切にしている。その点、出産はどうやったって生まれてくる子供の意思を確認せずに行われる営みな訳で、完全なる親のエゴだ。たとえその子が完璧にハッピーな人生を遂げたとしても、出産それ自体がエゴであったことに変わりはない。子は親の人生を豊かにするための所有物であってはならないし、国家や人類といった共同体の存続のための歯車でもない。繰り返しになるが、俺は全ての人の自由意思は他者の権利を侵さない限り尊重されねばならないというスタンスであり、出産は明確にこれに反している。

 ただ、別にそれを他人に強要するつもりはない。街中でベビーカーを押している人に、「おい、エゴイスト!」なんて言うつもりもない。人間なんてのは俺も含めて全員、あらゆるエゴを他人に押し付け、他人に迷惑をかけまくり、他人を傷付けまくって生きている。だから出産も別にええやないかという論理ならば、納得はできる。ただしその場合、その子が幸せな人生を送れるように全身全霊を尽くすことは必要最低限の義務だろう。他者に対して、「オラ、親として全力を尽くせよお前!」とは思わない。そこまでの興味関心を他人に持っていない。もし俺が親になるならば、我が子の幸せのために全力を尽くすことは必要最低限の義務でしかないと思ってしまうっちゅう話だ。そして俺には、まだ見ぬ我が子に望んでもいない人生を送らなければならないエゴを押し付け、その代わり己の人生を捧げる覚悟がない。だから俺は、指先までの反出生主義者でい続ける。

 ちなみに、俺は両親と仲がいい。かなり愛されて育ってきたし、俺も二人のことを愛している。兄貴か俺か忘れたがそのうちのどちらか(確か兄貴)が母親の腹の中にいるとき、障害を持っている可能性があると医者に告げられた際、父親は「愛情を持って育てていけるだろうか」と不安を口にしたのに対し、母親は離婚してでも一人で産み育てる、中絶はしないと返したそうだ。俺はその話を聞いて母親の覚悟に感動したし、父親の気持ちに大きく共感した。また今年の3月に俺が結婚式を挙げた際、披露宴の最中に父親が柄にもなく目に涙を浮かべながら握手を求めてきたとき、結構グッときた。反出生主義という言葉のおどろおどろしさ故に、「親と不仲、人生がうまくいっておらず、この世を恨んでいる。そういう奴らのルサンチマン」といったイメージを持って批判する向きもあろうが、俺のように人間を個として尊重する反出生主義もいる。というかそもそも、「反出生主義者は人生がうまくいっていない奴の八つ当たりに過ぎない」という批判は反出生主義に対する反論には何らなっておらず、むしろそうして人生がうまくいかずにこの世を憎んでいる奴がいること自体が、俺の唱える反出生主義の論拠そのものである。そして多分、俺のこの考え方は反出生主義の書籍を読めばベタな一論として存在しているだろう。読んだことないし今後も読まんから知らんけど。毎月10冊以上本を読むと4月から決意したんですが、5月は8冊しか読めませんでした。そんな中で、わざわざ反出生主義の本を読む時間も気力もありません。なぜ働いていると本が読めなくなるのか。眠いからじゃ。終わり。

俺は映画『サブスタンス』で笑いました。

 映画『サブスタンス』を鑑賞した。あらすじは各位、調べてください。もしくは、映画館に足を運んでください。ややネタバレありの感想を今から綴ります。

 『サブスタンス』はエイジズムとルッキズムを強烈に風刺したボディホラーだが、本作には「笑った」という感想が少なくない。この手の感想に対して、怒りや諦念を表明している人々をよく見掛ける。気持ちは分かる。確かに『サブスタンス』の感想をTwitterで読み漁ってみると、「過剰でグロテスクなボディホラーとして可視化された、若さや美貌に執着した愚かなおばはんの内面の滑稽さ」を笑っている人達は少なくない。『サブスタンス』は割と直球でフェミニズム映画だが、いかんせん登場するおっちゃんプロデューサーの厭さが戯画的だ。もちろんああいうクソ野郎は大勢いるが、現実世界のセクシズムの厭さというのはもっと見えづらくて根深くて、時には悪意さえないからこそ厄介だ。そこを描き切らず、海老の食い方の汚え「ザ・厭なおっさん」という浅い造形のプロデューサーを最も目立つ形で配置してしまったが故に、少なくはない男性客が「社会に蔓延する差別意識が彼女を追い込んだ」という感想には至らず、無邪気に嗤ったのではないか。そんなもんお前ら男が普段女性差別に向き合ってないだけだろバカ、と言われれば仰る通りだが、それでも俺はあのプロデューサーの造形は割と致命的な本作の欠陥だと思っています。

 さて、ここまで述べた上で言いますが、俺は本作を鑑賞して笑いました。その笑いの質は、主人公への嘲笑ではなく、一言で言えば「不愉快な笑い」だ。本作を観ながら連想したのは、松本人志の笑いだ。俺はダウンタウンが、すなわち松本人志が最も好きな芸人で、松っちゃんの笑いの天才性というのは色々あれど、一番の功績は「不愉快な笑いの魅力を大衆に届けたこと」だと思っている。まあ、わざわざ「」で括ったけど、1998年〜1999年に松本人志が作った映像コント作品集『HITOSI MATUMOTO VISUALBUM』について立川談志が「不愉快な空想」と指摘しているので、別に新しい視座ではありません。

ダウンタウンのごっつええ感じ』に、キャシィ塚本シリーズというコントがある。舞台はコウジ(今田耕司)とリョウコ(篠原涼子)が司会を務める料理番組で、松本人志扮する四万十川料理学園の講師「キャシィ塚本(中年女性)」が毎回常軌を逸した言動を繰り広げるという内容だ。キャシィ塚本のキャラクターは、映画『ミザリー』のキャシー・ベイツ演じるアニーから着想を得たそうだ。俺はこのコントが大好きだ。後年、松本人志が「コント中に自分じゃなくなる感覚があった」と述べている通り、まさに憑依芸としか言いようのないキャシィ塚本の暴れっぷりにはある種の痛快さがあり、コウジやリョウコに暴力を振るい、「どーん!」と叫びながら食材を床や壁に叩きつけるインモラルさに何度も笑わせてもらった。だが同時に、俺にとってこのコントは不愉快でもある。暴力はいけない、食材を無駄にするなんて、といった理由ではない。端的に、キャシィ塚本の造形はミソジニー的な視線と切り離せないからだ。キャシィ塚本のヒステリックさは、「女」の、「おばはん」のステレオタイプなイメージが過剰に戯画化されたものだ。が、一方で、料理学園の講師としてテレビ番組に出演し、あまつさえ大暴れするキャシィ塚本は、「女は男の三歩後ろで、慎ましくおしとやかに佇んでいるべき」という抑圧された女性性から解放された清々しさも感じさせる。「おばはんは大抵ヒステリックである。しかし、女は本来、母性を発揮して男に接するべきで、ヒステリックであってはならない」という我々が根底に抱いている差別意識に向けて、キャシィ塚本は「どーん!」と食材を叩きつけてくる。松本人志ミソジニー批判を意図していたかどうかは問題ではない。むしろ、おばはんのヒステリックさを過剰に描いたらオモロいやん、というド直球の差別意識からスタートしていたと考える方が自然だ。だが、女性性の抑圧から解放された者への嘲笑と賛美、その相反する二つを意図せず同時に描けちゃったところに、松本人志の天才的な作家性がある。『サブスタンス』終盤での主人公の暴れっぷりは痛快だが、それが作品内で男根主義的社会を打ち砕くことはない。その悲哀に、俺はキャシィ塚本の不愉快な笑いを連想した。

 また、ごっつええ感じには他に、『トカゲのおっさん』シリーズというコントもある。松本人志演じるトカゲのおっさんは、胴体がトカゲという半獣人、つーか半トカゲ人だ。グロテスクな見た目をしているが、一抹の可愛らしさもある。中身は案外まともで、むしろ他の「普通の人々」の方が内面はグロい。『トカゲのおっさん』は笑えるが、常に悲しみを帯びている。『サブスタンス』終盤のヌメっとしたクリーチャーに抱く感情は、『トカゲのおっさん』を観たときの感情に似ている。

 俺が『サブスタンス』で一番笑ったのは、主人公が自宅の廊下を全力疾走するシーンだ。「いやお前、そんな速よ走れんのかい」と、思わず声を立てて笑いそうになった。同時に、痛々しくて物悲しく、不愉快な気持ちにもなった。

 人を傷付けない笑い、というものを称揚しつつ松本人志の笑いを批判する人は、往々にしてチャップリンの映画を引き合いに出すが、チャップリンの公式DVDコレクションを購入して82作品全て観た立場から言わせてもらうと、チャップリンの笑いには結構残酷な面もある。コミカルなアクションがもたらす身体的な笑いや、上流階級・資本主義社会への痛烈な皮肉/批判といった面はもちろんあるが、チャップリン扮する小さな浮浪者の失敗を笑っている側面は絶対にある。浮浪者という存在自体を嘲笑しているとまでは言わないが、小さな浮浪者が派手に転ぶのを見て生じる笑いに、残酷な視線は絶対に含まれている。俺は、その自分の感情には自覚的でいたい。赤ん坊や犬、猫の可愛くて笑える映像は巷に溢れているが、それらの内容は結構な確率で、当人(当犬、当猫)からしたら悲劇である。

 笑いは往々にして、玉虫色だ。『サブスタンス』を馬鹿なおばはんの転落劇として笑うのではなく、テーマは分かっちゃいるけど笑っちゃったよ、というのであれば、俺はその観客の笑いを擁護したい。この映画で笑えるのは所詮男のお前にはこの映画の悲惨さが真には理解できないからだ、と言われれば、反論する気はない。ただ、それでも俺は笑ってしまった。不愉快な笑いにいざなわれてしまった。廊下を全力疾走する主人公を見て笑いながら、「松本人志がこの先、一連の騒動に関して誠意ある対応をした上で、このレベルの不愉快な笑いに満ちた五作目の映画を撮ってくれたら最高なのになあ」と、望みの薄い願望さえ、抱いてしまいましたとさ。終わり。

ツイート以上ブログ未満 2025.05.15

▪️入籍から二年以上経ち、今年の3月に結婚式をしました。楽しかった。金かかり過ぎたけどまあ、妻と招待客が楽しんでくれていたようなので何より。ヴァージンロードがこの国で結婚式のデフォルトとして受け継がれてきた背景にある価値観とかを考えるとだいぶキモいっすが、「父親と腕組んで歩く機会なんか、最初で最後だし笑」と言ってお義父さんと歩くことを妻が選んだり、お義父さんが本番で緊張したりしていたのは、なんかいいなあと。

▪️トリプルファイヤー「相席屋に行きたい(Cornelius Remix)」バリかっけえ。7/20のビルボードトーキョー行きてえ、が、7/19にOMSBのワンマンもトーキョーであり、大阪のサービス業正社員として19〜21の三連休を全て希望休提出するのは憚られるので、19-20の二連休か20-21の二連休、どちらかを選ばねばならない。10年以上一番好きなミュージシャンであり続けているしライブも何回か行ったことのあるOMSBか、超最近好きになったばかりで一度も生で見たことのないトリプルファイヤーか。悩まC。

▪️自衛隊で「エース」とは、ポンコツや要領の悪い者の意らしいと知って笑った。体育会系の陰湿で嫌な部分を煮しめたようなエピソード。

▪️JJJの急逝、悲しい。『MAKTUB』は本当に素晴らしいアルバムです。

▪️Twitter上でAEDを女に使うか否か論争が長期的に巻き起こっていることを知る。しかも発端は、痴漢で訴えられるというデマ。目の前で人が倒れたらフツーにAED使うけどね、外見が老若男女問わず。その程度の男らしさは持っていたいよ、つーか、ネットで女叩きに執心している人達は、男のくせにダサ過ぎる。あ、こういう「男のくせに」的な価値観が世の男性を男らしさという鎖で縛り、生きづらくさせているらしいです。まあ分からんではないが、だったらそのレールから黙って降りりゃいい訳で、男は生きづらくて苦しいよ〜だから女が憎い、に思考が至るのはヤバい。ヤヴァいです。ヤヴァンゲリオン。

▪️維新とか一回も投票したことないけど、カジノの前哨戦である万博は妻と行く予定。異国の飯が好きだから。ただ、屋内店舗禁煙の強化はマジでクソ。

▪️AI怖過ぎ。チャットGPTとかグロック?とか。そのうちターミネーターマトリックス的な世界が来るやろ。ちょっとワクワクするけど、人間対機械の終末戦争とか。俺が死ぬ少し前なら、勃発してもよし。

▪️僅か数行の文章もまともに読めない人が多いのは前から分かっていたが、行は読めないのに行間だけ読み取ってしまう奴も多いと最近学んだ。何処にも書いていないことに対して怒っている。

▪️Twitterにいる映画好きはおしなべて鬱陶しい。

▪️年功序列はクソだと思う1999年生まれのゆとり世代ですが、ほとんどの年上にはフツーに敬意を表して接するので、最近の若者は目上の人間に対する態度が云々言うてる人は、シンプルに尊敬に値しないだけ。かもしれない。

▪️退職代行モームリの累計利用者数が1.5万人を超えているらしい。20代が最多とのこと。まあブラック企業だのパワハラだのの可能性があるし、そうならば会社がクソなので退職代行を使って逃げるのはありかと思いますが、ホンマにヤバい会社に勤める人しか使ってへんのか、お前らが軟弱過ぎるだけと違うんか。

▪️参戦や脳死といった言葉を使わないようにするというスタンスは大いに結構、つーか俺もそれらの語彙は最近避けているが、パッと思い付いただけでも「遠征」「飯テロ」「戦利品」「軍資金」「戦犯」「ゲリラ豪雨」などなど、不適切判定可能な語彙が多過ぎて全部を避けるのは無理よ。どうせ参戦や脳死否定派もどっかで、地雷を踏んでいる。

▪️「これの何が面白いの?」という批判の仕方をする奴は、己の知識と感性を疑うことを知らないバカ。

▪️一般人の「もしこのツイートが万バズしたら、〇〇する」ってツイート、これの何が面白いの?

▪️俺の持つ僅かばかりの才能に努力を突っ込んだところで、先達には到底及ばず、俺がやる意味がマジで一つもない。稼げもしねえし、先方からのレスポンスは壊滅的に遅いし、根が怠惰過ぎるのでそんなしゃかりき頑張る気力も湧かねえし、地球はどうせ将来太陽に飲み込まれるし。本当にもう死にたくなりますね。アルコールで混濁せなやってられまへんわ。イキリでもなんでもなく、マジで酒がないとヤヴァンゲリオン。お察しの通り、だいぶ飲みながら本稿を書いています。アル中、ってフィクションじゃキャラクターのエモい味付けとして多用されてますけど、体験談とか末路とか読むと、なかなか悲惨ですよね。俺は酒豪でもアル中でもないです。酒好きの範囲内。

▪️高校時代に一番仲良かった友達。あけおめLINEに未だに既読が付かねえ。音信不通。色々と暮らしが大変で連絡が途絶えることはこれまでもあったので、恐らく生きてはいるけど、心配や。

▪️令和ロマン くるまの復帰YouTube、例のお偉いさんとの会話の再現がオモロかった。くるまが完全に悪いとは思わないけど、吉本が企業としてちゃんちゃらおかしいとも思わない。組織の思想に取り込めなさそうな頭のええ奴が吉本は好きちゃうんやねえ、と思ったくらい。

▪️ダウンタウンチャンネル(仮)、始動したら入るやろなあ。思うところはあれど。

▪️人の価値観は変わる、つーのは当たり前ですが、2017年のM-1準々決勝に落ちた直後のウエストランドの『ぶちラジ』のナイーブさとそれを弄り倒す爆笑問題カーボーイの印象が未だに俺の中では残っているので、芸人感動路線に噛み付く井口の今の芸風に一ミリほどまだ違和感がある。何年前の話しとんねん。

▪️中田カウスを全然嫌いじゃない、どころかやや好きな俺は、逆張り天邪鬼野郎なのか。もしくは、お笑いファンではないのか。てか、昨今のお笑いファンがアイドルファン並みに繊細過ぎないか。中田カウスなんてあんなもん、お笑いファンなら面白がれよ。

▪️映画『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』かなり良かったです。

▪️外が薄っすら明るくなってきたけど、明日も夕方から仕事やし、晩飯の洗い物をまだやっていないので、この辺で。終わり。

『ひっかかりニーチェ』の感想を書くはずが、くるまのオンラインカジノの話で終わってしまいました。

 『永野&くるまのひっかかりニーチェ』は、2024年10月3日からテレビ朝日の『バラバラ大作戦』で放送されているバラエティ番組だ。同年7月にバラバラマンスリーで放送された『永野&くるま クレバーなクレーマー』の流れを汲む番組であり、出演者は同じく、永野、令和ロマン・くるま、三谷紬の三名である。くるまがオンラインカジノの一件で保護者の如きお笑いファンの皆様から「ちゃんと謝れて偉い」と褒められながら謹慎したのを機に、タイトルから「永野&くるまの」の文字が消えた。暫定的な措置なのか、くるま復帰後もコレで行くのかは分からないが、番組が速攻で人気になり、三谷紬が添え物の進行役ではなく番組にとって欠かせない一員であることも早々に証明された以上、タイトルはシンプルに『ひっかかりニーチェ』でいけばいいと俺は思う。

 ちなみに、法律違反だってのは分かるけどでもオンラインカジノの何がいけないんだよだったら競馬も競輪もパチンコも同じ賭博だろ大体日本はカジノを誘致するんじゃないのか法律がおかしいんじゃねえのかこの野郎、という擁護意見をよく見掛けるが、確かにオンラインカジノを合法化している国がいくつも存在するとはいえ、その特性上、胴元の正体が不透明なケースが往々にしてあり、オンラインカジノに投じた金がギャングやテロ組織、詐欺組織、人身売買組織などに流れていたという前例は少なくない。日本における公営ギャンブルは全て各省庁が管轄しているし、パチンコ屋も法律に厳しく縛られた許可営業だ。当たり前だが、きっちり多額の税金も納めている。客が公営ギャンブルやパチンコ屋で使った金の流れる先は、国や自治体、それらのお墨付きを得た民間企業だ。反社会的組織ではない。日本国家も反社会的組織みたいなものではないか、という意見や、法律を遵守した企業だろうが賭博を生業にしている時点で本質的には反社会的組織なのだ、という意見ならば筋は通るが、だったら脱税は正義だし、合法なだけでドラッグであることに疑いの余地はない酒や煙草を販売しているサントリーJTも反社会的組織だと主張するべきだろう。また、ダイヤモンドを産出しているアフリカの諸外国では、反政府組織がダイヤモンドの採掘によって得られる金を武器購入や紛争の資金に充てることで、紛争が長期化し、数多くの犠牲者を生んだ。そうしたダイヤモンドの採掘には、子供を含む多くの人々が強制的に従事させられてきた。美しいダイヤモンドが輝く婚約指輪をプレゼントされた女性が流す涙は、異国で流れた数多くの血で真っ赤に染まっている。

 こうした例は、枚挙に暇がない。21世紀の日本でそれなりに不自由なく生活している者は皆、国内外のあらゆる人間を搾取しているし、その幸せの下には間接的に数多くの血が流れている。我々は皆、加害者であり共犯者だ。であるならば、何年も前にオンラインカジノをやって反社会的組織の資金源になってしまった(かもしれない)くるまも別にええやないか。日本の法律を犯したかもしれないが、スピード違反だって同じく法律違反だろう。オンラインカジノの一件に、倫理的な問題はない。というか、あるのだけれど、コレをギルティとするならば、我々は皆、等しく罪人である。

 くるまを擁護するなら、最低限これくらいは言えよと思う。オンラインカジノは良いのに公営ギャンブルとかパチンコが許されるなんて意味分かんない、法律おかしい、くるま可哀想、ちゃんと謝れて偉いねえ、よしよし……じゃないんですよ。お笑いっつー文化は、少しでも分析めいたことを言うと過剰に「出た、お笑い評論家ww」と揶揄され、プレイヤーである芸人のほぼ全員がお笑いを論じられることを嫌う。そのくせ、芸人が語るお笑い論をファンは大好きだし、それこそが絶対的な正解だと盲信する。ジャンル批評の育った文化では、作者の弁に依らず作品が論じられ、作者の言うことが絶対なんてアホな共通認識は存在しないが、お笑いは未だにその認識が強い。だからこそ下等な文化だなんて言うつもりはなく、むしろお笑いは俺も好きだし日本有数の優れた文化だと思っているが、ここまで作者/プレイヤーの言葉が祭り上げられる文化はそのうち滅ぶかもな、という前々から抱いていた懸念は、今回のくるまのオンラインカジノ問題に対するお笑いファンの反応を見て、強くなってしまった。Twitterアルゴリズムのせいで同じような意見が流れてきてしまうだけ、ではなく、ちゃんと色んなワードで検索かけてみましたよ。

 Twitter脊髄反射的に短文垂れ流す前に、ちったあ自分の頭で考えろよ。何かにつけて、言語化してくれてありがとう、すごいすごいっつーけど、元々お前らが何も考えてへんだけやろ。そういや、くるまの一件でTwitter漁ってたら、野原ひろしの画像がネットミーム化して男女論争に使われているのを知っちゃったけど、他者への攻撃にネットミームを使う奴は全員バカ。借り物のキモい構文じゃなく、自分の言葉で殺し合え。もしくは、オフ会開いて殴り合え。

 すみません、ちょっと口が過ぎました。今日パチンコでタコ負けした八つ当たりです。やっぱ、賭博は悪ですよ。終わり。

ツイート以上ブログ未満 2025.01.27

▪️新卒で働き始めた会社を辞めようかなと少しずつ思い始めている。会社や職場の人達は嫌いではない。ただ、労働が嫌い過ぎる。上司から成長を褒められたり今後の期待や数年後の話をされたりすると、嬉しいやら切ないやら。トリプルファイヤーの「シルバースタッフ」を鬼リピする日々である。

▪️言語化ってある事象を分解してパーツの一つ一つを説明しているだけなんじゃないの、「言語化してくれてありがとう」つって、そないありがたがるようなもんかね、てかその程度の言語化は自分でやれよ、ハナから考える気ないだけやろ、やわらかいものばっか食べてると顎の骨が発達しないよ、あと他人の言語化をありがたがるのって信仰に近いよね、別にええねんけど、つーか「なんかええなあ」の中身を言語化することで逃げてしまう感情やニュアンスってのが往々にしてあると俺は思っていて、その機微が人生の豊かさに割と繋がっているような気もするんですよねえ、うまく言語化できないけど。

▪️『ゴッドファーザー』の再上映を劇場で観たけど、やっぱ映画で一番好き。あと筒井康隆ファンを自認している割に『おれの血は他人の血』を読んでいなかったので年始に読んだら、想像の数倍オモロい傑作だった。ただ、その流れで読み始めた『脱走と追跡のサンバ』が全然読み進められへん。ジャンプラで無料公開されていた『ハイパーインフレーション』は一気読み、バカクソオモロい大傑作でした。嘘喰いゴールデンカムイ、喧嘩稼業とか、あの辺の神がかった脂の乗り方。

▪️粗品と伯山、めちゃくちゃ揉めるかめちゃくちゃ仲直りするかしたら面白いのに、と年始のシンパイ賞や東西笑いの殿堂を観て思った。

▪️MBTI診断とかあの手の自己分析って、「こうありたい、こう思われたい」つー無意識が作用して正確な診断がなされないのでは?という疑念がずっとあったんすけど(MBTI診断のそもそもの正確性とかは知らん)、妻にこの前「お互いに成り切って解答してみよう」と提案されて、最適解やんと思いました。

▪️バーとか喫茶店缶ピースをたらふく吸ったあと、帰りの電車内で人差し指と中指の先が黄ばんでいるのを目にすると、なんて有害なものを接種しているんだと愕然とする。禁煙を決意する。家に帰った頃には忘れている。

▪️最近【27(歳)@永遠の芸人ワーキャーファンガチアンチ @27ningenotoko】というダウ90000のアンチアカウントをよく覗いている。見ていてゾクゾクする。悪趣味だと自覚している。

▪️三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』をよく書店で見掛ける。眠いからやろ。あと、働きながらでも俺みたいに本を読む奴は読むし、読めない奴はどのみち『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読まない。とかまあ、難癖付ける必要もないんですけども。本なんて読まなくたっていい。町へ出よう。

▪️お前の配偶者やパートナーがカスなだけっつー話を、男女論にまで発展させんなよ、とか言っても意味はない。Twitterってのはそういうものだから。キモい男とキモい女が各々の代表ヅラして罵り合う空虚な争い。ま、こういう断定と揶揄の仕方もSNS的ではあるのですがね。←俺は俯瞰で見れてますよアピール。←わざわざこれを書くことで、全体的に本気じゃないですよという小賢しいエクスキューズ。

▪️マジで強い理由もなく何となく成人式に出なかったけど、フツーに後悔している。未だに連絡を取り合っている地元の友達は二人しかおらず、それ以外の人達と会うおよそ最後の機会を逃した訳だから。高校三年生のクラス同窓会開催の知らせが届いたが、行ってみようかしら。高校に馴染めなかったので、顔と名前が一致しない、つーか顔も名前も覚えていない人だらけだけれど。

▪️「大変」なときは、「大」きく「変」われるときってことだよ。「辛い」に一本足せば「幸せ」だから、その二つは紙一重だね。的な名言(笑)を考えるだけの仕事がしたいよ。こたつの中で。

▪️大量に飲酒したあとで布団に入ると、地球の自転と公転を実感できる。

▪️中居正広、引退。衝撃。

▪️トーキョーで美容師やってた友達が関西に戻ってきたので、初めて髪を切ってもらった。ええ感じ。

▪️人生初のウイルス性腸炎に。マジで地獄の苦しみ。飲まず食わずでも嘔吐と液便が止まらず、人体の7〜8割が水であると実感した。最悪。生まれて初めて点滴を打ちました。あと、所さんがCMやってる経口補水液、医者も勧めるくらいマジでええやつみたいですが、不味かった。良薬は口に苦し。猛毒は甘し。

▪️死。怖過ぎる。無とは、無限とは、永遠とは、人間の意識とは、魂とは。何も分からない。怖過ぎる。