沈澱中ブログ

お笑い 愚痴

菊地成孔を知らない恋人の隣でDC/PRGの演奏を聴きながら踊った夜

※2021年3月26日に開催されたDC/PRG大阪公演に行った感想を綴ったブログですが、ライブレポではないのでセットリストや具体的な内容への言及は皆無です。また、6,000字のうち余談が9割を占めています。全員、敬称略です。

 

 先日、敬愛する坂元裕二が脚本を務めた映画『花束みたいな恋をした』を鑑賞した。小説や映画や音楽やお笑いといったカルチャーを愛する若者二人の恋の始まりから終わりまでを描いた作品で、面白いか面白くないかで言えば面白かったものの、どうも好きにはなれなかった。意図したものだと分かってはいるが、菅田将暉演じる麦と有村架純演じる絹が、あまりにも鼻に付いたからだ。俺はジャック・ケッチャムの『隣の家の少女』も「優れた小説だとは思うけど、やっぱり好きにはなれない」と感じるタイプで、『花束みたいな恋をした』もそれに近い印象を受けた。

『花束みたいな恋をした』には、菅田将暉演じる麦が「粋な夜電波、聴いてます?」と尋ね、有村架純演じる絹が「菊地成孔さんの?もちろん」と答えるシーンがある。このシーンを観て俺は「絶対こいつら、菊地成孔の音楽業とか文筆業はノータッチやろなあ」と思った。根拠はない。完全なる偏見だ。でも多分、この偏見は当たっている。かく言う俺も菊地成孔の著作は一冊しか読んでいないし、「粋な夜電波」は一度も聴いたことがない。ブログも購読していない。とてもじゃないが、熱狂的なファンとまでは呼べない。まだ22歳だから、古参ファンでもない。だから、「ラジオを聴いていた程度で、俺の成孔さんを理解したと思うなよ!」とキレる権利はない。別に、粋な夜電波だけを聴いている人と菊地成孔の音楽活動だけ追っ掛けている人では、後者の方が上だとも思っていない。菊地成孔は音楽家であり文筆家であり元ラジオパーソナリティだった訳で、そういう多岐に渡って活躍する才人のどの分野での功績に惚れようが、そこに優劣は存在しない。

 だがそれでも思わず、麦と絹に向かって「なんや、その『もちろん』っちゅうすっとぼけた顔は?おどれ、菊地成孔の音楽を聴いたことあんのか、コラ!」と言いたくなった。 RHYMESTER宇多丸TBSラジオリスナーから褒められたり貶されたりしているときも、「おどれはRHYMESTERのアルバムを一枚でも持っとんか!」と文句を垂れたくなってしまう。「お前が『花束みたいな恋をした』の麦と絹を気に食わなかったのは、ただの同族嫌悪じゃねえか」と思ったそこのあなた、正解です。

 、俺にとって菊地成孔のイメージは圧倒的に、音楽家だ。JAZZ DOMMUNISTERSの2ndアルバムは私的・ジャパニーズ(日本語の)ヒップホップ名盤ベスト100に確実に入る。母音をはっきり発音していてフロウがあまりない朗読的なラップは、本来好みから外れるのだが、谷王 a.k.a 大谷能生のそれはどういう訳だかクセになる。ちなみに、このアルバムにfeaturingで参加しているOMSBのアルバム『Think Good』が、私的・ジャパニーズヒップホップアルバムの暫定トップだ。クリーピーナッツがブレイクし、フリースタイルダンジョンが人気を博したお陰で、ヒップホップを聴くと言うと「最近流行ってるもんね、日本語ラップ」と言われるようになったが、OMSBが米津玄師やOfficial髭男dism並の知名度を獲得しない限り、俺は日本語ラップブームの到来とやらを断じて認めない。

 菊地成孔の音楽活動に話を戻します。SPANK HAPPYも当然後追いながら好きだし、菊地成孔がプロデュースを務めたFINAL SPANK HAPPYの1stアルバム『mint exorcist』は、日本のミュージシャンのアルバムの中ではその年、KIRINJI『cherish』やORIGINAL LOVE『bless You!』に匹敵する素晴らしさだった。2020年12月に大阪で開催されたライブにも行き、CDにサインも貰った。「めちゃくちゃキュートでした」と伝えると、小田朋美アバターであるODに「わあ、嬉しいじゃないっスか。ありがとうじゃないっスか」と言ってもらえた。半端ないほど可愛くて、危うく「結婚してください」とプロポーズしそうになった。

 菊地成孔がプロデュースを務めた大西順子の復帰アルバム『Tea Times』も大好きで、彼女のスタジオアルバムの中では『WOW』と同じくらいの高頻度で聴いているし(6〜9曲目が特に好きだ)、菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール(ラジカル・ガジベリビンバ・システムくらい覚えにくいですね)の『戦前と戦後』は、何度聴いても陶然としてしまう。『CHANSONS EXTRAITES DE DEGUSTATION A JAZZ』にはデューク・エリントンの「Isfahan」をカバーしたライブ音源が収録されているが、本家やジョー・ヘンダーソンのカバーに匹敵する素晴らしさだ。

そして1999年、大阪の田舎で俺が生まれ、北の本物THA BLUE HERBが1stアルバム『STILLING,STILL DREAMING』をリリースし、「カリスマ」という言葉が日本新語・流行語大賞トップ10に入選したこの年に、菊地成孔が結成したのがDATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDENである。

 DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDENの1stアルバムの帯には、「70年代エレクトリック・マイルスからの源流をジャズ〜ソウル〜ファンク〜アフロ、さらには現代音楽までクロスオーヴァーした唯一無二なスタイルでダンスミュージックへと昇華した」と記されている。俺はマイルスのアルバムの中では『Round About Midnight』が一番格好良いと思っていて、エレクトリック・マイルスは例外的に『Get Up With It』はかなり好きで、ちょうどCD2枚組だから俺の通夜と葬式にそれぞれ流して欲しいとさえ思っているが、それ以外は正直そこまでピンときていない。ただ、俺がそこまで好きではないエレクトリック・マイルスの影響を受けたDATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN(その後、dCprGDCPRGと改称という名のイメチェンを重ね、現在はDC/PRG)は、大好きだ。

 DC/PRGは、とにかく踊れる。というか、踊り出してしまう。構成もリズムも複雑なのに(だかろこそ、なのか)、体を動かしたくて堪らなくなる。先述のFINAL SPANK HAPPYのライブやORIGINAL LOVEのライブに行ったとき、菊地成孔アバターであるBOSS THE NKや田島貴男は、「最後の曲なんで、皆さん踊りましょう!」と呼び掛けていたが、それでも微動だにせず棒立ちを続ける人は少なからずいた。ついでに言えば、スマホで撮影し続ける人も。まあ別にええねんけど、ホンマに家で見返すんかいな、それ。

 これだけ爆音で音楽を浴びながら微動だにしないとは、感性が死んどんちゃうか。死後硬直で固まっとんか。などと偉そうに訝りながら、俺は踊った。やっぱり俺にとって、音楽を聴くことと体を揺らすことは密接に繋がっている。めちゃくちゃ激しくダンスはしなくとも、どうしたって音楽を聴けば頭や体は揺れるし、そうして体を揺らすことでより一層、音楽が全身に染み渡るような気がするのだ。終始理論的ではない感傷的な言葉が続きますが、何卒ご勘弁を。楽曲の構造を分析して論じられるほど、音楽に精通していないので。

 DC/PRGは俺が聴いているミュージシャンの中では、トップクラスに体が動く楽曲を奏でてくれる。電車の中だろうが自室だろうが、DC/PRGの楽曲が耳に流れ込んでくる限り、そこはダンスフロアだ。……などと、ベタなことを言ってしまいたくなる。

 で、そのDC/PRGが2月下旬に解散を表明した。菊地成孔の声明文を読み、寂しさや悲しみと共に、妙な清々しさを覚えた。ゆらゆら帝国が解散したときも、リアルタイムのファンはこんな気持ちだったのだろうかと想像した。解散前最後の凱旋地は、大阪と東京。大阪での開催場所は、バナナホール。俺が大好きな梅田の街にある老舗のライブハウスだ。そして、日付は3月26日。『CITY HUNTER』で、生年月日が不明な冴羽リョウのために、相棒の香が「毎年この日に祝ってあげる」と決めた仮の誕生日だ。そして奇遇にも、俺の誕生日でもある。

 解散が発表された数日後、恋人とデート中に「俺が好きなバンドのライブが来月の26日にあって……」と切り出すと、「はいはい、どーぞ。行ってらっしゃい」と食い気味に返された。口調は怒っていなかったが、イラッとしているのは明確だった。熟年カップルじゃあるまいし、互いの誕生日を一緒に祝うのは、ハタチそこそこのカップルとして当然だ。ミュージシャンのライブを優先するのかと不満に思われるのも無理はない。逆の立場だったら、俺も不愉快になるかもしれない。だから、「チケット代出すから、一緒に行こう」と誘った。「え、ホンマに? 一緒に行っていいなら、行きたい!」と彼女が乗り気になってくれたので、抽選発売にチケット2枚を申し込んだ。そして、2枚とも当選した。

 DC/PRGのファンに申し訳ないな、という心苦しさも無論ある。「俺はチケット取れなかったから行けなかったのに、お前はファンでもない恋人を誘ったのかよ!ふざけんな!お前らが申し込まなきゃ、俺は行けていたかもしれないのに!」と今この文章を読みながら、チケットを取れなかったファンの方が怒っているかもしれない。それに関しては、伏してお詫び申し上げます。俺は「誕生日に恋人と過ごしたい」「DC/PRGのライブに行きたい」という二つの欲望をどうしても満たしたくて、どちらも譲ることができなかったので、ファンではない、どころか菊地成孔の名前すら知らなかった恋人の分もチケットを入手しました、当選確率UP券を使ってまで。すみません。後悔も反省もしていませんが、すみませんとは本気で思っています。

 ただ、「況してや、解散ライブなのに!」という怒りに関しては、納得いたしかねます。コロナ禍によって「不要不急」という言葉が幅を利かせるようになりましたが、人間の寿命が有限である限り、人生におけるありとあらゆることは全て、不要不急かつ必要緊急です。あなたも俺もいつ死ぬか分からないし、好きな飯屋はいつ閉店するか分からないし、好きなバンドはいつ解散するか分からない。毎回のライブで「これがラストかもしれない」と思いながら踊り、その一瞬一瞬を全力で味わうことこそ人生です。「解散ライブとか関係なく、音楽ライブにファンではない恋人や友人を誘う奴は全員許せない。しかも俺はこれまで、DC/PRGのライブには全て行ってるんだぞ!なのに、今回に限ってチケットを取れなかったんだ!」という人以外からの「折角の解散ライブなのに!」っつー苦情は、申し訳ないが受け付けません。受け付けたところで、陳謝する以外できませんが。

 さて、「本稿を読んで怒っているDC/PRGファン」という仮想敵と戦い終えたので、昨日3月26日、DC/PRGの大阪公演当日に話を移したいと思います。お気に入りのMEN'S BIGIのシャツにこれまたお気に入りのエンポリオ・アルマーニのジャケットを羽織り(今より稼げるようになり、かつもっとツラが渋くなったら、ジョルジオの方を着てギャグみたいにぶっとい葉巻を銜え、ぶくぶく太って禿げてやります)、恋人と合流した俺は、『あんさんぶるスターズ!』というスマートフォンゲームとコラボした天王寺アニメイトカフェで昼飯を済ませた。その後恋人の希望で、日本橋オタロードでフィギュアをあれこれ見て楽しんだ。『ジョジョの奇妙な冒険』や『ONE PIECE』のフィギュアを見て格好ええなあと思ったり、『殺しの烙印』の宍戸錠のソフビ人形を見つけて「これだけえらいマニアックやな!」と喜んだり、美少女フィギュアのスカートを下から覗き込んで「どいつもこいつも白しか履いてへんな」と言って恋人にど突かれたりしたあと、梅田の阪急三番街で早めの晩飯にたこ焼きと天麩羅を食べ、開場時刻ギリギリにバナナホールへと到着した。入場し、コインロッカーに荷物を預け、バナナジュースとキウイの果実酒を注文して開演を待った。そして、開演予定時刻を2、3分過ぎたとき、ライブが始まった。すぐ目の前にいるDC/PRGの面々を見て高揚し、スピーカーから大音量が流れ出した瞬間、「うわあ、久々にライブに来てる!」という途轍もない感動に襲われた。巨大なスピーカーから流れる音は文字通り全身を震わせ、体の内部にまでズンズン響いてくる。よほどのマニアでない限り、家のスピーカーではどうしても真似できない、ライブハウスならではの体験だ。

 冒頭に記した通り、ライブレポではないので、ここから一切の詳細は割愛する。ただ一つだけ言えるのは、日本時間で2021年3月26日の19時からおよそ2時間弱、世界中で最も格好良い音楽を聴いていたのは、梅田のバナナホールに集った俺達だということだ。

 最後の一曲の演奏中、会場にいた殆ど全員が頭や全身を揺らし、フロア全体が激しく波打っていたとき、ふと、隣の恋人を横目で見やった。菊地成孔のことを全く知らず、菊地成孔の手掛けた音楽を一度も聴いたことのなかった恋人は、その夜初めて聴く彼らの演奏で、体を揺らしていた。

『花束みたいな恋をした』の麦くんと絹ちゃんよ。君らはどうせ、「粋な夜電波を聴いている自分」像を作り上げるために「粋な夜電波」を聴き始めたのだろう。その気持ちは充分理解できる。俺もジャズを聴き始めた動機は、「ジャズを聴くって、なんかお洒落で格好良くね?」という勘違いからだった。だから、俺は「ジャズを聴いている格好良い俺」像のためにジャズを聴き始めた俺自身を肯定するし、他人の趣味を小馬鹿にしたり自分達のセンスの良さに特権意識を覚える麦や絹のことも、鼻に付くなあとは思うが、否定はしない。

 けど、初めて聴く楽曲で体を揺らす昨夜の恋人の姿こそ、音楽の豊かさを端的に、そして真に体現していたと思う。「売れているから」とか「音楽通に評判がいいから」とか、そういった前評判ではなく、「鳴っている音楽が格好良いから」という理由だけで、体を揺らしていたのだ。

 菊地成孔を知らない恋人の隣で、終始腕と腕が軽く触れ合う中で踊った夜、俺は確かに人生の真理の一端を摑んだ。恋人最高、恋愛こそ人生の醍醐味、なんて恋愛至上主義的なことではない。昨夜俺がDC/PRGの演奏を聴きながら覚えたのは、肌が粟立つほどの生きる喜びだった。毎日のように死にたいと感じてしまう人生と、今後も戦っていこう。その決意と覚悟だ。筆を擱く前に、俺がDC/PRGから受け取ったと勝手に信じている人生の真理の一端を、あなたにもお裾分けしましょう。

「人生はチョロい、恐るるに足らず」

 以上です。終わり。