沈澱中ブログ

お笑い 愚痴

立川談春 独演会 「これからの芝浜」

 仕事で世話になっている人と飲んだ際に落語の話になり、桂二葉の「らくだ」の酔っ払いの演技のグラデーションは絶品だと薦められた。「らくだ」なら笑福亭松鶴が最高なので…‥とあまり興味を示さないでいると、だったら立川談春の「芝浜」はどうかと言われた。芝浜なら志ん朝三木助に談志に小三治に……と色々名演があるし、現役でもさん喬なんか素晴らしい、子供がいる設定のver.はやや蛇足に感じるけども、という俺に対して今度は引き下がらず、談春の「芝浜」は一味違うとなおも力説された。「これからの芝浜」と題して、従来とは大きく変えて演じているのだとか。より現代的な価値観に沿うようにアップデートしており、泣けるんだよね、という言葉に些か不安は覚えた。時代設定が過去なのにも関わらず、登場人物達がやたらと現代的なポリティカル・コレクトネスに準じた言動をしているのを見ると、一気に作り物感を覚えて冷めてしまうからだ(セクハラを筆頭に、略語は意味を漂白すると思っているので、ポリコレではなくポリティカル・コレクトネスと記しました)。

 とはいえ、折角薦められたので試しに抽選に申し込んだところ無事当選したため、2023年12月28日、立川談春 独演会に行って参りました。談志と志の輔の落語はたまに聴いているが、談春の落語は一度も聴いたことがなかった。チケットを取った後も、あえて聴かないでおいた。

 そして訪れた12月28日。俺は朝から、録画していたM-1グランプリ2023を観ていた。24日当日は夕方から夜中まで仕事でリアタイできず、帰ったら録画を観るぜと息巻いていたが、LINEを開いた際にLINEニュースで優勝者の名前が目に飛び込んで、一気に萎えてしまった。Yahoo!ニュースを開かないよう対策していたが、LINEニュースは警戒していなかった。帰宅し、お笑いアカデミー賞2023をTverで観て眠りに就いた。25は休みだが兼業の仕事の納期が間近だったため朝からそれをやり、夜は妻とフレンチを食べに行き、26、27は9時17時で労働に従事したあと妻と過ごしたので、M-1を観る暇がなかった。まあ、観ようと思えば時間を捻出できたろうが、そこまでする気にはならなかった。もはや俺は、お笑いファンではなくなりました。ドキュメンタル13は速攻で観ましたけど。りんたろーは裏で笑えましたが、かねちーは開始前のメルカリ云々の件からずっと、表でも裏でもない側面スベリを続けており、エンジンコータローの比ではないほど観てられなかった。

 という訳で、12/28は早朝からM-1を観た訳ですが、敗者復活戦のトム・ブラウンが超オモロかったです。決勝のネタで一番好きなのは、さや香の見せ算でした。ヤーレンズは一本目も二本目もあまりハマらず。

 4日遅れでM-1を満喫してから、阪急梅田駅に向かった。マヅラ喫茶店ナポリタンとビールとカカオフィズを堪能し、すんげえ可愛い女の子が冴えない男と一緒にいるのを見てケッなどと思いつつ、煙草をふかした。17時の開場時間になったので、店を出てフェスティバルホールへと徒歩で向かう。キャパは二千人、俺の席は一階の真ん中らへんだ。この世で一番面白い漫画である『嘘喰い』をKindleで読んでいると、あっという間に開演時間になった。

 立川談春が登場し、いきなり芝浜も何なのでということで、蜘蛛駕籠を披露。同じ話を三遍も繰り返す酔っ払いの芝居で笑う。少し前にバーで飲んだ際、酔っ払いのおっちゃん客が来店して何度も同じ質問をしたり同じ話をしたりしていて、一人で飲んであんなに出来上がるなんて羨ましいなあと笑ったのだが、酔っ払い特有のあの感じをシラフで演じられるのは凄い。立川志らくが2018年のM-1で「かまいたちは『面白い』より『うまい』と感じてしまった。本当に面白ければ、うまさは感じないはず」とコメントしてお笑いファンに批判されていたが、何もおかしなこと言うてへんよなと改めて思った。えみちゃんがいない今、審査員の人選にあまり興味はないし、やすともは好きなのでとも子の審査員は嬉しかったですが、それでも志らくの「勇退」とやらはつくづく残念だ。あと、司会の今ちゃんの「とも子」呼びに引っ掛かったのは、俺だけですか。

 蜘蛛駕籠が終わり、続いて「芝浜 解説」に移る。これからの芝浜を仲入りのあとで披露するが、その前にまずはこれまでの芝浜とはどんなもんやったか解説しまっせ、ということだったが、これが素晴らしかった。芝浜とはこんな話です、というのを成り立ちも踏まえてダイジェスト的に説明していくのだが、3代目三木助はこんな風に情景描写を大切にしましたと言って「モノマネ」を披露し、談志がやる気になったときの魚勝の煙草をふかすシーンの所作は見事だったと、それを談春なりに再現してみせる。めちゃくちゃ旨そうに煙草をふかしてみせるものだから、つい吸いたくなってしまった。大勢のお客さん達も息を呑んでいました。流石に二千人近くもいると、「息を呑む」も音として響くのだなと、妙な感動を覚えた。「芝浜 解説」はそれだけで一つの演目として十二分に成立しており、北野武石橋貴明のabemaの番組で今後の映画の構想として、「作品Aとそのパロディ作品Bを撮影し、二本立てで上映するとか面白そう」と語っていたのを思い出した。

 解説が終わり、では何故自分がこれからの芝浜をやろうと思ったかを述べる。落語に登場する女は往々にして、男の理想像だ。現実の男よりさらにどうしようもない落語の男を、それでも尽くしたり叱ったりしてくれる存在である。芝浜を見て客席で泣いている7割は年配の男性だ、今の三、四十代が芝浜を見て、感動するだろうかと。今の二十代が芝浜を見て、結婚っていいなと思うだろうかと。正しいのかは分からない、今の若者にどれほど刺さるかは分からない、それでも何か変えなければという思いがあり、自分なりのこれからの芝浜を作ろうと決めたのだと。

 ただ、落語はほんの僅かな目線や間、言い方を変えるだけで、師匠からやいやい言われる一門もある。これからの芝浜も、談志に何か言われるかもしれない。けど、やろうと思った理由がある。高座で述べられたその理由を書いてしまうのは無粋だと自覚しているが、ま、こんな零細ブログは誰も読んでねえ、つーことで書いちゃうが、「十三回忌を迎えると、談志が私の中で思い出になっちゃったんですよね。談志はもう、怒ってはくれない」という言葉は、温かくて寂しくて、粋やなあと感動した。

 そして、仲入りを挟んで、いよいよこれからの芝浜が始まる。登場と共に文字通り割れんばかりの拍手で出迎えられ、高座に上がる。「さあ、ではいよいよこれからの芝浜を披露したい訳ですが……」なんてマクラはなしに、何ならまだ拍手が鳴り止まないうちに、魚勝を起こす妻の台詞を放つ。そこでピタッと拍手が止んで客席が静まり返り、会場全体が一気にこれからの芝浜の世界に引き込まれる。あの瞬間の格好良さは、鳥肌モノだった。『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』のオープニングの入り方くらい、格好良かった。

 今まで芝浜の解釈で感心したのは、時代劇作家の山本一力が落語の名作を小説にアレンジした『落語小説集 芝浜』だ。魚勝が酒に溺れて仕事をしなくなったことと、それでも妻が尽くすことにきちんと理由付けを行なっていた。『芝浜』の世界にグッと奥行きが出る解釈だが、まあ現代的な価値観で言えばやっぱり、妻は男の理想像だし、そんなに呑んだくれんなよ、という気持ちは拭えない。

 だが、談春のこれからの芝浜は、解釈の域を越え、想像以上に改変していた。これからの「芝浜」かと思いきや、「これからの芝浜」という新作のような感触だ。妻があまりにも出来たええ女であり、現代日本を生きる女性からしたら、それでもまだ理想像なのかもしれない。しかし、表面的なアップデートではなく、伝統芸能たる落語を現代の価値観に接続して拡張しようという真摯な姿勢が感じられた。冒頭で述べた仕事上の人もこの独演会を観にわざわざ東京から来ており、終演後に焼肉を奢ってもらったが、「これからの芝浜」の内容もさることながら、そうした談春の落語家としてのスタンスにメタ的に感動して泣いたと言っていました。俺は観たときはそこまで考えなかったが、24歳の男で魚勝くらい酒が好き、そして結婚2年目に突入している身としては、これからの芝浜で描かれる夫婦のあり方に素直に感動した。

 俺はサービス業に従事しているので、年末年始もGWも関係ない。年末年始やGWの時期に流れる「みんなこの時期はのんびり過ごすよね」を前提とした広告などを目にすると、魂が暗黒になる。優しくて温かい年末年始あるあるやGWあるあるは一見、人を傷付けない笑いだが、俺の心はズダボロに傷付けられる。これを難癖だと斬り捨てる人は、今現在差別的だ、いけないことだとされているものに抵触する笑いにしか目を向けず、抵触した人々を非難する理由も勝ち戦に乗れるからやろ、と思ってしまう。アル・カポネが売り捌いていた酒は今や依存し過ぎると危険、程度の嗜好品扱いだし、あの当時の黒人は今の比ではないくらい、善良なアメリカ市民から差別を受けていた。アル・カポネは、黒人を差別しなかったとの逸話も残っている。もちろん、アル・カポネを称揚したい訳でも、年末年始やGWあるあるを規制しろと言いたい訳でも、人を傷付ける笑いこそ至高だと言いたい訳でもない。

 俺は、お笑いに限らず、表現は誰かを傷付け得るが同時に救うこともある、諸刃の剣だと自覚している表現者が好きだ。その上で、それでもボーダーライン上を突っ走る道を選んだり、立川談春のように迷いを口にしながら別の道を模索したりする人を見ると、つまりは勝ち戦に乗るのではなく自分の矜持に則った戦い方で臨んでいる人を見ると、かっけえなあと感動する。

 年末年始なんざクソ喰らえ、とまでは言わないが、年末年始の世間のムードにはまあまあ鬱屈とした気持ちを抱いてしまう。だが、年の瀬で浮かれ顔のお客さん達に混じって立川談春の「これからの芝浜」を観ただけで、ええ年末やんけと、ほんの少し思うことができた。

 大晦日は休みをもらったので、これを書いている12/30が仕事納めでした。あ、日付変わってもう大晦日か。お疲れ様でした。仕事始めは元日の朝9時、アルバイトスタッフが年末年始はほとんど休みを取るので、社員である俺は元日20:30まで労働です。やっぱり、前言撤回。年末年始なんざクソ喰らえです。終わり。