おはよう、フェルプス君。さて、今回の記事だが、2018年12月31日に開設し、お笑いを中心としたエンタメの感想と時事問題への意見と身の回りの愚痴を書き連ねてきた当ブログの更新を終了するという報告である。例によって君もしくは君の仲間が当ブログのコメント欄、あるいはTwitterのDMにメッセージを送ってきても、当局は一切関知しないからそのつもりで。なお、この記事は5秒後に自動的に消滅する。と言いたいところだが、半永久的に消滅する予定はない。
という訳で、令和にあえて『ミッション:インポッシブル』のイーサン・ハントではなく『スパイ大作戦』のジム・フェルプスをチョイスすることで個性を出そうとするような鬱陶しい当ブログは、クローズすることに相成りました。閉鎖記念に同人誌を編んでみようかとも考えましたが、ブログ開設時の初回記事を読み返したところ「誰にも読まれずにネットの海の底に沈んでいく。死体の山のように雑文が堆積していく。だから、沈澱中ブログである。」と記していたので、大人しくネットの海の底に沈んでいくことといたします。
ブログを開設したときは19歳の大学一年生でしたが、今ではもう26歳です。人生の節目となるイベントが盛り沢山の7年間でした。新卒で就職して務めた会社も退職を検討し始めているし、俺も三つ上の兄貴も結婚して、兄貴は一児の父に、四つ上の従姉は結婚して二児のママになりました。俺はゆるやかな反出生主義者だから子供を欲しいと思わないが、他人様に関してはどうでもいいし、身近な愛する人に関しては、その子供を抱くと感動しました。人間、そんなもん。ブログ開設時はコロナ禍の到来も想像だにしていなかったし、ロシアがウクライナ侵攻などという暴挙に出るとも思っていなかった。結構長い年月が経過したんやなあと感慨深いです。
残念ながらブログは一度もハネずバズらず、カリスマブロガーや人気ライターの仲間入りを果たすこともなく、アフィリエイト収益を得ることもできず、てか最後は元々やる気がないつーかNISA同様仕組みも何も殆ど分かっていないだけですが、まあとにかく、自己満足だけで続けてきたブログの割に、結構楽しかったです。思考の整理やストレス発散になったし、記事にはてなスターが付くと嬉しかったし、素敵なブログを書く人達とインターネッツ上で一瞬の交わりがあったり、コメント欄やTwitterのDMにわざわざメッセージを残してくれる人がちらほら現れたりしたときには、「うわあ、なんか俺、現代の若者っぽい!」と感動しました。そのうちの一人と実際に会い、今では心の友になったので、「大人になったら友達ができない」という言説は嘘、とは言わないが、まあ、ケース・バイ・ケースだと述べておきます。ちなみに、本当はこのブログのクローズに合わせて全ての記事を削除するつもりでしたが、心の友にその旨伝えたところ消すのはけしからんと猛抗議を受けたため、残すことにいたしました。跡形もなく消滅するという俺の美学には反しますが、まあ大抵の場合、友情は美学より大切だ。
さて、ブログの更新終了についてですが、「松本人志について自分の中でまだ結論が出ていないから、そして恐らく、結論は出ないから」が主たる理由です。俺にとってお笑いとは、ダウンタウンでした。すなわち、松本人志でした。他の芸人を見ても常に、松本人志の笑いを物差しにして見ていたことに、遅まきながら気が付きました。松本人志とここが共通している、ここが違う、ここが似ている、ここに影響を感じる、ここに影響から逃れようとした痕跡を感じる、全然影響が見て取れない、といった風に。松本人志の高みにどれだけ近付いているかがその芸人の面白さだったし、松本人志のセンスとどれだけズラした笑いを生み出しているかがその芸人の個性だと、俺は思ってきました。あ、ダウ90000の蓮見翔がノブロックTVで小林賢太郎について同じようなこと言うてたのを思い出しました。パクってしまいました。
松本人志のいない芸能界にほんの少しワクワクする、それよりずっと寂しいけど……てなことを松本人志が活動を休止した初期段階にブログで記しましたが、いざそれが続くと、少しのワクワクは消えて寂しさは募り、お笑い全体に対する熱が下がってしまいました。
松本人志の一件についての感想は過去の記事で書いたのでここでは繰り返しませんが、まあ一言で言えば、俺はこれからも松本人志をずっと好きだし、これまでのように好きではい続けられない。
冒頭で「お笑いを中心としたエンタメの感想と時事問題への意見と身の回りの愚痴を書き連ねてきた当ブログ」と記しましたが、最も好きな芸人である松本人志について結論が出ない以上、お笑いの感想を書くモチベーションは低下する一方です。時事問題に関してはブログに記す以外の手段で考え続けるでしょうし、身の回りの愚痴はまあ、腹に溜め込みます。ブログで散々あらゆる愚痴をこぼし続けてきましたが、日常生活では愚痴を言いません。親密度に関係なく、知り合いに愚痴をこぼしてスッキリするという感覚がない。だから、腹に溜め込みます。こういう奴は鬱になりやすい典型的なタイプだと何かで読みましたが、言えないものは言えない。だから最後の愚痴をここに残しておきますが、もう俺はね、この世界に心底うんざりしています。こんなこと言うと「26歳にもなって厨二病(伊集院光が提唱した意味ではなく、他人への揶揄や攻撃の手段に成り下がってしまったつまらないミームの方)かよ」と突っ込まれそうですが、この世界と我々人類はどう考えても異常で過剰で愚かで狂っている。とても美しい瞬間や営みは数多あれど、そのすぐ隣に、地続きに、グロテスクな歪みが生じている。俺一人ではどうしようもないことだし、というか人類が物心ついてから一度も解決できていない問題、つーか人類の存在それ自体が孕む狂気なので、どうしようもない。どうしようもないが、それを直視したり目を逸らしたりするのがもうしんどい。辟易する。かと言って、別に人類は滅ぶべしとは思わない。出生はどう考えても親のエゴだとは思うが、他者にその思想を啓蒙したり子供を産み育てる選択をした人を糾弾したりする気もさらさらない。俺には、エゴを通す覚悟がないというだけの話だ。我が子がどんな風に生まれて育っても絶対に愛せるという自信はないし、我が子が「生まれてこなければよかった」と思わないように育て上げる自信もない。俺はかなり親に愛されてきたし親のこともマジで愛しているが、それでも俺の性格はこのように捻くれてしまった訳だから。
ただ俺は希死念慮を慢性的にうっすら羽織っている反面、死への恐怖心もめちゃくちゃあるんで、自殺する可能性は今のところ低い。結局、惨めったらしく生き続けてしまうでしょう。いや現状、まあまあハッピーに生きているし、トータルで言えば生まれてきてよかったと思っているし、人生を舐め腐ってはいるんですけどね。それでもなんかやっぱ、世界は牢獄、人生は終身刑、孤独と虚無が完全に癒えることはない、てな思いは完全には消えないんですよ。中坊のときからずっと、目の前に迫ってくる憂鬱の種が消えたと思ったら、すぐに新しいヤツがやってきます。鬱クリボーです。妻や家族や親戚は超愛しているし、友達と遊ぶのだって楽しい。でも、心の奥底の虚無は消えない。俺の性格のせいです、完全なる自業自得。でもだからこそ、解決策がない。進道塾の秘密奥義・煉獄を喰らっている気分です。誰か助けてくれ。本当にずっと死にたいんですよ、でも死ぬのは超怖いんですよ。メンド過ぎて草。最後なんでそりゃ、草とかも使っちゃいますよ。クソワロタwwww
さて、以上の理由をもちまして、沈澱中ブログは終了いたします。死体は腐敗してガスが発生することで浮かんでくる場合もありますから、当ブログもいずれ再浮上しかねません。というか過去にも一度、ブログを飽きて辞めて、また再開したことがあります。
いかんな、今回はガチで辞めます。ネットの海の底ではなく溶鉱炉に、右手の親指を立てながら沈んでいきます。いや、それはそれでI'll be backになってまうか。『ターミネーター』は1、2と傑作ですが、3も面白いですよ、世評は低いけど。
最後に、一度でもこのブログを読んで面白いと思ったことがある全てのあなたへ。本当にありがとうございました。あなたの今後の人生がぼちぼち幸せなものになることを祈っています。愛しているとまでは言いませんが、あなたのことが大好きです。割とマジで、心の底から。
以上、沈澱中ブログでした。さようなら。終わり。