沈澱中ブログ

お笑い 愚痴

松本人志のことばかり考えている

 昨年末に妻と妻のお母さんと三人で晩飯を食っているときに、妻から松本人志の第一報を聞かされた。俺は絶句し、箸を運ぶ手がグンと遅くなった。松っちゃんのこと、そこまで好きだったんだ、と言われた。そこまで、好きだったのだ。松本人志は教養がないとしばしば批判されてきたが、松本人志はもはやそういうフェーズにいる人間ではないだろう、日本の芸能史/文化史における教養の対象だろうと思っている。

 第一報以来、松本人志のことばかり考えている。大半の吉本社員より考えてんじゃないのか、というくらい考えている。しかし、結論は出ない。毎日、ネットニュースで「松本人志 芸能界引退を表明」とか、もっと言えば自ら命を絶ってしまったとか、そういう見出しが飛び込んでこないか、戦々恐々としている。

 見識を備えていると俺が信頼している何名かと松っちゃんの件について喋るたび、みんな復帰は絶望的だろうと口を揃える。記事の真偽や裁判の行方に関係なく、ここまでおおごとになった時点で、松っちゃんの無実が100%証明でもされない限り、少なくともテレビなどのマスメディアからは松本人志は姿を消すだろう。そして、仮に無実だったとしても、その証明はまず不可能だろうと。

 松本人志のことばかり考えている、という割に、松っちゃん関連の報道には殆ど触れないようにしている。週刊文春も読んでいない。考えているけど、考えていない。ただの不倫なら少なくとも俺は笑ってお終いだったし、エロくて馬鹿馬鹿しいパーティを開催していただけなら、世間の反応は知らないが、まあそれも俺は笑ってお終いだった。ただ、性加害疑惑となるとキツい。

 性被害の声の上げにくさは、実感は持てないがある程度理解はしているつもりだ。何年も前の出来事を持ち出すなんて、とか、週刊誌じゃなくて警察に駆け込めよ、とか、飲み会に参加した時点で同意したに等しい、なんて言説もおかしいと思う。まんこ二毛作、という言葉を用いる人は、俺の中で「まんさん」「女さん」「女尊男卑」といった言葉を使う人と同じ箱に入れた。松っちゃんは大好きだが、松っちゃんが性加害なんてするはずがない、とも思わない。金や性が絡むと、人間は狂う。俺は兄貴や父親や友達が痴漢で逮捕されたとしても、即座に「冤罪や!」とは言えないと思う。

 被害女性の証言や飲み会が開催されていた証拠以外に、松本人志が性加害を行っていた音声や動画などの確固たる証拠が存在するとは思えない。「松本 動きます。」と言いつつ、結局何をどう動いたのかよう分からんかった松っちゃんが、この事態をうまく収められるとも思えない。というか、初動から現時点までで既に、悪手を重ね続けていると感じる。

 被害を訴える人々の声に懐疑の眼差しを向けたり批判したりすることはセカンドレイプに該当するし、被害者の声を取り上げないという選択もしてはいけない。そう思う一方で、松っちゃんはまだ灰色の男ではないのか、とも思う。被害者の声に耳を傾けることと推定無罪の原則を守ることをどのように両立すればいいのか、全く分からない。

 バカリズムをチェアマン代理に据えたIPPONグランプリ以外の番組では、現時点ではやっぱり松本人志の不在による影響を大きく感じる。松っちゃんの不在を逆手に取ったダウンタウンDXの回は面白かったが、アレは松っちゃんがいなくても何の影響もない、という訳ではない。でも、人間は誰しも代替可能な歯車であり、松本人志でさえ、姿を消したところでお笑い界は今まで通り回り続けるだろう。ダウンタウンの番組には松っちゃんが必要不可欠だが、お笑い界にとってはそうではない。むしろ、少しだけワクワクもしてしまう。ゴール・D・ロジャー亡き後の大海賊時代、なんてアホな喩えも浮かんでしまう。だがその何倍も、やはり寂しくて悲しい。

 この程度の、何の目新しさも見識もない記事を書く余裕が生まれるまでに、二ヶ月も掛かった。身近なニュース以外で、こんなにも悲しくなったのは、生まれて初めてだ。俺が悲しもうが悲しむまいが、何を考えようが、事態はなるようにしかならない。分かっちゃいるが、考えてしまう。

 明日も労働に従事し、妻と喋り、飯を食い、酒を飲み、煙草を吸い、漫画や小説を読み、YouTubeを観て、音楽を聴いて、その合間のふとした瞬間に、松本人志のことを考えるのだろう。終わり。