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お笑い 愚痴

青春の終焉と「青春」の誕生

はじめに

 日々過ごしていると、しばしば「青春」という単語を目にする。「青春」を題材にした映画や ドラマ、アニメ、CM、広告、小説、漫画、音楽などは絶えず登場し、SNS上は「青春」を謳歌していることをアピールしたり、過ぎ去った「青春」を懐かしんだりする声で溢れている。

  「青春」の語源となった陰陽五行思想において、人生における春は15 歳から29 歳を指す。だが、現代の日本において「青春」と言えば、中学校入学から大学卒業までの期間をイメージ する者が多い。とりわけ、高校三年間の輝きは強烈だ。インターネットで「青春」と画像検索すると、制服を着た高校生の画像が大半を占めている。いくら多感な時期とは言え、たった三 年間だけがかくも特別視されることに、違和感を覚える。「青春」とは、それほど素晴らしいものだろうか。 本稿では、近代の青春と現代の青春――「青春」と鍵括弧付きで表記――の違い、及び各々の日本社会との関係から、その性質を考察していく。

 俺にとって「青春」という言葉は、高校の授業を怠けて映画館に赴き、サム・ペキンパー監督の『ゲッタウェイ』のリバイバル上映を観ていた瞬間しか想起しない。だが、だからと言って、高校生活を楽しめなかったが故の私怨を綴る訳では、決してない。

 

1. 近代の青春

 1880 年(明治13 年)、東京基督教青年会の発足に際して「ヤング・メン」は青年と訳され、 西欧から日本に輸入された。その5年後、徳富蘇峰が『第十九世紀日本ノ青年及其教育』を上梓して、青年という単語や、青年が送る日々を指す青春といった単語は、徐々に日本全国に知られていく。

 そして20年後、青春という言葉は小栗風葉が小説『青春』を『読売新聞』に連載しはじめた1905 年の段階においてはじめて、一般に広く流布した」のだという。 次いで、島崎藤村『春』、夏目漱石三四郎』、森鴎外『青年』、雑誌『白樺』などが刊行され、日本近代文学が隆盛期を迎えるとともに、青年や青春という言葉は益々市民権を獲得していく。 青春という新しい概念は、日本近代文学の主題として扱われ、やがて一部読者の生き方を支配するまでに至る。

 では、日本に輸入された青春という概念は、そもそも西欧でどのように誕生したのか。その 答えは、イギリスで起こった産業革命にある。

 1700 年代にイギリスの工業分野において技術革新が起こり、工場制機械工業が主流となっ た。それに伴い、資本家と労働者という階級が誕生し、資本主義社会が確立された。技術革新 に端を発したこの一連の社会変動が、産業革命である。 産業革命によって、イギリスの経済体制が封建制から資本主義体制へと移行した結果、労働者の酷使や幼い子供が工場で働かされるといった問題が起こる。イギリス政府はそうした事態を改善するため、法改正に乗り出した。その一環に、義務教育の導入がある。労働者として働き出す前に一定程度の教育を受けさせることで、資本家からの過剰な搾取を防ぐことを目的としたものだ。だが長期的に見れば、義務教育は資本家にも利益をもたらした。労働者達が識字や計算、工場での労働に必要な技能などの教育を受けたことで、労働者としての質が向上し、結果的に工場の生産性が上がったのだ。

 また、資本主義の勃興に伴い、中産階級も誕生した。医師、弁護士、法律家、自由業者、中小商工業者など、資本家階級と労働者階級の中間に位置する層だ。現代で言うホワイトカラーである。彼ら中産階級の人間は、自身の子に義務教育以上の教養や専門的な知識を身に付けさせることで、階級の維持を図ろうとした。その目的のために中産階級の子供達が特別に受けさせられたのが、義務教育の上に位置する、高等教育である。 労働者や中産階級が資本家に取って代わることなどあり得ない時代において、義務教育である初等教育中等教育は、労働者育成の場として機能することとなった。そして初等教育を受ける者を幼年、中等教育を受ける者を少年、そして高等教育を受けることのできた一部の特権的な者を青年と呼ぶようになり、「幼年、少年、青年という区分」が生まれたのだ。 つまり、「青春も、青年も、資本主義の勃興、市民社会の勃興とともに生じた集団概念」であり、青春の生みの親は、産業資本主義なのである。

 さて、そうした青年は特権的であるが故に、「失うものは何もない」という根源的な強みを 有していた。幼年や少年には、社会の矛盾や破綻に気付き、それを是正できる頭脳や能力がな い。一方大人は、階級に依って性質は違えど、既得権益や地位、仕事といった守るべきものを有しているため、社会の矛盾や破綻の是正には動けない。あるいは、動かない。そんな中で、 青年だけが幼年や少年と違って社会を変える能力を有しつつも、大人と違って守るべきものや 失うものがないという特異な強みを持っていたのだ。 「失うものは何もない」という強みによって燃え上がった青年の若き情熱は、飽くなき探求心と挑戦する精神を支えた。そして青年は、既存のシステムに対する創造的破壊を繰り返し、 それが結果的には、産業資本主義にさらなる発展をもたらした。

 先述した通り、青年や青春という概念は明治以降日本に輸入され、広く意味が知られるよう になった。だが、日本で実際にそうした青春を送ることができたのは、西欧と同様、高等遊民など一部の特権的な者だけだった。 以下に、西欧と日本に共通する青春の実態を述べた文章を引用する。

青春は、洋の東西を問わず、中産階級にのみ許された特権だった。特権のもとで特権そのものに歯向かうこと、それが青春の実質だった。だからこそ青年は必然的に、挫折し、 苦悩し、絶望したのである。

 

 明治以降、日本で巻き起こった青春という新たなブームは、1960 年代にピークを迎える。その背景にあったのは、学生運動だ。1960 年代の男女合計の大学進学率は、僅か10%台である。 学生運動に身を投じていた者は皆、紛れもなく特権的だった。つまり、青年だったのだ。 彼ら新左翼の学生が理論的支柱としていたジェルジ・ルカーチ『歴史と階級意識』は、エピグラフとしてカール・マルクスヘーゲル法哲学批判序説』を引用し、その主張を以下のよう に端的に表明している。

ラディカルということは、ものごとを根本からつかむということである。だが人間にとっての根本は、人間そのものである。

 あらゆる人間が人間らしくある、という根源的なことを実現するための方法として、マルク スはラディカルな思想を持った階級を形成するよう訴える。具体的には、次の通りだ。

社会の他のあらゆる階層から自分を解放するとともに社会の他のあらゆる階層を解放 することなしには、自分を解放することができないような、ひとことでいえば、人間性を完全に失ったものであり、したがって人間性を完全にとりもどすことによってだけ 自分自身を自由にすることができるような、そういう階層を形成することである。社会のこういう解体を、ある特定の身分であらわせば、それはプロレタリアートである。

 どのような社会であれ思想であれ、その根源にまで遡れば、矛盾は必ず見えてくる。本気で 社会に変革をもたらすのであれば、枝葉の部分を切り揃えるのではなく、根源的な矛盾を正す しか方法はない。そうしたマルクス(及びジェルジ・ルカーチ)のラディカルな論理が、「大学 解体」を掲げる学生運動のエンジンとなった。ラディカルを和訳すれば、急進的/徹底的/過激/ 根源的といった語が当て嵌まる。青年の「失うものは何もない」という強みと、非常に親和性が高い。「特権のもとで特権そのものに歯向かうこと、という青春の実質」は、学生運動のラディカリズムと通底していたのである。だから、1960 年代に青春のブームはピークを迎えた。

 しかし1970 年代に入り、青春というブームは瞬く間にその力を失っていく。 一つ目の要因は、大学進学率の増加――1976 年には男女合計の大学進学率は27.3%を記録する――を始めとした学校制度の整備に伴い、高等教育を受けられることがそれまでに較べて小さな特権になったことだ。青年層を形成していた中産階級が、大衆に接近したのである。 二つ目の要因は、青年という概念の弱体化だ。先述の通り、少年は中等教育を受ける者を指す言葉として誕生したため、本来は男女ともに対して使用することができる。だが現実には、 男子に対してのみ使用される。戦前の日本では男女共学が認められていなかったため、中等教育を受ける男子を少年と呼び、中等教育を受ける女子のことは少女と呼ぶようになったからだ。 そうして、「少年=男子」「少女=女子」という棲み分けがされた。

 一方、1960 年代までの日本における男子の大学進学率は女子のそれを圧倒的に上回ってい たため、青年という言葉の定義は、「高等教育を受ける者」から「高等教育を受ける男子」へと変化していた。圧倒的大多数の大学生が男子である以上、「青年=高等教育を受ける男子」という定義が大きな不都合を招くこともなかった。少年という語に対して少女という語が生まれたのとは異なり、大学に通う女子だけを指す言葉は生まれなかった。生み出す必要性がなかったからだ。 そのツケが、1970 年代に入ってやってくる。女子の大学進学率が上昇し、女性の社会進出が進んだ結果、大学に通う男子だけを指す青年という概念が弱体化したのだ。対になる言葉がないため、少年と少女のように共存することもできない。青年という語は次第に廃れ、性別を問わず年齢が若い集団全般を指す「若者」へと置換されていった。

 三つ目の要因は、人々の価値観が変容したことだ。1970 年代に入り、高度経済成長期の終焉やオイルショックの発生、公害問題の認知などによって、社会は不安定なものだという認識が人々の間に広まった。また、消費資本主義社会の本格的な到来に伴い、大量生産、大量消費、 そしてその裏にある大量廃棄までもが是とされた結果、大衆のものに対する価値観は変わってしまう。大衆にとって日本はもはや、失われることを前提としたものの集合体と化したのだ。 青年層以外の人々は、何かを失うことを極端に恐れる。その前提があったからこそ、青年の 「失うものは何もない」という急進性は意味を持っていた。だが青年層が大衆化し、なおかつ 「失われないものなど何もない」と大衆が考える世界において、「失うものは何もない」という思想は、大きな価値を持たない。こうして、産業資本主義と密接に結び付いていた青年は根源的な闘いを挑む相手を失い、「特権のもとで特権に歯向かうこと」はできなくなっていった。

 上記の要因が重なり、近代の青春は終焉を迎えた。1960 年代は、青春が輝きを失う寸前にラ ディカルな学生運動と結び付き、最後の光を放っていた時間だったのである。

 

2.現代の「青春」

 本稿冒頭で記した通り、現代(2021年)の日本は「青春」で溢れている。この現代の「青春」 は、1 章で述べた近代の青春とは別物だ。単語は同じでも、語義は全く違う。 近代の青春の定義を、三浦雅士は次のように述べた。

青春の規範とは、根源的かつ急進的に生きることにほかならなかった。近代の過程で、 この青春の規範は、表現行為のほとんど全域を席巻したのである。革命の挫折も、恋愛の挫折も、その裏面にほかならなかった。むしろ、この裏面によってもたらされる苦悩と絶望こそが、青春の主題を形成するにいたったのである。

 青年は根源的かつ急進的な生き方を貫き、革命や恋愛に挫折し、傷付く。その苦悩の軌跡が、 日本近代文学だ。 「青春」は、こうした根源的かつ急進的な生き方とは無縁である。そんな生き方など、殆どの若者は求めていない。恋愛の挫折も、革命の挫折(現代のレヴェルで言えば、部活動の苦悩など)も、「青春」の裏面ではなく表面だ。「青春」の規範とは、中学・高校時代の恋愛や友情といった「青春」のイメージに相応しいものを謳歌することに他ならない。「青春」は、明確な実態を持たない。換言すれば、「青春」っぽいイメージの集積こそが、「青春」の実態なのだ。

 では、終焉したはずの青春を輝きに満ちた「青春」として甦らせたのは、一体何か。それを考えるために、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』の一節を引く。

ナショナリズムを発明したのは出版語である。決してある特定の言語が本質としてナ ショナリズムを生み出すわけではない。

 印刷技術の進歩によって出版産業が登場・発展し、国内の出来事を一つの言語で大量の読者 に伝え始めた。それによって人々の間に仲間意識が芽生え、国に対する帰属意識が生まれた。 つまり、国民という概念は一人一人の心の中に想像されるイメージに過ぎないというのが、ベ ネディクト・アンダーソンの指摘だ。 同様の関係が、現代日本とメディアにも見出せる。映画やドラマやアニメや漫画や音楽といったメディアがこぞって、中学入学から大学卒業までの期間――とりわけ高校三年間――をさも人生における最重要な時間のように描き、そうした輝かしい描写に過去の思い出を刺激された人々が、SNSなどを通じて学生時代を称揚する。だからそれらを目にした人々は、「青春」 に対してフィクショナルで美しいイメージを付与するようになったのだ。メールや掲示板で児童買春の約束を取り付ける際の隠語として用いられていたJK(=女子高生)は、今や「JK ブランド」と呼ばれているし、InstagramTikTokでは高校生達がいかにも「青春」っぽい構図で写真を撮ったり動画を上げたりしている。それを否定する訳でも嘲笑する訳でもない。俺の周りにもそういう人はいたし、俺自身そうした側面はあった。あくまでも、確実に現代の若者は、フィクショナルな「青春」に寄せにいっている側面はあるだろうということを指摘したいだけだ。

 あるときは恋愛がうまくいった作品を観て、また別のときは友情を感じられる作品を観て、 またあるときは失恋を味わう作品を観て……という風に、「青春」のあらゆる側面をフィクシ ョンやSNSなどのメディアから過剰に摂取した結果、現代人は「青春」に対して、一人の人 間が一度きりの人生では絶対に体験できないほど肥大化した、戯画的なイメージを抱くように なったのではないだろうか。 近代の青春において、恋愛や友情という営みは「根源的かつ急進的に生きること」を表象していた。しかし、現代の「青春」における恋愛や友情は、何も表象していない。恋愛の甘酸っぱさは、恋愛の甘酸っぱさ以外の何物でもない。「青春」に存在するのは、表層的なイメージだけだ。 だが青春が終焉を迎え、「青春」の萌芽が既に見られていた1976 年の時点で、ショートショ ートの神様・星新一は著作で次のように述べ、「青春」の正体を喝破していた。

青春(引用者注:本稿における現代の「青春」)はもともと暗く不器用なもので、明るくかっこよくスイスイしたものは、商業主義が作り上げた虚像にすぎない。かりにそんなのがいたとしても、あまり価値のある存在とは思えない。

 「青春」のイメージに囚われ、そのイメージ通りの経験をすることに価値を見出している限 り、悔いのない学生時代を送ったと胸を張ることはできない。隣の芝生は青く見えるものであ り、メディアや大衆によって創り出された「青春」のイメージは、太刀打ちできないほど圧倒 的に青いからだ。

 

3. 虚像へのノスタルジー

 メディアなどが提供する「青春」のイメージに固執し、輝かしい「青春」を追体験させてくれる作品や情報に触れ続けると、いつしか存在しないはずのノスタルジーを「青春」に感じてしまう可能性がある。祖父母の代から都会で生まれ育った者が、田舎の田園風景を見て何故か郷愁に駆られる現象によく似ている。

 17 世紀後半、戦地に赴いたスイスの傭兵達が故郷を懐かしみ、ヒステリー発作や不眠などの 症状を呈す事態が発生した。同様の出来事は、十字軍遠征においても報告されている。スイス 人の医師、ヨハネス・ホーファーは、こうしたノスタルジーを「脳疾患」と診断した。

 だが近年の研究では、ノスタルジーを感じることは正常であるばかりか、「ネガティブな精 神状態、すなわち『心理的脅威』に立ち向かう方法のひとつ」だというのが定説だ。 だから、人々が自分の実際の学生時代だけを懐かしむのであれば、何の問題もない。しかし、 そうした純然たるノスタルジーではなく、メディアによって形成された「青春」の戯画的なイメージに対してノスタルジーめいた感情を抱くことには、危うさを感じる。 学生時代に恋人はいなかったはずが、街中で放課後デートをする学生カップルを見てノスタルジックな気分に陥り、部活動に入っていなかったはずが、たむろして帰る部活動終わりの学生を見てノスタルジックな気分に陥る。そして、「あの頃」など自身の過去にはないはずなのに 「あの頃に戻りたい」という思いが湧き上がるのを抑えられず、今の現実に絶望し、生きていく気力を失って自ら命を絶つ――という結末は些か安手のホラー小説じみているが、しかし少なくとも、現実に体験した学生時代ではなく虚構の「青春」に対してノスタルジーを抱き続ければ、存在しない「あの頃」への妄執が生まれ、強烈な「青春」コンプレックスを発症することは必至だ。変えられない過去に囚われてしまったせいで、現在の日々を楽しく送ることができなかったり、多くの可能性を秘めた未来の幅を狭めてしまったりするのは、不毛だ。恋愛や友達や部活や勉強や趣味やボランティアやアルバイトなど、何か一つでも思い出に残っていることがあれば、それだけで充分素晴らしい。仮に何もない怠惰な生活を送っていたのだとしても、所詮は自分の選んだ道だ。それに、そうした自堕落な生活を送ることができたのも貴重で楽しい時間だった――そう割り切ることが大切だ。送ることのできなかった「青春」 のイメージをいつまでも抱き続けて苦しむことは、水面に映る月をどうにかして掬おうとする行為に等しい。後に残るのは、疲労と虚しさだけだ。

 

4. 成熟からの逃避

 近代の青春は1960 年代に終焉を迎えたと1 章で述べたが、大学進学率が50%を超えた現在でも、青春や青年の規範が完全に消滅した訳ではない。「若気の至り」という言葉が未だ通用す るように、若さ故に無茶をしたり勇敢な行動を取ったりする者は少なくない。学生運動に身を 投じた青年に較べれば「失うものは何もない」という強みは大幅にスケールダウンするだろう が、社会人よりも学生の方が失うものが少ないという図式は、完全にはなくなっていない。退 学とリストラでは、失うものの大きさは明らかに違うだろう。 ただし、「失うものは何もない」という強みを権力への反抗や社会の矛盾の是正のために使う若者は、少数派だ。停学を恐れずに屋上や夜の校舎に忍び込んで遊んだり、授業を怠けて遊んだりすることでスリルや背徳感を味わう者は少なくないが、不合理な校則や理不尽な教師に抗議したり、学校の不当な処分や要求に対して反対運動を行う者は、限りなく少ない。

 また、青年や青春の規範の残滓は、「青春」に溶け込み、「青春」の輝かしいイメージをより強固にする役割も果たしている。青春とは特権的な青年だけが送れる期間だ、という近代の価値観は現在、学生時代こそ人生で最も楽しい時間だ、という歪んだ特権意識へと変貌を遂げた。 大人が何かに夢中になることを「第二の青春」と呼び、何かに熱中する大人を「青春は終わらない」と鼓舞する者がいる。彼らは、情熱的な営みをすることは「青春」の特権だという意識を抱いているのだ。

 こうした「青春」への特権意識の背景には、メディアが生み出した「青春」幻想の他にもう 一つ、エイジズムが潜んでいる。 エイジズムとは、「1986 年に米国の老年医学者ロバート・バトラーが造りだした新語」であり、「年をとっているという理由で老人たちを組織的に一つの型にはめ差別をする」ことだ。 「老人に対する偏見、嫌悪感、恐怖心といった心理的・文化的要因に起因する」という。

 現代日本のメディアで描かれる高齢者は、認知症や病気、寝たきりといった死に接近してい るイメージか、偏屈や頑固な「老害」といった醜いイメージを与えられることが多い。あるい は、「可愛いおじいちゃん、おばあちゃん」といった風に、老いて弱くなった庇護すべき対象として扱われる。そうした人物が実在する以上、病気の高齢者や「老害」や「可愛いおじいちゃ ん、おばあちゃん」を描くことは間違いではない。だが、この三類型に落とし込むことのできない高齢者像が滅多に描かれない現状には、偏りを感じる。少年漫画などでは「格好良くて強い老人キャラ」がよく登場するし、俺自身そうしたキャラクターは大好きだが、敬意を込めてこの表現を使えば、それらのキャラクターはどうしても「漫画的」である。

 1920 年代にアメリカで生まれたフェミニストにしてレズビアンのバーバラ・マクドナルド は、フェミニズムによって自己解放を遂げたあとは、エイジズムに立ち向かうべきだと主張し た。1994 年に邦訳された『私の目を見て――レズビアンが語るエイジズム』で、彼女は次のように述べている。

レズビアンが存在することやレズビアンであることが喜びだと教えてくれるような小 説も映画もテレビ番組もない中でずっと生きてきた。(中略)今度もまた、高齢女性が存在すること、高齢女性であることが喜びだと教えてくれるものはなにもなかった。

 バーバラ・マクドナルドは、自身がレズビアンであることも女であることも、自分の頭で考 えて肯定し、生き方を見つけてきた。同様に、どのように老いていくかも自らの頭で考え、模 索しながら生きた。彼女のように、老いを受け容れつつも活動的に強く生き続ける人生を選ぶ ことは美しいが、困難でもある。だから、ひっそりと穏やかな老後を送る人生を選択すること も、何ら恥じることではない。そこに優劣は存在しない。

 しかし現代日本には、上記の二つの道ではない、第三の道が存在する。「若さ」vs「老い」という二項対立を是とし、自分は年齢にかかわらず「若い」のだと主張する道だ。この道を選べば、必然的に対立概念である「老い」を貶めることとなる。「美魔女」ブームが起こった際も、 年を重ねた美しさではなく若々しさに美の基準が置かれていた。

 成熟した大人の先には、醜い老人が待っている――このイメージに抗うため、人々は成熟から逃避し、若さを称揚し、「青春」に特権を付与した。「俺たち男は馬鹿だから、いつまでもガキのままなんだよ」と嘯く彼らの表情と声は、いつも何処か誇らしげだ。貞操観念に凝り固まったマザーコンプレックスの男性が多いのは、成熟から逃避した結果ではないだろうか。

 成熟を拒絶する思想には、相容れないものがある。老いによって視野狭窄になったり判断力 が低下したりする側面は、確かにある。それをもって、「老害」と呼ばれる。だが、老人の「老害さ」というのは、若者の未熟さや中高年の事なかれ主義といった傾向に較べて、特筆すべきほど醜いものだろうか。思慮深い若者も、挑戦的な中高年も、度量の広い老人も大勢存在する。 結局は年齢に依らず、当人が美しいか醜いかだけの話である。 恋に溺れることも熱い友情を育むことも、何かに真剣に打ち込むことも、断じて若者だけの特権ではない。成熟した大人として何かに夢中になり、熱中すればいい。成熟した大人の先には老いた大人が待っているが、その姿が醜いかどうかは本人次第だ。むしろ、老いを唾棄し、 成熟から逃れて若さに縋り付く姿勢こそ、よほど美しくない。

 ヌーヴェル・ヴァーグの旗手、フランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』 で、12 歳の少年アントワーヌは大人達に反抗し、鑑別所に送られる。隙を見て脱走するが、 延々と走った先には海が広がっており、逃げ場を失った彼は波打ち際で立ち止まることを余儀 なくされる。振り返って観客に視線を向けたアントワーヌをクロース・アップで映して、映画 は終わる。その無表情は戸惑いや諦念に覆われているが、逃げることを止めて現実に立ち向か おうという決意も確かに見て取れる。 僅か12 歳のアントワーヌが『大人は判ってくれない』の最後で見せた表情は、現代日本の多くの大人よりも、遥かに大人びている。

 

おわりに

 産業資本主義によって誕生した近代の青春のイメージは、日本文学の歴史を形作り、ラディカルな学生運動を駆動させた。一方、商業主義によって形成された現代の「青春」のイメージ は、ひたすら「青春」幻想に溺れる人々を増やし、「青春」にまつわる商業を潤わせるというサイクルを繰り返している。近代の青春を襲ったような終焉が現代の「青春」にもやってくるとは、今の段階では考え難い。現代の「青春」はフィクショナルであるからこそ、そのブームの持続力は近代の青春を凌駕している。

 ただし「青春」は、その輝かしさを過大評価して妄執することさえしなければ、問題ない代物だ。自分が実際に体験した「青春」の思い出を懐かしむことは正常であるし、「青春」コンプ レックスを発症せずに気持ちを切り替えられるならば、「青春」の幻想を追体験させてくれる ものに時折触れるのも一興かもしれない。

 だが、あくまでも個人的な好悪の観点から述べれば、「青春」を追体験することはもちろん、 実際の思い出に浸ることも、断固として拒否したい。ノスタルジーはネガティブな精神状態に立ち向かう方法の一つだ、という近年の研究を知ってもなお、ノスタルジーを敬遠する気持ちを拭い去ることはできない。ノスタルジーに浸るよりもフレッシュな空気を吸い込むことの方が、遥かに豊かだと信じているからだ。甘さと青さを拒絶した先にこそ、成熟した人生が広がっているはずだ。

 高校生のときに『ゲッタウェイ』を映画館で観てスティーヴ・マックイーンに憧れ、早く大人になりたいと感じた気持ちだけを唯一の「青春」の証として胸に刻み、低身長ながら精一杯背伸びして生きていきたい。

 

参考文献

三浦雅士『青春の終焉』講談社、2001 年。 ・ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体:ナショナリズムの起源と流行』リブロポート、1997 年。

星新一『きまぐれ博物誌』角川書店、1976 年。

・岩波講座 現代社会学 第13 巻『成熟と老いの社会学岩波書店、1997 年。

ロバート・バトラー『老後はなぜ悲劇なのか? アメリカ老人たちの生活』メヂカルフレン ド社、1991 年。

政府統計の総合窓口e-Start「学校基本調査 年次統計」2016 年8 月4 日 ;https://www.e[1]stat.go.jp/dbview?sid=0003147040(アクセス日2021 年1 月17 日)

・lifehacker 日本版:「懐かしい気持ち」がもたらす意外なメリット2015 年2 月17 日;https://www.lifehacker.jp/2015/02/150217how_to_use_nostalgia.html(アクセス日2021 年1 月17 日)