沈澱中ブログ

お笑い 愚痴

ケース・バイ・ケースであります。

 ピカレスク漫画の傑作『クロコーチ』にて、1974年に警察学校を優秀な成績で卒業した十名が、公安部配属のための筆記試験を受けるシーンがある。「あなたは連合赤軍の潜入捜査官として組織内で順調に出世しています。あなたを幹部に登用しようと考えた上層部が、あなたに最後の試練を与えます。幹部になりたければ警察官を一人殺害せよ。さて、あなたならどうしますか?簡潔に記しなさい。」という問いに対して、登場人物の一人が答える。「ケース・バイ・ケースであります。」と。「実に簡潔、そして実に冷酷」と公安のお偉いさんに気に入られて見事採用されるのだが、このエピソードがやたらと好きだ。

 ケース・バイ・ケース。実にいい言葉だ。世の中のありとあらゆることは、ほぼ全てケース・バイ・ケースである。それを「同じ警察官を職務のために殺せるか」という問いに対してまで適用してしまう冷徹さが凄えよなあ、というエピソードだが、今の世の中、そもそもケース・バイ・ケースで物事を片付けない人が多い。白黒はっきりつけたい性格、と言えば聞こえはいいが、ケース・バイ・ケースで終わる話にいつまでも拘る人は、アホや狂人と紙一重だ。もちろん、ケース・バイ・ケースで終わらせてはならない話もあり、ケース・バイ・ケースで終わらせていい話かケース・バイ・ケースで終わらせてはいけない話かは、それこそケース・バイ・ケースだ。お気付きの通り、ケース・バイ・ケースと言いたいだけだ。

 なぜこの話をしようかと思ったかというと、数日前、恋人から「デートでサイゼリヤはありかなしか」という問いをされたからだ。「なんで急に?」と吉良吉影に爆殺されるであろう質問返しをすると、「Twitterで話題になってたから」と言われた。その論争何回目やねん、と笑ってしまった。彼女の誕生日祝いのディナーにサイゼリヤはなしだと俺は思うが、彼女自身が「お金はないけど夢を追ってる彼氏くんが好き。サイゼリヤで全然いいよ。てか、サイゼリヤがいい。何時間でも夢の話を聞かせて」っつーならそれはそれで、皮肉や厭味ではなく、幸せそうだから結構な話だ。サイゼリヤ論争とか4℃論争とか、幾度となく繰り返される不毛な論争の火種が燻った時点で、全員で声を揃えて「ケース・バイ・ケースであります」と言って鎮火させましょう。

 ついでに言うと、ネット上で繰り広げられるこの種の論争に、あたかも初めて接したかの如く振る舞っている人に対しては、欺瞞を感じる。サイゼリヤデートはあり派、なし派の意見があらかた出尽くしている以上、それを踏まえた上で「逆にあり」「とはいえ、やっぱなし」といった意見を出せばいいものを、「サイゼリヤデートを嫌がるような女は嫌だ」という一歩目の主張を今更されても……と感じる。ゾンビ映画の登場人物が誰もゾンビという架空概念を知らない、みたいな違和感だ。「うわ、フィクションで観るゾンビそっくりやんけ、こいつら!」というリアクションを登場人物がしない作品は、あまりにも嘘臭い。「サイゼリヤのデートはなしっていう女の人もいるみたいだけど、私は全然ありだよ!と笑顔で言ってくれる女の子がいいなあ、でへへ」とか「そんな男は嫌だ。デートくらい、いいとこ連れて行けよ。てめえに会うために費やした化粧代考えろ、タコ」とか、まずはサイゼリヤ論争によって過去数多の血が流れてきたことを踏まえた上で、ありかなしか論ずるべきではあるまいか。

 といったことをコンマ数秒で考えたあと、恋人に対して「まあ、ケース・バイ・ケースやろ。てか、ちょこちょこTwitterでその論争生まれてるけど、何回目やねんな」と笑って答えると、「え、そうなん。知らんかったー」とあっけらかんと言われた。皆さん、サイゼリヤ論争の最適解が誕生しました。「サイゼリヤ論争の存在を知らない、あるいは2022年以降ようやく知った、というレベルのネットに毒されていない恋人を作り、サイゼリヤだろうが鳥貴族だろうが高級フレンチだろうが、きちんと話し合って、あるいは相手が喜ぶかどうかをケース・バイ・ケースで考えて、店を選ぶ」です。戦争終結。終わり。

左右の目

 三木聡の『大怪獣のあとしまつ』がネットでめちゃくちゃ評判が悪い、と人から教えられた。監督をしている人が好きだから観に行く予定だ、という俺の言葉を覚えていたらしい。時事ネタの情報を仕入れるために毎週月曜日の一時間だけTwitterを見る、という生活に切り替えているため知らなかったが、Twitter上で酷評されているそうだ。

 ということで、月曜日のTwitterタイムを利用して酷評の嵐に身を投じてみたが、まさに俺の嫌いなTwitterの部分が詰まっていてゲンナリした。京極夏彦綾辻行人小林靖子らが公式サイトに寄稿した、婉曲法を用いてつまらなかったと表明するコメントを面白がるのは大いに結構だ。「『大怪獣のあとしまつ』観に行ったけどクソつまんねーゴミ映画だった、金と時間返せよ」と呟くのも大いに結構だ。

 だが、綾辻行人京極夏彦小林靖子のコメントを読んだり、『大怪獣のあとしまつ』はクソ映画だという批判ツイートを読んだり、Twitter上で同作は駄作だ、貶して構わないという空気が醸成されたりしたからといって、実際に自分は鑑賞していないにもかかわらず、何の躊躇いもなく駄作・クソ映画のハンコを押し、それを嬉々としてツイートした人々については、一人で喧嘩ができない奴として、心底軽蔑する。

 みんなが批判したり揶揄したりしているものは、実際に作品やソースを確認せずとも貶して構わない、というのは人間としてあまりにも美しくない姿勢だと俺は思うが、テレビやラジオの悪意ある切り抜きやネットニュースを鵜呑みにして誰かを非難したり、観てもいない映画を何の躊躇いもなく揶揄したりするTwitterユーザーは、決して少なくはない。Twitterは世間の縮図ではないが、「一部の変な奴しかやってないから気にするに値しない」と斬り捨てられるほど偏った空間でもないのが、悲しいところだ。

 とある小説に出てくる「他人が作った傑作を観るよりも、自分達で駄作を撮る方が楽しいに決まっている。」という一文をあらゆる意味で座右の銘としているので、自分の目で観てもいないのに『大怪獣のあとしまつ』を批判・揶揄した人々よりもよっぽど、三木聡の方が尊敬に値すると俺は思う。そういえば、座右の銘はなんですかと問われた具志堅用高は、左右の目の視力を答えたらしい。最高だ。

 俺は福田雄一の作品が嫌いだが、ガキの頃に観た勇者ヨシヒコはオモロかったなと思っている。今改めて観るともしかしたらつまらないと感じるのかもしれないが、それでもかつてヨシヒコシリーズで楽しんでいた過去を偽るつもりはない。また、彼が手掛けた未見の作品については、クソだのなんだの批判することはしない。俺はもう能動的に彼の作品を観ることはしないと決めているので、『新解釈・三國志』もルドヴィコ療法で強制的に観させられない限り観ない。あらゆる映画好きがあの作品を批判していると知っているが、それに乗っかって批判することはしない。繰り返すが、観ていないし観るつもりもないからだ。語りえぬものについては沈黙しなければならない、とヴィトゲンシュタインも述べている。多分、そういう意味ではないが。

 『ごっつええ感じ』に含まれていた怪獣遺伝子は後年『大日本人』という異形の傑作に変異したが、果たして『大怪獣のあとしまつ』はどうか(『大日本人』も、叩いて構わないというノリによって酷評されている面があると俺は思っています。松本人志監督の五作目を待ち望んでいますが、まあ撮る気はもうないんでしょうなあ)。

 実は、『大怪獣のあとしまつ』についてTwitterで検索するよりも前に、既に鑑賞を済ませておいた。三木聡の過去の監督映画のうち半分以上を面白くないと思っているが、三木聡が携わっていた時代のシティボーイズのライブが黄金期だと考えている者として、劇場に足を運ぶのが責務だ。面白かったか否かについては各々の目で確かめて欲しいので詳細は述べないが、かつて「小ネタをやりたいだけで、無理矢理テーマをくっつけている」という主旨の発言をしていた三木聡らしい映画だった。同じく現在公開中のデンマーク映画『ライダーズ・オブ・ジャスティス』がストーリーとブラックな笑いが結び付き、ギャグも物語を駆動させるエンジンとなっていたのと対照的だ。

 という訳で皆さん、強烈で歪なブラック・コメディ映画『ライダーズ・オブ・ジャスティス』オススメです!(RHYMESTER宇多丸風に)。以上。終わり。

World War

 確定申告をせよとの葉書が届いた。葉書だけで人をこんなにも憂鬱にさせられるのだから、大したものだ。日本中の個人事業主の寿命を一日ずつ捧げるから、何かしらの悪魔と契約して確定申告を考案した奴を甦らせたい。そして、その上でぶち殺したい。『チェンソーマン』を再読しながら、そんなことを思った。一番好きなキャラは岸辺。ボムが襲来したときの「はあ…今日合コンだったのになあ」「俺も連れてってくださいよ」あそこで泣いた。二部、楽しみ。『ドロヘドロ』も、もっともっと評価されて欲しい。あと、前澤友作庵野秀明真利子哲也樋口真嗣あたりに500億円くらい渡して『ザ・ワールド・イズ・マイン』をNetflixで連ドラ化して欲しい。そしたら大好きになる。まあ、ホンマに月に行った時点で好きになりましたけどね。トリリオンゲームと同じくらいオモロいので。GYAO!で太田上田を観てたら裏口裁判の話題になって、太田「まだ判決は……ハンケツっつたって、この半ケツじゃ……(ケツを突き出す)」上田「分かっとるわ!俺、そこに向かって『Hey、Siri!』って言わんわ」太田「上手いなあ!今日一発目」上田「数えるな!」というやり取りがあって、「上手いか?何の繋がりもない無理やりなブッコミでは?」と一瞬思ってから、「判決、と聞いて半ケツだと思っちゃうような奴は、Siriと尻を混同するくらい馬鹿だろ。俺はそんな奴じゃねえわ」という意味か、コンマ数秒でこの返しできるのやっぱすげえ……と思ってから、俺は何をダラダラ考えているのだろうと苦笑しました。早いもので、もう2月です。息が白い。指先が痛い。寒過ぎちゃん。終わり。

Ba De Ya

 大学生の頃、京都の河原町駅周辺で「友達募集中!」という看板を持った若い男を見かけたことがある。Twitterのアカウントと「ガチで募集してます! 友達いないんです!」という内容の文言が記されていた。「公衆の面前で指差されるの覚悟でこんな真似できる奴が、友達おらんもんかね? いやでも、1:100では楽しいキャラクターを演じられても、1:1やとオドオドするっちゅうのはあり得る話か。俺も大学のスピーチコンテストで場を沸かせたけど、結局大学で一生の友達はできんかったし。ガハハ」などと思っていると、当時の恋人にして現婚約者から「大人気カップルYouTuberが破局した」という、それはそれはたいへん興味をそそられる話をされたので、そのまま素通りしてしまった。デートが終わって帰宅したら調べてみようと、Twitterアカウントを暗記した。ただ当時の俺はTwitterをやっておらず、アカウント名さえ覚えていれば調べられると思って、ユーザー名(@〜)の部分を覚えなかった。結果、俺の拙いサーチ能力では「たかし〜友達募集中〜」みたいなアカウント名の彼を発見することは叶わなかった。

 たったこれだけの話だが、今でも年に一度ほど思い出しては、あのときちゃんと覚えて連絡していれば、一生のマブダチになったかもしれないな、俺も友達ホンマ少ないし、などと考えては、あり得たかもしれない現在と未来に想いを馳せる。どうも、ロマンチストです。

 なんの話かというと、俺は以上の経験から「思い立ったが吉日」や「一期一会」、「伝えたいと思ったことは照れずに、あるいはビビらずに、可及的速やかに伝える」っつー価値観を結構大切にしている、ということです。街を歩いていて小腹が空いたとき、餃子の王将と個人経営の中華屋があったら、迷わず後者を選ぶ。まあ、大概の場合王将の方が旨いが、時折やたらと旨いザーサイに出会ったり、店を営んでいるご夫婦と軽く話が盛り上がったりするからやめられない。

 で、昨日の話だ。愛しの塚口サンサン劇場に『未来世紀ブラジル』を観に行ったところ、どういう訳か上映開始時間をすっかり勘違いしていた俺は、映画が終わる頃に塚口駅に到着した。ミスに気付いて嘆息し、慰めに駅前の旨いラーメン屋で生ビールとつけ麵と餃子を喰った。塚口サンサン劇場の上映スケジュールを観たがあまり食指が動く作品はなく、18:10から難波で『ラストナイト・イン・ソーホー』を観るつもりだったので、もう今から難波まで行ってわなかのたこ焼きでも喰うか、今からなら玉製家のおはぎも買えるかな、あーでも確かあそこ祝日休みか、難波なら本物のハンバーガー(©︎銀杏峯田)も食えるし、ジビエ専門店もあるなあ、どこに行こうかしら……などと考えていた。が、そう言えば塚口にはしょっちゅう映画を観に来ているし、そのついでに先述の旨いラーメン屋や、旨いカレー屋、うどん屋、パスタ屋、ピザ屋、10分ほど歩いたところにある中華料理屋には時々行くが、それ以外は全く塚口という土地を知らないと気付いた。新規開拓せねば。フレッシュな出会いこそ、人生の醍醐味だ。ぶらぶらと駅から離れて散歩をしよう。ええ感じのケーキ屋とか喫茶店があったら入ったろ。そう思って、散策を開始した。

 俺は住宅街を散歩するのが好きだ。キモい趣味だと自覚しているが、好きなんだから仕方がない。「どうして自分は自分なんだろう。いま目の前にいる人全員がそれぞれの人生を何年、何十年も俺の知らないところで積み重ねてきたって、めちゃくちゃ神秘的だし面白いし、怖いなあ。この世界は現実か? 仮想空間じゃないのか? 高次元の存在のシュミレーションじゃないのか?」という、夜更かしして『マトリックス』を観た直後の中坊が考えそうなことを、俺は未だにしょっちゅう考える。そんなとき住宅街を歩くと、「いやー、この生活感はやっぱリアルっしょ」と感じられるのだ。

 HIPHOPを聴きながら住宅街を歩いたり大通りに出たりという、一部始終を警察官が目撃していたら職質されても文句の言えない行動を繰り返しているうち、とある民家の前に小さな白い看板が立てられているのが見えた。婚約者がアートギャラリー通いや作品購入を趣味としており、ちょくちょく同行するため、ひと目見てアートギャラリーだと思った。ギャラリー会場は、商店街や住宅街の中にひっそりと佇んでいることが多い。

 近付いて看板を見ると、「まっさらな家 1.8〜1.10 九月単独公演 72時間軟禁ライブ」という、何度読んでも飲み込めない文言が記されていた。1月なのに何故、九月単独公演なのか。72時間軟禁ライブとは何なのか。ここで、「よう分からんけど、会場って書いてるし飛び込みで入ったれ」というのが俺が目指すべき一期一会スピリッツの実践だが、流石に怖い。どう見たって民家やもん、黒沢清的展開に巻き込まれたないで、との思いが募り、ひとまずその場を離れて、「まっさらな家 塚口」でググった。すると、いやはや全く便利な世の中でございますなあ、割と上の方に「1.8〜10 72時間軟禁ライブ「まっさらな家」(兵庫県尼崎市というタイトルのnoteの記事が出てきたではありませんか。

開催概要
- 「まだ誰も住んでいないシェアハウス」で72時間コントをやり続けるライブ
- 随所を移動しながら500〜600本ほどのコントをする
- 飲食物は差し入れのみ
- 入浴時のみライブを中断する
- お客様は入退場自由

日時:2022.1.8 0:00 - 1.10 24:00
場所:兵庫県尼崎市 各線塚口駅徒歩10分
「まだ誰も住んでいないシェアハウス」
料金:入場 1000円
   応援入場 2000円
   お年玉入場 5000円
出演:九月

参加方法:QRコードより開ける参加フォームより項目を入力して頂くと、会場の住所が配布されます。

 なるほど、九月というのは芸名か。知ってしまえばなーんやというミステリやマジックのトリックのようだ……と思い掛けて、72時間軟禁ライブというのが何の比喩でもなく、72時間建物にこもってライブをすることを意味するという事実に笑った。

 変なことしとんなあ、オモロそうやな、入ってみよ……と思うと同時に、テレビっ子で権威主義者な俺は、若干の嫌な予感も覚えていた。「参加方法:QRコードより開ける参加フォームより項目を入力して頂くと、会場の住所が配布されます。」という文言や

⑤差し入れについて
軟禁ライブ中、九月は差し入れで頂いたもののみを飲食します。これまで最もよく頂いたのは水、お茶、ジュース、コーヒー、栄養ドリンク、のど飴、おにぎり、パン、サンドウィッチ、弁当、ゼリー飲料などです。DMで質問して頂いたらお答えします。

というnoteの記事を読む限り、完全に通りすがりの「当日券」を想定としていない、既存のファンを対象にしたライブである。テレビ番組にもお笑い芸人のライブにもラジオにも、その番組内や芸人界隈、延いては芸能界の文脈に沿った内輪ノリが数多く存在する。それ自体は何の問題もない。ただ、ジャルジャルが元日にYouTubeに投稿した『また今年も元旦に出会った涙腺コルクとチャラ男番長って奴』をジャルジャルYouTubeをこれまで観てこなかった人が楽しめるはずもないのと同様、五分前に存在を知ったお笑い芸人がもしも内輪ノリ全開のネタやトークを披露した場合、到底楽しめるはずはない。「僕のライブの常連客のよねやんがこの前、酒の席でさ〜」とか言われても「芸人仲間のかささぎモンキーズのテツのモノマネしまーす」とか言われても知らないし、しかし「誰やねん、知るか!」というツッコミも意味をなさない。ダウンタウンの浜ちゃんがしばしばテレビ番組で披露する「誰やねん!知らんわ!」芸は、圧倒的な名声と実力を誇るダウンタウンが、テレビというマスメディアの枠組みの中に現れた無名の人物に対して放つから、浜ちゃんのキャラクターと相まって芸として成立しているのだ。会員制の文学バーに乗り込んだ浜ちゃんが「トマス・ピンチョンって誰やねん!」と声を荒らげたところで、総スカンを喰らっておしまいだ。民家で開催されるトリッキーなライブを観に行って、内輪ノリだらけだったとしても、「いや、ファンのためのライブなんで。沢田研二も、往年のヒット曲とかあんまりコンサートで歌わないらしいですよ。それと似たようなもんです」と言われれば何も言えないし、それに入場料1,000円を払うのは御免だ。

 かと言って、今から九月というお笑い芸人について調べまくり、評判を漁ったりYouTubeでネタをチェックしたりするのも違う(noteの自己紹介欄に「YouTubeに毎日コントを投稿しています」と書いていた。ジャルジャルが好きなので特に何も思わなかったが、今思えばこれもなかなかストロング・スタイルだ)。俺は、「たまたま出会った謎のライブで、知らない芸人のコントをよく分からないまま観る」という体験がしたいのだ。内輪ノリだったら、すぐに出ればいい。お笑いライブに擬したカルト教団の儀式だったりマルチ商法講座だったりしたら、全力で逃げればいい。俺は全然博識ではないが、唯一自分の性格についてだけは、チコちゃんよりも詳しく知っている。ここで踵を返して駅に戻れば、後々絶対に後悔する。

 QRコードを読み込むと、Googleの送信フォームが表示された。簡単な質問に二つ答え、送信すると、住所が表示された。入場のための合言葉でも表示されるのかと思ったが、住所だけなら別に送らんでよかったな、まあええか。ということで、再び民家に近付き、玄関へと足を踏み入れる。扉は開いており、女性に挨拶をされた。消毒を促され、「そういえば性別を知らん。この人が九月って人か?」と思っていると、「そちらの部屋に入っていただいて」と案内された。

 扉を開けると、薄暗い和室の中に上下黒の人物が立っていた。畳の上には、布団が敷かれていた。「あー、これは今から信者の娘(可愛い、かつ教団のことを内心毛嫌いしている)が教祖様相手に聖なる儀式と称したグロテスクな行いを強要されるパターンやな」という、手垢の付いた妄想が一瞬頭を過ぎったが、どこにでも座ってくださいというジェスチャーと共に「あ、どうぞ、お構いなく」と上下黒の男性が言い、その穏やかな声色に「あ、大丈夫そやな」と安堵して、軽く会釈をしながら扉のすぐそばの畳に胡座をかいて座った。声の主が、九月氏らしかった。客は俺以外に三人いた。

 九月氏は、二言三言何か言ってから、コントを始めた。それから、延々とコントを披露し続けた。ちょいちょい合間に喋ったりトイレに行ったりはしていたが、これを72時間やっているとすると相当な気力だ。しかも、この手のライブをよくやっているらしい。

 そして肝腎のネタだが、面白かった。俺は日常会話やバラエティ番組ではフツーに声を出して笑うが、シラフの状態で漫才やコント、喜劇映画や落語、小説や漫画といった創作物に触れても、声を出して笑うということがあまりない。頭の中では「オモロいなあ」と思っていても、声を出したり手を叩いたりして笑うことはさほど多くない。作品/虚構というものをある種、特別視しているからかもしれないが、明確な理由は自分でも分からない。

 だから、九月氏のコントでも声を出して笑うことはなかったが、ただ、ずっとニヤニヤさせられた。ニヤニヤさせる笑いより爆笑を生む笑いの方が上とは限らない、とケラリーノ・サンドロヴィッチいとうせいこうとの対談で語っていたが、完全に同意だ。設定の面白さやオチの上手さが魅力に感じるコントもあったが、九月氏のどのコントにも通底していたのは、なんか気ィ付いたらニヤニヤしてもうてるわ、という不思議な魅力だった。

 正味な話、そこまでピンとこなかったネタもあるが、延々と見てられる豊かさがあった。あかん、ぼちぼち切り上げな、難波行って映画も観たいのに……と思っていると、喫煙所のコントが始まった。恐らく喫煙者なのだろう、マイムが上手く、無性に煙草が吸いたくなったので、ちょうどええきっかけやと思い、退室を申し出た。貴重でユニークな体験だったし、テリー・ギリアムにベットする予定だった金が余っているので、応援入場代2,000円を支払って家を出た。結局、塚口駅周辺のお店の新規開拓は果たせなかったが、この世界が仮想空間ではないという実感を得られることはできた。高次元の存在だの人類を支配するAIだのに、あのニヤニヤした笑いの機微は分かるまい。

 駅前に着くと、灰皿があったので、煙草を取り出して吸い付けた。イヤホンをして、音楽を聴く。曲は、Earth, Wind&Fire『September』だ。煙が肺に沈むのを感じながら、悪くない休日だと思った。Ba De Ya。終わり。

青春の終焉と「青春」の誕生

はじめに

 日々過ごしていると、しばしば「青春」という単語を目にする。「青春」を題材にした映画や ドラマ、アニメ、CM、広告、小説、漫画、音楽などは絶えず登場し、SNS上は「青春」を謳歌していることをアピールしたり、過ぎ去った「青春」を懐かしんだりする声で溢れている。

  「青春」の語源となった陰陽五行思想において、人生における春は15 歳から29 歳を指す。だが、現代の日本において「青春」と言えば、中学校入学から大学卒業までの期間をイメージ する者が多い。とりわけ、高校三年間の輝きは強烈だ。インターネットで「青春」と画像検索すると、制服を着た高校生の画像が大半を占めている。いくら多感な時期とは言え、たった三 年間だけがかくも特別視されることに、違和感を覚える。「青春」とは、それほど素晴らしいものだろうか。 本稿では、近代の青春と現代の青春――「青春」と鍵括弧付きで表記――の違い、及び各々の日本社会との関係から、その性質を考察していく。

 俺にとって「青春」という言葉は、高校の授業を怠けて映画館に赴き、サム・ペキンパー監督の『ゲッタウェイ』のリバイバル上映を観ていた瞬間しか想起しない。だが、だからと言って、高校生活を楽しめなかったが故の私怨を綴る訳では、決してない。

 

1. 近代の青春

 1880 年(明治13 年)、東京基督教青年会の発足に際して「ヤング・メン」は青年と訳され、 西欧から日本に輸入された。その5年後、徳富蘇峰が『第十九世紀日本ノ青年及其教育』を上梓して、青年という単語や、青年が送る日々を指す青春といった単語は、徐々に日本全国に知られていく。

 そして20年後、青春という言葉は小栗風葉が小説『青春』を『読売新聞』に連載しはじめた1905 年の段階においてはじめて、一般に広く流布した」のだという。 次いで、島崎藤村『春』、夏目漱石三四郎』、森鴎外『青年』、雑誌『白樺』などが刊行され、日本近代文学が隆盛期を迎えるとともに、青年や青春という言葉は益々市民権を獲得していく。 青春という新しい概念は、日本近代文学の主題として扱われ、やがて一部読者の生き方を支配するまでに至る。

 では、日本に輸入された青春という概念は、そもそも西欧でどのように誕生したのか。その 答えは、イギリスで起こった産業革命にある。

 1700 年代にイギリスの工業分野において技術革新が起こり、工場制機械工業が主流となっ た。それに伴い、資本家と労働者という階級が誕生し、資本主義社会が確立された。技術革新 に端を発したこの一連の社会変動が、産業革命である。 産業革命によって、イギリスの経済体制が封建制から資本主義体制へと移行した結果、労働者の酷使や幼い子供が工場で働かされるといった問題が起こる。イギリス政府はそうした事態を改善するため、法改正に乗り出した。その一環に、義務教育の導入がある。労働者として働き出す前に一定程度の教育を受けさせることで、資本家からの過剰な搾取を防ぐことを目的としたものだ。だが長期的に見れば、義務教育は資本家にも利益をもたらした。労働者達が識字や計算、工場での労働に必要な技能などの教育を受けたことで、労働者としての質が向上し、結果的に工場の生産性が上がったのだ。

 また、資本主義の勃興に伴い、中産階級も誕生した。医師、弁護士、法律家、自由業者、中小商工業者など、資本家階級と労働者階級の中間に位置する層だ。現代で言うホワイトカラーである。彼ら中産階級の人間は、自身の子に義務教育以上の教養や専門的な知識を身に付けさせることで、階級の維持を図ろうとした。その目的のために中産階級の子供達が特別に受けさせられたのが、義務教育の上に位置する、高等教育である。 労働者や中産階級が資本家に取って代わることなどあり得ない時代において、義務教育である初等教育中等教育は、労働者育成の場として機能することとなった。そして初等教育を受ける者を幼年、中等教育を受ける者を少年、そして高等教育を受けることのできた一部の特権的な者を青年と呼ぶようになり、「幼年、少年、青年という区分」が生まれたのだ。 つまり、「青春も、青年も、資本主義の勃興、市民社会の勃興とともに生じた集団概念」であり、青春の生みの親は、産業資本主義なのである。

 さて、そうした青年は特権的であるが故に、「失うものは何もない」という根源的な強みを 有していた。幼年や少年には、社会の矛盾や破綻に気付き、それを是正できる頭脳や能力がな い。一方大人は、階級に依って性質は違えど、既得権益や地位、仕事といった守るべきものを有しているため、社会の矛盾や破綻の是正には動けない。あるいは、動かない。そんな中で、 青年だけが幼年や少年と違って社会を変える能力を有しつつも、大人と違って守るべきものや 失うものがないという特異な強みを持っていたのだ。 「失うものは何もない」という強みによって燃え上がった青年の若き情熱は、飽くなき探求心と挑戦する精神を支えた。そして青年は、既存のシステムに対する創造的破壊を繰り返し、 それが結果的には、産業資本主義にさらなる発展をもたらした。

 先述した通り、青年や青春という概念は明治以降日本に輸入され、広く意味が知られるよう になった。だが、日本で実際にそうした青春を送ることができたのは、西欧と同様、高等遊民など一部の特権的な者だけだった。 以下に、西欧と日本に共通する青春の実態を述べた文章を引用する。

青春は、洋の東西を問わず、中産階級にのみ許された特権だった。特権のもとで特権そのものに歯向かうこと、それが青春の実質だった。だからこそ青年は必然的に、挫折し、 苦悩し、絶望したのである。

 

 明治以降、日本で巻き起こった青春という新たなブームは、1960 年代にピークを迎える。その背景にあったのは、学生運動だ。1960 年代の男女合計の大学進学率は、僅か10%台である。 学生運動に身を投じていた者は皆、紛れもなく特権的だった。つまり、青年だったのだ。 彼ら新左翼の学生が理論的支柱としていたジェルジ・ルカーチ『歴史と階級意識』は、エピグラフとしてカール・マルクスヘーゲル法哲学批判序説』を引用し、その主張を以下のよう に端的に表明している。

ラディカルということは、ものごとを根本からつかむということである。だが人間にとっての根本は、人間そのものである。

 あらゆる人間が人間らしくある、という根源的なことを実現するための方法として、マルク スはラディカルな思想を持った階級を形成するよう訴える。具体的には、次の通りだ。

社会の他のあらゆる階層から自分を解放するとともに社会の他のあらゆる階層を解放 することなしには、自分を解放することができないような、ひとことでいえば、人間性を完全に失ったものであり、したがって人間性を完全にとりもどすことによってだけ 自分自身を自由にすることができるような、そういう階層を形成することである。社会のこういう解体を、ある特定の身分であらわせば、それはプロレタリアートである。

 どのような社会であれ思想であれ、その根源にまで遡れば、矛盾は必ず見えてくる。本気で 社会に変革をもたらすのであれば、枝葉の部分を切り揃えるのではなく、根源的な矛盾を正す しか方法はない。そうしたマルクス(及びジェルジ・ルカーチ)のラディカルな論理が、「大学 解体」を掲げる学生運動のエンジンとなった。ラディカルを和訳すれば、急進的/徹底的/過激/ 根源的といった語が当て嵌まる。青年の「失うものは何もない」という強みと、非常に親和性が高い。「特権のもとで特権そのものに歯向かうこと、という青春の実質」は、学生運動のラディカリズムと通底していたのである。だから、1960 年代に青春のブームはピークを迎えた。

 しかし1970 年代に入り、青春というブームは瞬く間にその力を失っていく。 一つ目の要因は、大学進学率の増加――1976 年には男女合計の大学進学率は27.3%を記録する――を始めとした学校制度の整備に伴い、高等教育を受けられることがそれまでに較べて小さな特権になったことだ。青年層を形成していた中産階級が、大衆に接近したのである。 二つ目の要因は、青年という概念の弱体化だ。先述の通り、少年は中等教育を受ける者を指す言葉として誕生したため、本来は男女ともに対して使用することができる。だが現実には、 男子に対してのみ使用される。戦前の日本では男女共学が認められていなかったため、中等教育を受ける男子を少年と呼び、中等教育を受ける女子のことは少女と呼ぶようになったからだ。 そうして、「少年=男子」「少女=女子」という棲み分けがされた。

 一方、1960 年代までの日本における男子の大学進学率は女子のそれを圧倒的に上回ってい たため、青年という言葉の定義は、「高等教育を受ける者」から「高等教育を受ける男子」へと変化していた。圧倒的大多数の大学生が男子である以上、「青年=高等教育を受ける男子」という定義が大きな不都合を招くこともなかった。少年という語に対して少女という語が生まれたのとは異なり、大学に通う女子だけを指す言葉は生まれなかった。生み出す必要性がなかったからだ。 そのツケが、1970 年代に入ってやってくる。女子の大学進学率が上昇し、女性の社会進出が進んだ結果、大学に通う男子だけを指す青年という概念が弱体化したのだ。対になる言葉がないため、少年と少女のように共存することもできない。青年という語は次第に廃れ、性別を問わず年齢が若い集団全般を指す「若者」へと置換されていった。

 三つ目の要因は、人々の価値観が変容したことだ。1970 年代に入り、高度経済成長期の終焉やオイルショックの発生、公害問題の認知などによって、社会は不安定なものだという認識が人々の間に広まった。また、消費資本主義社会の本格的な到来に伴い、大量生産、大量消費、 そしてその裏にある大量廃棄までもが是とされた結果、大衆のものに対する価値観は変わってしまう。大衆にとって日本はもはや、失われることを前提としたものの集合体と化したのだ。 青年層以外の人々は、何かを失うことを極端に恐れる。その前提があったからこそ、青年の 「失うものは何もない」という急進性は意味を持っていた。だが青年層が大衆化し、なおかつ 「失われないものなど何もない」と大衆が考える世界において、「失うものは何もない」という思想は、大きな価値を持たない。こうして、産業資本主義と密接に結び付いていた青年は根源的な闘いを挑む相手を失い、「特権のもとで特権に歯向かうこと」はできなくなっていった。

 上記の要因が重なり、近代の青春は終焉を迎えた。1960 年代は、青春が輝きを失う寸前にラ ディカルな学生運動と結び付き、最後の光を放っていた時間だったのである。

 

2.現代の「青春」

 本稿冒頭で記した通り、現代(2021年)の日本は「青春」で溢れている。この現代の「青春」 は、1 章で述べた近代の青春とは別物だ。単語は同じでも、語義は全く違う。 近代の青春の定義を、三浦雅士は次のように述べた。

青春の規範とは、根源的かつ急進的に生きることにほかならなかった。近代の過程で、 この青春の規範は、表現行為のほとんど全域を席巻したのである。革命の挫折も、恋愛の挫折も、その裏面にほかならなかった。むしろ、この裏面によってもたらされる苦悩と絶望こそが、青春の主題を形成するにいたったのである。

 青年は根源的かつ急進的な生き方を貫き、革命や恋愛に挫折し、傷付く。その苦悩の軌跡が、 日本近代文学だ。 「青春」は、こうした根源的かつ急進的な生き方とは無縁である。そんな生き方など、殆どの若者は求めていない。恋愛の挫折も、革命の挫折(現代のレヴェルで言えば、部活動の苦悩など)も、「青春」の裏面ではなく表面だ。「青春」の規範とは、中学・高校時代の恋愛や友情といった「青春」のイメージに相応しいものを謳歌することに他ならない。「青春」は、明確な実態を持たない。換言すれば、「青春」っぽいイメージの集積こそが、「青春」の実態なのだ。

 では、終焉したはずの青春を輝きに満ちた「青春」として甦らせたのは、一体何か。それを考えるために、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』の一節を引く。

ナショナリズムを発明したのは出版語である。決してある特定の言語が本質としてナ ショナリズムを生み出すわけではない。

 印刷技術の進歩によって出版産業が登場・発展し、国内の出来事を一つの言語で大量の読者 に伝え始めた。それによって人々の間に仲間意識が芽生え、国に対する帰属意識が生まれた。 つまり、国民という概念は一人一人の心の中に想像されるイメージに過ぎないというのが、ベ ネディクト・アンダーソンの指摘だ。 同様の関係が、現代日本とメディアにも見出せる。映画やドラマやアニメや漫画や音楽といったメディアがこぞって、中学入学から大学卒業までの期間――とりわけ高校三年間――をさも人生における最重要な時間のように描き、そうした輝かしい描写に過去の思い出を刺激された人々が、SNSなどを通じて学生時代を称揚する。だからそれらを目にした人々は、「青春」 に対してフィクショナルで美しいイメージを付与するようになったのだ。メールや掲示板で児童買春の約束を取り付ける際の隠語として用いられていたJK(=女子高生)は、今や「JK ブランド」と呼ばれているし、InstagramTikTokでは高校生達がいかにも「青春」っぽい構図で写真を撮ったり動画を上げたりしている。それを否定する訳でも嘲笑する訳でもない。俺の周りにもそういう人はいたし、俺自身そうした側面はあった。あくまでも、確実に現代の若者は、フィクショナルな「青春」に寄せにいっている側面はあるだろうということを指摘したいだけだ。

 あるときは恋愛がうまくいった作品を観て、また別のときは友情を感じられる作品を観て、 またあるときは失恋を味わう作品を観て……という風に、「青春」のあらゆる側面をフィクシ ョンやSNSなどのメディアから過剰に摂取した結果、現代人は「青春」に対して、一人の人 間が一度きりの人生では絶対に体験できないほど肥大化した、戯画的なイメージを抱くように なったのではないだろうか。 近代の青春において、恋愛や友情という営みは「根源的かつ急進的に生きること」を表象していた。しかし、現代の「青春」における恋愛や友情は、何も表象していない。恋愛の甘酸っぱさは、恋愛の甘酸っぱさ以外の何物でもない。「青春」に存在するのは、表層的なイメージだけだ。 だが青春が終焉を迎え、「青春」の萌芽が既に見られていた1976 年の時点で、ショートショ ートの神様・星新一は著作で次のように述べ、「青春」の正体を喝破していた。

青春(引用者注:本稿における現代の「青春」)はもともと暗く不器用なもので、明るくかっこよくスイスイしたものは、商業主義が作り上げた虚像にすぎない。かりにそんなのがいたとしても、あまり価値のある存在とは思えない。

 「青春」のイメージに囚われ、そのイメージ通りの経験をすることに価値を見出している限 り、悔いのない学生時代を送ったと胸を張ることはできない。隣の芝生は青く見えるものであ り、メディアや大衆によって創り出された「青春」のイメージは、太刀打ちできないほど圧倒 的に青いからだ。

 

3. 虚像へのノスタルジー

 メディアなどが提供する「青春」のイメージに固執し、輝かしい「青春」を追体験させてくれる作品や情報に触れ続けると、いつしか存在しないはずのノスタルジーを「青春」に感じてしまう可能性がある。祖父母の代から都会で生まれ育った者が、田舎の田園風景を見て何故か郷愁に駆られる現象によく似ている。

 17 世紀後半、戦地に赴いたスイスの傭兵達が故郷を懐かしみ、ヒステリー発作や不眠などの 症状を呈す事態が発生した。同様の出来事は、十字軍遠征においても報告されている。スイス 人の医師、ヨハネス・ホーファーは、こうしたノスタルジーを「脳疾患」と診断した。

 だが近年の研究では、ノスタルジーを感じることは正常であるばかりか、「ネガティブな精 神状態、すなわち『心理的脅威』に立ち向かう方法のひとつ」だというのが定説だ。 だから、人々が自分の実際の学生時代だけを懐かしむのであれば、何の問題もない。しかし、 そうした純然たるノスタルジーではなく、メディアによって形成された「青春」の戯画的なイメージに対してノスタルジーめいた感情を抱くことには、危うさを感じる。 学生時代に恋人はいなかったはずが、街中で放課後デートをする学生カップルを見てノスタルジックな気分に陥り、部活動に入っていなかったはずが、たむろして帰る部活動終わりの学生を見てノスタルジックな気分に陥る。そして、「あの頃」など自身の過去にはないはずなのに 「あの頃に戻りたい」という思いが湧き上がるのを抑えられず、今の現実に絶望し、生きていく気力を失って自ら命を絶つ――という結末は些か安手のホラー小説じみているが、しかし少なくとも、現実に体験した学生時代ではなく虚構の「青春」に対してノスタルジーを抱き続ければ、存在しない「あの頃」への妄執が生まれ、強烈な「青春」コンプレックスを発症することは必至だ。変えられない過去に囚われてしまったせいで、現在の日々を楽しく送ることができなかったり、多くの可能性を秘めた未来の幅を狭めてしまったりするのは、不毛だ。恋愛や友達や部活や勉強や趣味やボランティアやアルバイトなど、何か一つでも思い出に残っていることがあれば、それだけで充分素晴らしい。仮に何もない怠惰な生活を送っていたのだとしても、所詮は自分の選んだ道だ。それに、そうした自堕落な生活を送ることができたのも貴重で楽しい時間だった――そう割り切ることが大切だ。送ることのできなかった「青春」 のイメージをいつまでも抱き続けて苦しむことは、水面に映る月をどうにかして掬おうとする行為に等しい。後に残るのは、疲労と虚しさだけだ。

 

4. 成熟からの逃避

 近代の青春は1960 年代に終焉を迎えたと1 章で述べたが、大学進学率が50%を超えた現在でも、青春や青年の規範が完全に消滅した訳ではない。「若気の至り」という言葉が未だ通用す るように、若さ故に無茶をしたり勇敢な行動を取ったりする者は少なくない。学生運動に身を 投じた青年に較べれば「失うものは何もない」という強みは大幅にスケールダウンするだろう が、社会人よりも学生の方が失うものが少ないという図式は、完全にはなくなっていない。退 学とリストラでは、失うものの大きさは明らかに違うだろう。 ただし、「失うものは何もない」という強みを権力への反抗や社会の矛盾の是正のために使う若者は、少数派だ。停学を恐れずに屋上や夜の校舎に忍び込んで遊んだり、授業を怠けて遊んだりすることでスリルや背徳感を味わう者は少なくないが、不合理な校則や理不尽な教師に抗議したり、学校の不当な処分や要求に対して反対運動を行う者は、限りなく少ない。

 また、青年や青春の規範の残滓は、「青春」に溶け込み、「青春」の輝かしいイメージをより強固にする役割も果たしている。青春とは特権的な青年だけが送れる期間だ、という近代の価値観は現在、学生時代こそ人生で最も楽しい時間だ、という歪んだ特権意識へと変貌を遂げた。 大人が何かに夢中になることを「第二の青春」と呼び、何かに熱中する大人を「青春は終わらない」と鼓舞する者がいる。彼らは、情熱的な営みをすることは「青春」の特権だという意識を抱いているのだ。

 こうした「青春」への特権意識の背景には、メディアが生み出した「青春」幻想の他にもう 一つ、エイジズムが潜んでいる。 エイジズムとは、「1986 年に米国の老年医学者ロバート・バトラーが造りだした新語」であり、「年をとっているという理由で老人たちを組織的に一つの型にはめ差別をする」ことだ。 「老人に対する偏見、嫌悪感、恐怖心といった心理的・文化的要因に起因する」という。

 現代日本のメディアで描かれる高齢者は、認知症や病気、寝たきりといった死に接近してい るイメージか、偏屈や頑固な「老害」といった醜いイメージを与えられることが多い。あるい は、「可愛いおじいちゃん、おばあちゃん」といった風に、老いて弱くなった庇護すべき対象として扱われる。そうした人物が実在する以上、病気の高齢者や「老害」や「可愛いおじいちゃ ん、おばあちゃん」を描くことは間違いではない。だが、この三類型に落とし込むことのできない高齢者像が滅多に描かれない現状には、偏りを感じる。少年漫画などでは「格好良くて強い老人キャラ」がよく登場するし、俺自身そうしたキャラクターは大好きだが、敬意を込めてこの表現を使えば、それらのキャラクターはどうしても「漫画的」である。

 1920 年代にアメリカで生まれたフェミニストにしてレズビアンのバーバラ・マクドナルド は、フェミニズムによって自己解放を遂げたあとは、エイジズムに立ち向かうべきだと主張し た。1994 年に邦訳された『私の目を見て――レズビアンが語るエイジズム』で、彼女は次のように述べている。

レズビアンが存在することやレズビアンであることが喜びだと教えてくれるような小 説も映画もテレビ番組もない中でずっと生きてきた。(中略)今度もまた、高齢女性が存在すること、高齢女性であることが喜びだと教えてくれるものはなにもなかった。

 バーバラ・マクドナルドは、自身がレズビアンであることも女であることも、自分の頭で考 えて肯定し、生き方を見つけてきた。同様に、どのように老いていくかも自らの頭で考え、模 索しながら生きた。彼女のように、老いを受け容れつつも活動的に強く生き続ける人生を選ぶ ことは美しいが、困難でもある。だから、ひっそりと穏やかな老後を送る人生を選択すること も、何ら恥じることではない。そこに優劣は存在しない。

 しかし現代日本には、上記の二つの道ではない、第三の道が存在する。「若さ」vs「老い」という二項対立を是とし、自分は年齢にかかわらず「若い」のだと主張する道だ。この道を選べば、必然的に対立概念である「老い」を貶めることとなる。「美魔女」ブームが起こった際も、 年を重ねた美しさではなく若々しさに美の基準が置かれていた。

 成熟した大人の先には、醜い老人が待っている――このイメージに抗うため、人々は成熟から逃避し、若さを称揚し、「青春」に特権を付与した。「俺たち男は馬鹿だから、いつまでもガキのままなんだよ」と嘯く彼らの表情と声は、いつも何処か誇らしげだ。貞操観念に凝り固まったマザーコンプレックスの男性が多いのは、成熟から逃避した結果ではないだろうか。

 成熟を拒絶する思想には、相容れないものがある。老いによって視野狭窄になったり判断力 が低下したりする側面は、確かにある。それをもって、「老害」と呼ばれる。だが、老人の「老害さ」というのは、若者の未熟さや中高年の事なかれ主義といった傾向に較べて、特筆すべきほど醜いものだろうか。思慮深い若者も、挑戦的な中高年も、度量の広い老人も大勢存在する。 結局は年齢に依らず、当人が美しいか醜いかだけの話である。 恋に溺れることも熱い友情を育むことも、何かに真剣に打ち込むことも、断じて若者だけの特権ではない。成熟した大人として何かに夢中になり、熱中すればいい。成熟した大人の先には老いた大人が待っているが、その姿が醜いかどうかは本人次第だ。むしろ、老いを唾棄し、 成熟から逃れて若さに縋り付く姿勢こそ、よほど美しくない。

 ヌーヴェル・ヴァーグの旗手、フランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』 で、12 歳の少年アントワーヌは大人達に反抗し、鑑別所に送られる。隙を見て脱走するが、 延々と走った先には海が広がっており、逃げ場を失った彼は波打ち際で立ち止まることを余儀 なくされる。振り返って観客に視線を向けたアントワーヌをクロース・アップで映して、映画 は終わる。その無表情は戸惑いや諦念に覆われているが、逃げることを止めて現実に立ち向か おうという決意も確かに見て取れる。 僅か12 歳のアントワーヌが『大人は判ってくれない』の最後で見せた表情は、現代日本の多くの大人よりも、遥かに大人びている。

 

おわりに

 産業資本主義によって誕生した近代の青春のイメージは、日本文学の歴史を形作り、ラディカルな学生運動を駆動させた。一方、商業主義によって形成された現代の「青春」のイメージ は、ひたすら「青春」幻想に溺れる人々を増やし、「青春」にまつわる商業を潤わせるというサイクルを繰り返している。近代の青春を襲ったような終焉が現代の「青春」にもやってくるとは、今の段階では考え難い。現代の「青春」はフィクショナルであるからこそ、そのブームの持続力は近代の青春を凌駕している。

 ただし「青春」は、その輝かしさを過大評価して妄執することさえしなければ、問題ない代物だ。自分が実際に体験した「青春」の思い出を懐かしむことは正常であるし、「青春」コンプ レックスを発症せずに気持ちを切り替えられるならば、「青春」の幻想を追体験させてくれる ものに時折触れるのも一興かもしれない。

 だが、あくまでも個人的な好悪の観点から述べれば、「青春」を追体験することはもちろん、 実際の思い出に浸ることも、断固として拒否したい。ノスタルジーはネガティブな精神状態に立ち向かう方法の一つだ、という近年の研究を知ってもなお、ノスタルジーを敬遠する気持ちを拭い去ることはできない。ノスタルジーに浸るよりもフレッシュな空気を吸い込むことの方が、遥かに豊かだと信じているからだ。甘さと青さを拒絶した先にこそ、成熟した人生が広がっているはずだ。

 高校生のときに『ゲッタウェイ』を映画館で観てスティーヴ・マックイーンに憧れ、早く大人になりたいと感じた気持ちだけを唯一の「青春」の証として胸に刻み、低身長ながら精一杯背伸びして生きていきたい。

 

参考文献

三浦雅士『青春の終焉』講談社、2001 年。 ・ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体:ナショナリズムの起源と流行』リブロポート、1997 年。

星新一『きまぐれ博物誌』角川書店、1976 年。

・岩波講座 現代社会学 第13 巻『成熟と老いの社会学岩波書店、1997 年。

ロバート・バトラー『老後はなぜ悲劇なのか? アメリカ老人たちの生活』メヂカルフレン ド社、1991 年。

政府統計の総合窓口e-Start「学校基本調査 年次統計」2016 年8 月4 日 ;https://www.e[1]stat.go.jp/dbview?sid=0003147040(アクセス日2021 年1 月17 日)

・lifehacker 日本版:「懐かしい気持ち」がもたらす意外なメリット2015 年2 月17 日;https://www.lifehacker.jp/2015/02/150217how_to_use_nostalgia.html(アクセス日2021 年1 月17 日)

 

 

M-1グランプリは超オモロい漫才特番な訳で

 大阪・宗右衛門町にある雑居ビルの地下2階で開催されたM-1賭博に参加し、単勝モグライダーに有り金350万を突っ込んで負けた訳ですが、やっぱり今でもモグライダーが一番面白かったという感想は揺るぎません。今回の決勝進出者のほぼ全組を知らなかったという恋人にM-1について尋ねると、「猫のやつと一日署長のやつが面白かった」とのことでした。初見でランジャタイと真空ジェシカが刺さるとは、素敵なパートナーを見つけたものです。ちなみに、卒論のために上野千鶴子の『発情装置』という本を読んでとても面白かったとも語っており、お、マジでか、上野千鶴子読んだことないけどほな読んでみよかな、という気になっています。まあ、こう書きつつ、読むのはどうせしばらく先になるんですが。

 で、M-1の話に戻ると、どの組が一番面白かったかなんつーのは好みでして、M-1に限らずあらゆるものの審査というのは、好みに尽きます。ただ、構造を分析して、よくできているか否か、上手いか下手か、みたいなジャッジを下すことは可能です。が、M-1の決勝に進出するような漫才師ならば基本的にはいずれもハイレベルな訳で、ファイナリスト10組を綺麗に10段階に割り振れるほどの明確な差はありません。お笑いは構造分析が可能であり、批評や評論の対象となり得るが、その分析だけでは到達できない「なんかよう分からんけどオモロい」という部分がほんの少しだけある、と俺は思っています。お笑いに限らず、大体なんでもそうでしょうが。

 で、M-1レベルの戦いならば、勝敗を分けるのはその「なんかよう分からんけどオモロい」部分なんじゃないかなあと思う訳で、だから、審査員は好みで審査していい、というか、よほど明確な差がない限り、好みでしか審査し得ない、というのが俺の考えです。

 であるからして、我らがえみちゃんこと上沼恵美子の審査を今年も肯定する次第です。えみちゃんが付けた各組への点数と順位は次の通り。

同率1位.インディアンス ハライチ(98点)

3位.ロングコートダディ(96点)

4位.錦鯉(95点)

5位.ゆにばーす(94点)

同率6位.モグライダー オズワルド(93点)

8位.もも(90点)

9位.真空ジェシカ(89点)

10位.ランジャタイ(88点)

 基準点のモグライダー(93点)から±5点です。俺は先述の通りモグライダーがベストでしたし、インディアンスもハライチもそこまでピンときませんでしたし、真空ジェシカとランジャタイで結構笑ったので、えみちゃんの点数と俺の感想は全然違います。けどまあ、別にいいんじゃなかろうかと思います。万人受けする笑いなど存在しない以上、審査員の好みが違って当然です。他の審査員と異なる基準や価値観の審査員が批判されるならば、観客の笑い声の大きさを測って一位を決めればいいじゃないすか、と思います。ちなみに、えみちゃんを除いた六名が審査員だった場合の1stステージの順位は、次の通りです。

1位.オズワルド

2位.錦鯉

3位.インディアンス

4位.もも

5位.ロングコートダディ

6位.真空ジェシカ

同率7位.モグライダー ゆにばーす

9位.ランジャタイ

10位.ハライチ

 上位3組は変わらず、実際には4位だったロングコートダディが5位に、5位だったももが4位になります。また、真空ジェシカと同率6位だったゆにばーすがモグライダーと同率の7位に、最下位がランジャタイではなくハライチに、という結果です。これをどう思うかは各人の価値観に依るでしょうが、上位3組はブレていないですし、7人の審査員のうちの一人がもたらす順位への影響としては、全然許容範囲内だと感じます。面倒なので調べていませんが、他の六名の審査員を対象に同様の試算をしても、似たような違いが生まれるでしょう。

 というかそもそも、M-1でのえみちゃんが批判されているのって、点数じゃなくて審査コメントなどの番組全体を通した振る舞いが原因な訳ですよ。えみちゃんの振る舞いへの嫌悪感が、えみちゃんの審査にまで遡及してしまっている訳です。けど、俺はえみちゃんのM-1での振る舞いも肯定しています。どこまで意識的・自覚的なのか知りませんが、競技化されたM-1、感動的なスポーツ大会のような様相を呈しているM-1を、えみちゃんだけは内部の人間でありながら適度に茶化しています。「いうて、M-1もテレビのお笑い番組やんか」というえみちゃんの態度は、M-1に人生を賭けている多くの芸人や彼らを愛する多くのお笑いファンの目には、ある種の侮辱に映るのかもしれません。しかし、俺はそこに大衆と寝てきた女帝の矜持というか信念みたいなものを勝手に感じ取って、ええなあと思う訳です。お笑い芸人の格好良いエピソードや格好良い姿がバンバン表に出る現状や、それを多くの人々が是としている現状に若干の抵抗を感じる人間にとって、そうした流れを加速させている要因であるM-1を心置きなく楽しむためには、えみちゃんの存在は最高の清涼剤になるのです。

 過去にM-1の決勝でネタを披露したハライチの漫才を「初めて見た」とえみちゃんは言いました。でも、キングオブコントに出場した芸人と後々バラエティ番組で会っても全く覚えていない、なんつーのは松本人志もしょっちゅうです。また、真空ジェシカのセンスを誉めつつ、知識不足でついていけなかった、悔しいと正直に語るのが世間の人々に言わせりゃ「審査員失格」らしいですが、なんつー誠実な態度だろうと俺は感動しましたよ。しかもその後、真空ジェシカの川北が「本当に、センスがあって良かったです」とコメントしたあと速攻でコケるジェスチャーをしてみせるのも、芸人らしくていいじゃないですか。

 ハライチに高得点を付けたあとの「他の審査員おかしいわ」という発言も、そう言いたくなるくらい私はハライチの漫才を面白いと思ったという激励な訳で、まあ自分と異なる他の審査員をdisるなんてのは当然悪手ですが、M-1を神聖なる漫才界の頂上決戦ではなく面白い漫才特番だと思っている身からすると、フツーに笑いました。

 ファイナルステージ直前の「一組はダメだろうなっていうのはわかっています」というのも同様で、そりゃ不快に思う人の気持ちも分かりますが、でも俺は、なんでそんないらんこと言うねん、と笑っちゃいました。大事な場面で言うたらあかんいらんことを言う、というのが、どうしても好きなんですよ。

 えみちゃんが好みで点数をつけていることを批判している人々もまた、審査員を好みで審査しているのでは?と感じます。たとえば板尾創路がえみちゃんみたいに他の審査員とは違う点数を付けていった場合、同じように批判するのでしょうか。やっぱり板尾は独特やなあ、と笑いませんか。笑いませんか、そうですか。

 ま、あなたがえみちゃんの審査やM-1での態度をどう思っていようが、一向に構いません。俺はええと思うし、あなたはええとは思わへん。それだけの話、好みです。それより俺は、ランジャタイが手紙を書いて送ってくれた実は礼儀正しい奴っちゃという話を長々と喋ったオール巨人に対して首を傾げましたし、その話に対して「もー」と苦笑していた塙はやっぱええなあ、と思いました。そして、実はその手紙はランジャタイ二人合わせて便箋9枚送ったというイカレエピソードを大会終了後に披露していたランジャタイを、やっぱええなあと改めて思いました。

 M-1への感想はそんな感じです。M-1が終わり、今年のクリスマスイブは、恋人と香川県に旅行に行きました。うどんも骨付鳥もオリーブハマチも旨く、栗林公園の松の美しさは圧巻で、父母ヶ浜で夕陽が沈むまさにその瞬間を見られたのは最高の思い出になりました。メリークリスマス、ミスターローレンス、と恋人に言うと、何それ?と言われました。翌日、坂本龍一戦場のメリークリスマスの音符を一音ずつNFTで販売したというニュースを見て、何それ?と今度は恋人と声を揃えて言いました。昨今流行りのNFTの良さを分かりたい、悔しい、というこの思いはきっと、真空ジェシカの漫才を観たえみちゃんの気持ちと同じでしょう。

 嘘。NFTの良さを分かりたいとも悔しいとも思いません。だって、訳分からんもん。無知・未知に対する不誠実な態度ですが、しかし改める気もありません。俺は何も審査しないので。終わり。

女帝っちゅうたら小池百合子なんかやのうて、上沼恵美子なんやわ

 俺はお笑いが好きだ。が、ネットでよく見かける「お笑いファン」には若干の悪感情を抱いている。理由はいくつかあるが、一番の理由は、例の武智と久保田のインスタライブが批判を浴びた際、誰もが口を閉ざしていたからだ。自分らの大好きなお笑いが少しでも侵されれば、BPOめ!ポリコレめ!フェミめ!差別と言う方が差別なんですー!などと鼻息荒く持論を展開するのに、えみちゃんへの「嫌いです、なんて言われたら、更年期障害か?と思いますよ」っちゅう暴言はフルシカトっすか、それとも世論や他のお笑いファンの意見が出揃ってどっちに付いた方が得策か判断できるようになるまでは知らぬ存ぜぬ我関せずっすか、情勢を見極める優れた軍師にでもなったつもりか知らんけど、情勢が落ち着くまで動けへん奴は単なる腰抜けっちゅうねん……などとイラついたことを覚えている。

 俺は上沼恵美子a.k.aえみちゃんのフアンだ。大阪人はみんなえみちゃんが好きやでー、などとのたまうつもりは毛頭ない。大阪人でも関西人でも、えみちゃんを好きではない人は少なくない。俺も、えみちゃん同様に「大阪」の象徴的な扱いを受けているやしきたかじんや維新のことは全く好きではない。大阪人はガチで全員たこ焼きが好きだが、お好み焼きをおかずに米を食う奴は別に多数派ではない。

 えみちゃんは面白い。そして、格好良い。宮迫らの闇営業騒動後、「嫌いにはならない。応援する」と語るFUJIWARAの二人に「なんかスポーツマンの仲間みたい。ライバル違うの? そんなことなって、『スッとしたわ。消えるし』とか思わなかった?」「芸能界は椅子取りゲームやもん」「私なら消えてくれてよかったなと思うかも。私はそうだった。お姉ちゃんと漫才やってたときに、上が消えてってくれたらいいのにと思いました」「私が若いときと時代が違ってる。けど、だからいまの芸人はオモロないねん。頭ひとつ出たろと思わないから。みんなで一緒に『オモロないようにしよな』ってスクラム組んでんねやろ」と痛烈な言葉を浴びせた様には、その後、やや重たくなった空気を笑いで和ませるところまで含めて、非常に痺れた。

「実家は大阪城」「父親の遺産の淡路島を日本政府に貸している」「財産目録に琵琶湖がある」「通天閣は上沼家の物干し台」「金閣寺を購入したときのポイントで家電一式を揃えた」といった有名なホラの数々は、先日生前退位を表明された黒瀬深陛下のホラの数々とは較ぶべくもないユーモアを孕んでいる。そこそこ旨いつけ麺屋を経営しているシャンプーハットのてつじを寵愛したり、同じく寵愛していたカジサックと詳細不明な、しかし満更デマでもないらしいトラブルを起こしたりしている点も、人間臭くてチャーミングだ。以前ココリコ遠藤のYouTubeチャンネルに出演していたカジサックは、「揉めてはいないが、何かしらはあった。でも、詳細を話すと色々な人を傷付けてしまうから言えない」と前置きをした上で、「死ぬまで上沼恵美子さんを尊敬している」と断言していた。根拠はないが、本心っぽかった。

 礼儀にうるさく、ズケズケとモノを言い、ステレオタイプな「お茶の間の主婦」よろしく芸能人の不倫に厳しく、大ホラ吹きで、めちゃくちゃ金持ちなのに庶民的で、案外夫を立てる性格で、しかし姑の悪口はよく言い、吉村イソジン知事辺りの見た目それなりにシュッとしたタイプにはコロッとイカれてちやほやし、過去にスキャンダルがあったりした芸能人がゲストに来ると妙に優しく接することもある、嘘みたいに顔を白く塗った嘘みたいに面白い芸人、それがえみちゃんだ。武智と久保田の件のあと、松本人志がわざわざ詫びを兼ねた挨拶のためだけに大阪を訪れる人物であり、千鳥ノブが「女子史上一番面白い」と(その後の「けど、島田珠代が迫ってきている」というコメントのための前フリとはいえ)褒め称える人物なのだ。古き良きヤクザの大親分やマフィアの首領のような風格とキャラクターだ。『グッドフェローズ』を初めて観たとき、ジョー・ペシレイ・リオッタを理不尽にツメてから冗談だと笑う最悪で最高なシーンで、「えみちゃんみたいやなあ」と思ったのをよく覚えている。

 突き抜けた俗物は、聖人の如き輝きを帯びる。えみちゃんは女帝でありながら同時に、神話に登場するキレどころの分からん神のようでさえある。そんなえみちゃんがお笑いファンのヘイトを集めてしまったのは、ひとえにM-1の審査が理由だろう。俺はM-1のスポーツ大会化やM-1が加速させた「芸人は格好良い、芸人の知られざる苦労や裏側は格好良いということは隠さず見せてもいいのだ」という昨今の風潮が嫌いだから余計に思うのかもしれないが、えみちゃんのM-1の審査はあそこまで苛烈に批判されるほど酷いものではない。ギャロップとミキの自虐の比較は、依怙贔屓ではなく筋の通った審査としか思えなかったし、最後の出場となった和牛への激しめの言葉も頷けるものだった。自分のCDの宣伝を始めるくらいの小ボケは許してくれよ、アレがそんなにダメなら、2020年までのキングオブコントの審査員は全員死刑にでも処されてしまうでしょうが、と俺は思うが、諸君の見解はいかがかね。

 えみちゃんの2021年M-1審査員続投とYouTubeチャンネル開設というめでたいニュースを知り、この記事を書いた次第だ。今年のM-1終了後、もしまたM-1を愛するお笑いファンの皆様がえみちゃんを批判した場合、2016年から2021年までの6大会分全てのえみちゃんの点数と審査コメントを抽出してえみちゃんを擁護し、えみちゃんを批判していた人々を撃っていく所存だ。異教徒は皆殺し、我、狂信者なり! 最近、ヒラコーの『HELLSING』読み返しましてん。7巻のラスト、アーカードが幽霊船で帰還したシーンは、漫画史上に残る美しさです。終わり。